「北朝鮮帰国事業」によって「帰国」した女性が綴る壮絶な体験記『冷たい豆満江を渡って』発売!「ここで見たものをそのまましゃべってはいけない」

株式会社ハート出版)は、60年前の「北朝鮮帰還事業」によって帰国したのちに、 二度の脱北を経て、 現在日本に住む梁 葉津子氏による体験記『冷たい豆満江を渡って』を発売。 「地上の楽園」の謳い文句に騙された父に連れられて「帰国」した女性が見たものとは。それから37年、 北朝鮮の生活に耐えられなくなった著者は、 身体の弱い末子一人を連れ、 極寒の豆満江を渡る。 在日韓国人の目から見た「帰国事業」の実際、 “地上の楽園”北朝鮮での庶民の生活、 「極寒の豆満江」命がけの渡河、 中国にはびこる脱北者ビジネス、 スパイによる監視、 密告、 「脱北者狩り」、 脱北者専用の強制収容所での生活の実態……など、 赤裸々に明かされる「帰国者」「脱北者」の全貌。 かつて「帰国事業」を推進、 絶賛した人々は、 いま何を思うのか。

【著者】梁 葉津子(りょう はつこ)

昭和18(1943)年、 朝鮮半島出身の両親の下、 大阪市に生まれる。 2歳の時に大阪大空襲で家族は焼け出されて石川県に疎開、 そのまま定住し、 16歳で地元紡績工場に就職。 17歳の頃から父親あてに朝鮮総連関係者の訪問が始まる。 熱心な説得に応じて北朝鮮への「帰国」を決心した父親に違和感を感じながらも、 父親への同情心と両親との別れがたい気持ちから共に北朝鮮へ行くことになり、 昭和35(1960)年、 両親の生地ではなく自分の出身地でもない「祖国」北朝鮮に「帰国」する。 言葉も習慣も日本とまるで違う生活、 同じ帰国者でも働かない夫、 ないないづくしの育児……それらを通じ、 北朝鮮では「強くなければ生きていけない」ことを自覚。 改革開放で活気付く中国人を目の当たりにし、 金正日体制下の「苦難の行軍」で食糧配給が途絶えるに及んで脱北を決意する。 1度は失敗して強制送還されるものの、 2度目に成功、 現在は日本に定住している。

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