「ミャンマーの軍事クーデターで世界中が衝撃を受けた市民への弾圧は、以前からずっと続いていた。私は難民です」
ミャンマー人の男性(43)は東京地裁の裁判でそう訴えた。しかし被告の国側は、軍事クーデターには一切ふれないまま「難民に当たらない」と主張し、5月13日、結審を迎えた。
訴えが認められなければ、男性は強制送還の対象となるが、弾圧の待つ祖国に帰れるはずもない。生きる場を失う。難民保護とはどうあるべきなのか。「知られざる法廷」から問う。(ジャーナリスト・元TBSテレビ社会部長=神田和則)
▽クーデターに向き合わない国側
原告のAさんはミャンマーが軍事政権だった2002年、韓国から日本に入国した。06年、不法在留容疑で逮捕され、有罪判決を受け入国管理局(現・出入国在留管理庁)に収容、退去強制令書が出されたが、その後、一時的に収容を解く「仮放免」となった。これまで国軍を批判するデモや雑誌の編集・発行、講演会の開催などに関わってきた。
ミャンマーは民主化が進んだとされた時期でも、国軍が一定の勢力を維持してきた。Aさんは国軍を恐れ、過去4回、難民認定を申請したが、入管は認めなかった。19年に裁判を起こし、難民不認定とした国の処分取り消しなどを求めている。
裁判の争点は、大きく二つある。一つは、ミャンマーにおける国軍の現実的な影響力をどう捉えるか。もう一つは、難民として認めるかどうかを判断する際の根本的な考え方だ。
ミャンマーは2011年、軍政から民政に移管、15年には民主化運動のリーダー、アウン・サン・スー・チーさん率いるNLD(国民民主連盟)が総選挙で勝利して政権党となった。
しかし、議会の議席の4分の1は、国軍の最高司令官が指名する「軍人議席」であるほか、軍が国防相や治安・内務相、国境担当相の任命に関与する制度も残された。ここまでは日本政府も認めるが、問題は民政移管後の国軍の実態、影響力をどう見るかだ。
Aさん側は、NLD政権になっても国軍を批判する者に対しては、国軍による迫害が続き、本質的な変化はなかったと主張する。
その根拠の一つとして引用するのが、18年9月、国連人権理事会による国際調査団の報告書だ。少数民族に対する人権侵害や虐待を明らかにし、「軍は日常的に民間人を標的とし無差別攻撃を遂行している」と述べている。
今年2月の軍事クーデター発生直後の本人尋問で、Aさんは「(入管の担当者には)NLD政権になったとしても、軍の勢力が残っている限り、あるいは刑務所の中に政治犯がいる限り、私は帰れませんと答えた」と述べた。そして、今の状況はより悪化し「民主化を望む人たちへの危険は一層増した」と語った。
クーデター後、現地から届く映像や情報は、国連の調査団が指摘した少数民族への迫害が、いまや全土に広がったことを示し、Aさんの恐怖が正しかったことを裏付けている。
これに対して国側の認識はどうか。
5月13日に準備書面が提出されたが、クーデターへの言及は一切なく、「(15年3月の)本件難民不認定処分時点において…(原告が)ミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱くような個別かつ具体的な客観的事情があるとは認められない」と処分当時の判断の妥当性を繰り返しただけだった。クーデターという現実に向き合おうとしないかたくなな姿勢をとり続けている。
▽不当に重い証明責任
国側の「迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱くような個別かつ具体的な客観的事情」という主張は、もう一つの争点である難民認定の考え方と実務に関わってくる。
難民条約で「難民」とは「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」とされている。国側のそれと比べれば、難民条約の「十分に理由のある」恐怖を、国が「個別かつ具体的な客観的事情がある」恐怖と読み換えていることが分かる。
それによって、単に迫害を受けるおそれがあるという抽象的な可能性だけでなく、個別的で具体的な事情の存在を要求する。
これをAさんに適用すれば、国軍から個別に把握されたり、特に注視されたりしているという証拠はないので「難民には当たらない」というのだ。
一方、Aさん側は、国際的な難民法研究者の考えを援用して、難民を申請した人の行動や行為が、当局側から見て政治的抵抗と現にみなされ、またはみなされてきたかどうかが判断基準だと主張する。つまり、ミャンマーでAさんと同じような政治的立場をとる人に何が起きているのかを見るべきだというのだ。
Aさんの活動を国軍が現に知っているかどうか、あるいは知ったとしたらどうなるのか。それを客観的に証明するには実際に帰るしかない。しかし、いまミャンマーで起きていることを考えれば、帰国したAさんにどんな弾圧が加えられるかは想像に難くない。このような難民認定の考え方では、難民は保護されない。
5年前、難民不認定処分を取り消した名古屋高裁判決はこう述べる。
「難民認定申請をする者は、通常、非常に不利な状況に置かれているのであって、証明責任を不当に厳格に解して、保護を受ける必要のある難民が、保護を受けられなくなる事態が生じてはならない」
国を持たない最大の民族と言われるクルド人や少数民族を含むミャンマー人は、欧米では難民と認定されている。しかし、日本政府はトルコ国籍のクルド人を難民と認めず、ミャンマー人もこの数年ほとんど認められていない。入管が、前述した「個別把握基準」とも呼ぶべき閉鎖的な姿勢に固執しているからだ。難民認定率が1%前後という“難民鎖国”の大きな要因がここにある。
▽地球上で行き場を失う
もう一つ、印象的な判決を引こう。東京高裁は昨年、旧ソ連の崩壊で無国籍になったジョージア生まれの男性について、難民認定しなかった国の処分を「違法」として取り消した。野山宏(のやま・ひろし)裁判長は次のように述べている。
「男性が過去にジョージアで受けた民族差別による迫害の恐怖は、現在も継続している」「難民であるばかりでなく無国籍者でもあって受け入れ見込み国が存在しないこと、退去強制命令を発すると地球上で行き場を失うことは、(入管の)審査官ら担当者にも一見明白だった」
今国会に提出された入管難民法改正案は、多くの問題点が指摘され断念に至った。成立していたら、3回以上難民申請をしているAさんは、原則として強制退去の対象となる。だが、母国に戻れば命の危険があるから、送還には応じないだろう。
そこで改正案が新設しようとしたのが退去命令の拒否罪だ。有罪なら刑務所へ。出所しても在留資格はないから、再び退去が命じられる。そしてまた拒否罪で服役…。地球上で行き場を失うこんな「身柄拘束の無限ループ」(支援の弁護士)まで組み込まれていた。
入管に対しては、今年3月、収容中に死亡したスリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさん(33)をめぐって、医療放棄が疑われ、隠蔽(いんぺい)や虚偽ともとれる中間報告が問題化した。遺族への不誠実な対応も批判されている。
これまでにも、収容者がハンストの末に餓死したり、自殺や自殺未遂が起きたり、職員による収容者の暴力的制圧が明らかになっている。問題を省みることなく入管の権限を強める改正法案は廃案が妥当だ。
国連難民高等弁務官を務めた緒方貞子さんはこう語っている。
「制度や法よりも前に、まずは人間を大事にしないといけない。耐えられない状況に人間を放置しておくということに、どうして耐えられるのでしょうか」(「聞き書 緒方貞子回顧録」岩波書店)
難民認定や在留特別許可などの審査、摘発、収容、仮放免、送還まで、入管の仕事のすべてにわたって、「迫害を受けるおそれ」におびえる人たちの人権を尊重し、人間性を大切にする姿勢が、いまこそ求められている。それを担保するためにも、第三者機関が関与する仕組みを構築していくべきだ。