写真は語る 雲仙・普賢岳噴火災害<3> 深夜なのに明るく  自営業 亀田広望さん(72)=南島原市有家町=

1991年12月20日午前1時ごろ、南島原市深江町岩床山から撮影した雲仙・普賢岳

 思わず後ずさりしたのは人生で「あの時」が初めてだ。1991年12月20日午前1時すぎ、雲仙・普賢岳を正面に見据える長崎県南島原市深江町の岩床山に三脚を据え、シャッターチャンスを待った。
 旧南高有家町時代、有志で町おこしの会を立ち上げ、「日本一のそうめん流し」などのイベントを開催したが、交流人口はなかなか増えなかった。90年11月17日、普賢岳から上がる噴煙を見た時に「これだ」とひらめいた。
 198年ぶりに噴火した「普賢さん」の写真展を開こうと一念発起。ニコンの高価な一眼レフカメラなどを買いそろえた。最初は遊び心で始めた写真撮影にがっつりはまった。
 深江町側から見て、噴火活動が激しさを増したのは、大野木場小の旧校舎が91年9月15日に大火砕流の熱風で全焼してからだった。溶岩ドームが次々崩壊。マグマが噴き出していた。
 12月20日の「あの時」も赤い点々が見え、300ミリの望遠レンズをテレコンバーターで600ミリにして撮影していた。「ゴォー」。ごう音とともにマグマが噴き出した。深夜なのに真昼のように明るくなった。熱風が深江側に吹いていたら自分はどうなっていただろう。
 古く赤茶けたアルバムの数々。数えていないが、2千枚以上はある。改めて見ると、噴火のすさまじさがよみがえってくる。あの時、現場で肌で感じたことがある。「自然の猛威にはあらがえない。人生はなるようにしかならない」と。


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