大御所・村田英雄「ビートたけしのオールナイトニッポン」に生出演! 1981年 5月28日 ニッポン放送「ビートたけしのオールナイトニッポン」に村田英雄が生出演した日

「ビートたけしのオールナイトニッポン」村田英雄、伝説のスタジオ生出演

やー、たけしくん。本当に長い間ね、村田先生、村田先生と売り込んでもらって本当に感謝してるよ。(中略)私はもう今日は改めてお礼を申し上げます。
ところがねえ、たけし! 芸能界の、君から見りゃあ俺は大先輩だよな。デッカいアタマだとか、初めの頃は俺もぐっと我慢して聞いてたんだけどさ、時たま聞くに堪えないこと言ってんだよな。
(中略)ま、いいだろ。二人でゆっくり今日は語り合おうじゃない。そういうわけで、ビート・村田のオールナイトニッポン!

It was 40 years ago today.
40年前の1981年5月28日木曜深夜25時(日付は29日)、上記の村田英雄の語りとタイトルコールで『ビートたけしのオールナイトニッポン』(以降『たけしのANN』と略)が始まった。「デカアタマコーナー」でさんざんネタにされていた演歌の大御所・村田英雄が遂にスタジオに生登場したこの放送、冒頭のトークからどうなることかと緊張感があったが、終わってみれば初期『たけしのANN』を代表する回となったのだった。

いつのまにか村田英雄が主人公?「デカアタマコーナー」

この年1981年の元旦にスタートした『ビートたけしのオールナイトニッポン』、その最初期を代表するコーナーのひとつが「デカアタマコーナー」だった。

このコーナー、当初は「デカアタマトリオのコーナー」と銘打たれ、村田英雄、三波春夫、三橋美智也の三人の大御所のネタを紹介するはずだったが、リスナーから寄せられるネタが村田先生ばかりだったので、程無く村田先生単独のコーナーに落ち着いた。

ホテルのフロントで「村田だ、キー出せ!!」と言った直後、隣の売店で「村田だ!! ガムくれ!」と言ったとか、飲み屋で「おい! 村田だ!! ボルト出せ!!」と言ったとか、テレビの幼児番組でアルファベットを書いたらEがヨになっていたとか、たけしが語るエピソードとリスナーからのハガキで虚実入り混じった、いや殆どが虚なのだろう、爆笑ネタが続々OAされた。

これに対し村田先生からは録音されたメッセージとスタジオへの直電でリアクションがあった。直電では番組で一緒になったたけしがきちんと挨拶をしなかったことに少々不満のご様子もあったが、いずれも怒っている印象は殆ど無かった。そしてこの夜の生放送を迎えたのである。

スケールが大きい村田英雄、返しも当意即妙!

番組はリスナーからのハガキも交えたトークが中心となった。

「(村田先生が)そういう元気だと急にプッツンと来ますからね」
「馬鹿なこと言っちゃあいけないよ。ハハハハ! 怒るぞしまいにゃ、本当にこの野郎、たけし!」

自ら「僕は心が大きいから」と言っていた村田先生はたけしの毒舌やリスナーからの失礼なネタを豪快に笑い飛ばしていた。気持ちがいいほど村田先生の笑い声が響き、当時高1の僕もつられて夜中に大いに笑った。

リスナーからの質問:「被れる帽子はありますか?」
―― 「銀座に売ってるだろうよ」(爆笑)
リスナーからの質問:「うんこは一日何回しますか」
―― 「俺はよく出す方だ」(爆笑)

改めて当時の録音を聴くと、村田先生の返しも実に当意即妙。当時52歳ながら34歳のビートたけしと堂々と張り合っている。そのスケールの大きさにはただ脱帽せざるを得ない。

この夜一番の爆笑「夫婦酒」の替え歌

番組で流れる音楽も当然ながら村田英雄一色になった。オープニングでかかったのは代表曲のひとつ「皆の衆」(1964年)。次に流れたのは1979年のヒット曲「人生峠」。

そして「村田先生 歌謡教室」と題して、村田先生の座付きのアコーディオン高島秀雄の伴奏で、ビートたけしが「花と竜」、一番弟子・東国原英夫が「人生劇場」、構成作家・高田文夫が「無法松の一生」、ディレクターの森谷和郎(現・ニッポン放送取締役)が「王将」を歌い、全員で「皆の衆」を合唱。そして村田先生も「男の土俵」(1964年)を生で歌った。夜中とは思えぬ歌声が轟いた。

そして1980年にリリースされこの頃ヒットしていた「夫婦酒」(みょうとさげ)がかかる直前、この日一番の爆笑が巻き起こる。この曲の替え歌の歌詞がリスナーから送られていたのだが、その2番冒頭の歌詞である。

「見たか三波、この人気」

村田先生は勿論、たけしも、そしてスタジオ全体が爆笑し、暫く続いた。真実の程は分からないが、たけしは村田英雄と三波春夫の不仲説を唱えていた。そこを突いたこの歌詞。間違い無くこの夜のハイライトとなり、『ビートたけしのオールナイトニッポン』史上でも屈指の爆笑となった。ぜひ下記のリンクから歌を聴いて歌詞を当てはめてみて欲しい。この曲こそが、後述する “ムッチーブーム” を象徴する1曲であった。

村田英雄の慧眼、ビートたけし“悪口の作法”

番組は「花と竜」(1964年)がテーマ曲の「ラジオ名作劇場 任侠巨編「男の盃」」という、悪党の三波組への殴り込みで村田親分を庇ってたけしが亡くなってしまうというラジオドラマが放送され、そして最後に「男の土俵」が流れ、番組途中で村田先生はスタジオを後にした。

三橋美智也の “ミッチー” に対抗して村田英雄には “ムッチーブーム” なる言葉が生まれた。村田先生とビートたけしはエナジードリンクのCMで共演を果たし、「村田だ!」というフレーズは清水アキラがものまねで使うようになった。

『オレたちひょうきん族』は未だ特番が1回放送されただけでレギュラー放送は10月から。お茶の間でのブレイク前夜のビートたけしにとっても、そして村田英雄にとっても、40年前の今晩の『ビートたけしのオールナイトニッポン』は正に記念すべき回だったのではないだろうか。

番組冒頭で村田先生はたけしにこう語っている。

「お前さんのしゃべるその口調がね、ものすごく温かいんだよ、何を言っても」

これこそが村田先生の慧眼であり、たけしの毒舌に腹を立てなかった理由であると僕は思う。「悪口には愛情が必要」僕はこのことをビートたけしから学んだ。SNS時代の現在にも通じるのではなかろうか。 

村田英雄は2002年6月13日、73歳でこの世を去った。晩年は両脚を切断し痛々しい姿だったが、『たけしのANN』のお陰で僕の耳には、豪快なあの笑い声が今でも残っている。

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カタリベ: 宮木宣嗣

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