クイーンの映画「ボヘミアン・ラプソディ」物語の完結は? 地上波初放送!フレディ・マーキュリーに焦点を当てたクイーンの伝記映画「ボヘミアン・ラプソディ」

ロックを題材にしたエンタメの最高峰「ボヘミアン・ラプソディ」

映画 『ボヘミアン・ラプソディ』はロックを題材にしたエンタメの最高峰に位置する傑作。フレディ・マーキュリーという希代のエンタテイナーの絶望的な孤独と音楽への有り余る愛が随所で描かれ、クイーンを知っている往年のファンも、偉大なバンドの歴史を知らない人をも魅了した。

フレディの心の葛藤を演じ、天才的なパフォーマンスを再現し、アカデミー賞の最優秀主演男優賞を受賞したラミ・マレックには惜しみない拍手を何度でも贈りたい。その想いは公開から2年半が経ったいまも変わらない。

日本では、クイーンが本国イギリスでブレイクした1974年頃にはすでに洋楽人気トップバンドに台頭。1975年には初来日フィーヴァー。1976年に「ボヘミアン・ラプソディ」で世界ブレイクした頃には、メンバーが感謝の意を込めて「手をとりあって」で日本語歌詞が歌われるなど、クイーンと日本は特別な関係で繋がっていた。だからこそ映画『ボヘミアン・ラプソディ』は日本では世代によって捉え方が大きく異なり、まさに老若男女、それぞれの想いが交錯した。

クライマックスシーンは「ライヴエイド」、思い出したものは…

映画のクライマックス、『ライヴエイド』で「ボヘミアン・ラプソディ」を歌いだすシーンを初めて劇場で観た時、僕の脳裏をよぎったのは、それこそ劇中の舞台と同じ1985年の夏のことだった。

僕にクイーンを教えてくれたのは、ひとまわり歳上のM先生。町内の家庭塾で週に一度英語を教えてくれた同級の従兄弟だった。ヒューイ・ルイスのように顎が割れたルックスも忘れられない。中学3年の4月。修学旅行と重なり親に反対されてブルース・スプリングスティーンの初来日公演に行けなかったことを悔しがっていると、「それじゃ来週から始まるクイーンの来日コンサートに一緒に行く?」と誘ってくれた。アメリカンロックに開眼中であることを理由に断ると「後悔するよ」と笑っていた。

M先生は授業でクイーンの歌詞をよく題材にしていた。僕にいじわるするかのように(?)高校1年の時に1975年のクイーンの初来日公演に行ったことが自慢だった。

「初日の日本武道館は満員で盛り上がったのに「ボヘミアン・ラプソディ」も「伝説のチャンピオン」も「ウィ・ウィル・ロック・ユー」もまだ発表されていなかったんだよ」

そんな口癖の優越感の意味と洋楽史の重要性を知るのはもう少し後のことだった。

1985年5月、クイーン「ザ・ワークス・ツアー」で来日公演

1985年5月、クイーンの6度目の来日公演は『ザ・ワークス』のワールドツアーの最終地だった。映画『ボヘミアン・ラプソディ』では、久しぶりにメンバーが集まって『ライヴエイド』に向かって行くようだったが、実際には直前までフルセットのライヴを行っていたことになる。

一方で、ワールドツアーとフレディの初のソロ・アルバム『Mr.バッド・ガイ』のリリースが重なったことと、アパルトヘイト政策を掲げた南アフリカでの公演、『ロック・イン・リオ』での女装の失態も無縁で解散の噂がまことしやかに流れていたのも事実。

そんな空気のなかで行われた1985年5月のクイーン通算10回目の日本武道館のステージは「演奏はベストじゃなかったけれどステージは豪華な演出で感動した」。過去全ての来日公演に足を運んでいたM先生らしい評価だった。夏には先生がダビングしてくれたクイーンのアルバム・カセットが僕の部屋の棚にはたくさん並んでいく。

フジテレビが生中継「THE 地球CONCERT LIVE AID」

1985年7月13日夜。フジテレビが生中継していた『THE 地球CONCERT LIVE AID』を観るためにブラウン管の前にかじりつき。眠い目をこすりながらも出演者たちをノートにメモ。無邪気で楽しい時間だった。

明けて14日の朝4時前。突然、画面いっぱいにフレディ・マーキュリーのアップ顔が映し出され気がつくと「ボヘミアン・ラプソディ」を歌っていた。いつのまにか「RADIO GA GA」の演奏が始まり、プツっとCMに入っていたような……。

翌日、月曜日の夜は定例の英語塾。僕は昨夜の興奮を伝えると、M先生はいつになくいたってクールだった。こんなようなことを言っていたような気がする。

「チャリティなのに「マイ・ベスト・フレンド」「愛にすべてを」とかじゃなくて、「ボヘミアン・ラプソディ」をいきなり演奏しちゃうことがクイーンらしいだろ? あれでイギリスの国民はクイーンがいることをあらためて誇りに思ったんじゃないかな。ま、あのセットリストは2か月前の来日公演ハイライトの凝縮版だけどね。練習したんだろうなぁ。演奏は遥かによかったけれど」

「♪ Mamaaa, Just killed a man~」の歌詞を教材にしていた先生のほうが、僕には遥かに刺激的だったけれど。

映画「ボヘミアン・ラプソディ」物語の完結は?

M先生は結婚して引っ越してしまったので “クイーン講座” はその年の暮に終わった。翌春、クイーンのアルバム『カインド・オブ・マジック』を聴きながら来日公演会場で先生との再会を楽しみにしていた。

先生と同じ高1でのクイーン初体験を待ち望んでいたけれど、クイーンの来日発表はなかった。『カインド・オブ・マジック』のワールドツアーは1986年夏に終幕。周知、その後フレディ・マーキュリー在籍のクイーンが来日することはなかった。

M先生は映画『ボヘミアン・ラプソディ』は観たのだろうか。先生に感想を求めたらきっと「実際にフレディがHIV感染を告白したのは1987年だけどね」と笑みをこぼすに違いない。かつての “クイーン講座” の生徒として僕は答えたい。

「映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観たあとに、ライヴエイドで大復活を遂げたステージ=ウェンブリー・スタジアムで再び最高のステージを展開した1986年の『ライヴ・アット・ウェンブリー・スタジアム』のDVDを鑑賞すると物語は完結すると思います」

「『ライヴ・イン・ブダペスト’86』も忘れちゃいけない」―― 先生からはそんなお叱りも受けそうだが。

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カタリベ: 安川達也

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