マドンナのアルバムで最も売れた「トゥルー・ブルー」ギネス世界記録にも認定! 1986年 6月30日 マドンナのサードアルバム「トゥルー・ブルー」がリリースされた日

アルバム トゥルー・ブルーのオープニングは「パパ・ドント・プリーチ」

マドンナのサードアルバム『トゥルー・ブルー』のオープニングを飾った「パパ・ドント・プリーチ」は衝撃だった。

16歳、自分の部屋のスピーカーから初めてクラシック音楽が流れた瞬間だったような気がする。ヴィヴァルディを彷彿させる荘厳なストリングスから展開するポップチューンは、世界的な10代の妊娠中絶問題がテーマだった。

「パパ、怒らないでね」。それまでクラシック音楽しか聴かなかったような厳格な父親と、流行の最先端ダンスチューンを愛聴する娘。ミュージックビデオでも顕著なほど良い緊張感の対峙が、次第に互いを理解しあいながら最後は寄り添い和解していく様を4分28秒のポップソングで表現したマドンナ。

彼女は1986年夏、間違いなく時代のオピニオンリーダーであり、優れたソングライターの仲間入りを果たした。

80sポップスの宝箱「トゥルー・ブルー」

MTV盛況下、セカンドアルバム『ライク・ア・ヴァージン』(1984年)の空前の大成功で希代のセックスシンボルとなったマドンナ。

世界中が次作を注目するなか、彼女は全曲のソングライティングを自ら手がけ(作曲の共作は様々)、アルバムプロデュースも務めることを誇示。俳優ショーン・ペンとの新婚期とも重なり、新しい女性観から描いた楽曲群は瑞々しい言葉の数々で描かれた。

そしてこのアルバムから生まれた多くのヒットシングルの世界観もひとつひとつが明確で、新マドンナ・チームで仕掛けたサウンドもバラエティ豊かなものとなった。まさにクイーン・オブ・ポップからプレゼントされた80sポップスの宝箱が『トゥルー・ブルー』だった。

最も売れたマドンナのアルバム、セールスでギネス世界記録に認定

ソングライターとしての非凡さを証明、シンセサイザーを駆使したバラード「リヴ・トゥ・テル」(1986年6月全米1位)。前述のドラマティックでシリアスな展開が斬新な「パパ・ドント・プリーチ」(1986年8月全米1位)。モータウン風な3連のリズムも軽快なタイトル曲「トゥルー・ブルー」(1986年11月全米3位)。パーカッションのリズムと16ビートが溶け合うダンス・ロック・チューン「オープン・ユア・ハート」(1987年2月全米1位)。スパニッシュ・ギターとマラカスが心地よいトロピカルな大人のダンスチューン「ラ・イスラ・ボニータ」(1987年5月全米4位)。アルバム『トゥルー・ブルー』からは、前作『ライク・ア・ヴァージン』の4曲を上まわるキャリア最多の5曲の全米トップ5ヒットが生まれた。

アルバムも5週連続で全米1位を記録、本国アメリカだけで700万枚のセールスを記録している。世界では28か国のチャートで1位に輝き、累計2500万枚のセールスを突破しマドンナのアルバムで最も売れた1枚となった。

ホイットニー・ヒューストンの『ボディガード』に破られるまで、女性アーティストによる最も売れたアルバムとしてギネス世界記録認定されていた。

日本でもCDチャートで初登場1位、吹き荒れたマドンナ旋風

日本ではKUWATA BAND『NIPPON NO ROCK BAND』に総合(LP)チャートの首位は阻まれたが、CDチャートでは初登場1位、洋楽アルバムチャートでは6週連続1位を獲得、マドンナの日本国内最高となる70万枚を超えるセールスを記録。

1987年3月に発表された日本レコード協会が主催する記念すべき第1回日本ゴールドディスク大賞の洋楽部門ではマドンナとしてアーティスト・オブ・ザ・イヤー、『トゥルー・ブルー』でアルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞している。

同賞受賞のニュースが流れていた頃には、マドンナの『フーズ・ザット・ガール・ツアー』が日本からスタートすることが発表され、6月の初来日公演チケットはすでにプラチナ化、洋楽を超えた老若男女の一般リスナーも巻き込む “マドンナ旋風” が吹き荒れようとしていた。

最後に、80年代国内洋楽アルバム・セールス・ランキングをお届けしたい。ちなみに筆者は上位10枚に各1枚計上で間違いなくセールスに貢献しているようだ。

【1980年代 国内洋楽アルバム・セールス・ランキング】(筆者調べ)
1位:マイケル・ジャクソン / スリラー(1982年 約158万枚)
2位:サウンドトラック / フラッシュダンス(1983年 約106万枚)
3位:サウンドトラック / フットルース(1984年 約92万枚)
4位:ワム! / メイク・イット・ビッグ(1984年 約82万枚)
5位:フリア・イグレシアス / 愛の瞬間(1982年 約81万枚)
6位:サウンドトラック / トップガン(1986年 約73万枚)
7位:マドンナ / トゥルー・ブルー(1986年 約71万枚)
8位:アラベスク / グレイテスト・ヒッツ(1981年 約68万枚)
9位:マイケル・ジャクソン / BAD(1987年 約62万枚)
10位:マドンナ / ライク・ア・ヴァージン(1984年 約59万枚)

カタリベ: 安川達也

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