1986年の桑田佳祐と佐野元春、30歳になった2人のロックミュージシャン 1986年 7月5日 KUWATA BANDのセカンドシングル「スキップ・ビート」がリリースされた日

1986年のシングルチャートを賑わした桑田佳祐と佐野元春

1986年、共に30歳を迎えた2人のロックミュージシャンがシングルチャートを賑わした。桑田佳祐と佐野元春である。

その前年、桑田佳祐はサザンオールスターズとして8枚目のオリジナルアルバム『KAMAKURA』をリリース。実験的な要素を含む2枚組の意欲作で、バンドが音楽的なピークを迎えたことを示すと同時に、ひとつの区切りをつけるタイミングの訪れを感じさせた。

佐野元春はといえば、アルバムリリースこそなかったものの、「Young Bloods」と「CHRISTMAS TIME IN BLUE-聖なる夜に口笛吹いて-」という画期的なシングルレコードをリリース。他にもポエトリーリーディングと本を組み合わせたカセットブックを発表するなど、そのキャリアが新しいステージに入ったことを強く印象づけた。

こうして2人の1986年はスタートする。

4月、桑田佳祐はサザンオールスターズを1年間限定の活動休止とし、KUWATA BANDを結成。サザンよりもプロフェッショナルなサウンドをもつファーストシングル「BAN BAN BAN」をリリース。

5月、佐野元春が新しい時代の扉を押し開けるような鮮烈なナンバー「STRANGE DAYS-奇妙な日々-」をリリース。

7月、KUWATA BANDがダウナーで粋なロックチューン「スキップ・ビート」と、レゲエビートにのせた最高のサマーソング「MERRY X'MAS IN SUMMER」を同時リリース。佐野元春は裏打ちのビートに乗せた極上のアイランドチューン「SEASON IN THE SUN-夏草の誘い-」をリリース。

9月、佐野元春がこれまでになく豊潤なサウンドをもったロックナンバー「WILD HEARTS-冒険者たち-」をリリース。

11月、KUWATA BANDが必殺の桑田メロディーをもつバラード「ONE DAY」をリリース。 (※シングルレコードのみに言及)

KUWATA BAND「スキップ・ビート」でオリコン1位

桑田佳祐はそれまでもサザンオールスターズとしてシングルチャートを賑わせてきたわけだが、1986年に関してはそのスタンスにおいて異色な1年だったと言える。

そして、佐野元春がこれほどシングルレコードを集中的にリリースしたのは初めてのことだった。

桑田佳祐にとってKUWATA BANDでの活動は、単なるサザンの課外活動というよりは、サザン以外での自分の可能性を積極的にさぐるためのものだった。次々とリリースされるシングルからは、桑田佳祐の本気がひしひしと伝わってきた。

おそらくどの曲も最初からヒットを念頭において作られたのだろう。そして、いい意味でアマチュア気質の強いサザンとは異なり、KUWATA BANDのサウンドは徹底してプロフェッショナルなものだった。その結果、桑田佳祐は「スキップ・ビート」で自身初めてのオリコン・シングルチャート第1位を獲得することになる。

また、唯一のオリジナルアルバム『NIPPON NO ROCK BAND』を、全曲を英語詞で制作。このタイミングで「英語のロック」と「日本語のロック」を今一度比較検証しておきたかったのだろう。それはずっと日本語によるロックを摸索してきた桑田佳祐らしい区切りのつけ方でもあった。

佐野元春、M's Factoryの設立と季刊誌「THIS」の出版

一方、佐野元春は変わり続ける時代の空気にコミットし、新しいなにかを生み出そうとしていた。それは野心といっていいほどの強い気持ちであり、リリースされたシングルはどれも時代の断片を鮮やかに反映し、生き生きと輝いていた。そうしたサウンドを実現できたのは、彼と行動を共にしていたバンド=ハートランドとの関係がちょうどピークを迎えていたことも大いに関係していた。

シングルレコードをリリースする上で、佐野元春がイメージしたのは、同時代のイギリスやヨーロッパの音楽シーンだった。

例えば、ロンドンのDJがかけるUKソウルのレコードであったり、ザ・スミスをはじめとするラフ・トレード・レコードから発売されたインディペンデントなシングルレコードのことだ。

自主レーベル「M's Factory」の設立や季刊誌『THIS』の出版などからも、佐野自身のインディペンデントなものに対する共感が窺える。佐野元春はそこに新しい時代の「自由」を見ていたのかもしれない。

2人の共通点は、自分の音楽を時代とリンクさせようとする高い意識

桑田佳祐 1956年2月26日生まれ。
佐野元春 1956年3月13日生まれ。

誕生日が2週間ほどしか違わないこの2人が、30歳を迎えた年にシングルレコードを連作のようにリリースしたのは興味深いことだった。

その動機や衝動は違ったけれど、共通していたのは、自分の音楽を時代とリンクさせようとする高い意識だった。

シングルレコードはそのための有効な手段だったのだろう。即効性と気軽さ。ヒット曲だけがもちうる同時代性に、2人は大きな意味を見い出していたのだと思う。

※2017年5月27日に掲載された記事のタイトルと見出しを変更

カタリベ: 宮井章裕

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