大滝詠一「A LONG VACATION」のレコーディングは「君は天然色」から始まった 1981年 3月21日 大滝詠一のアルバム「A LONG VACATION」がリリースされた日

__リ・リ・リリッスン・エイティーズ ~ 80年代を聴き返す ~ 番外編 大滝詠一 / A LONG VACATION__

「A LONG VACATION」のレコーディング、ほんとのスタートはいつ?

3月に『A LONG VACATION』(以下『ALV』。『ロンバケ』と略すのはどうも好きじゃないのです…)について、『大滝詠一の寄り道、はっぴいえんどから「A LONG VACATION」ができるまで』で、 ちょっと書いたのですが、その中で、新しい謎として、「1980年4月18日がレコーディングのスタートとされている『ALV』ですが、その前から録音が始まっていた可能性がありますよー」ということを発議しました。

大瀧さんと松本隆さんの軽井沢への打合せ旅行に参加した白川隆三さん(当時CBSソニーの担当A&R)からの、その時点で何曲か、既にレコーディングされた音を聴かされたという証言と、その旅行は4月に実施されたという情報が、その発議につながったわけなのですが、そのフォローをしておきたいと思います。

40周年記念「A LONG VACATION VOX」に新たな情報が

2021年3月21日、発売40周年を記念して、『A LONG VACATION VOX』という、蔵出しコンテンツ満載のボックスセットが発売されましたが、その中に入っているブックレットを見ますと、年表があって、上記の軽井沢旅行が「1980年7月9日~7月12日」と書かれていました。上記の「4月」というのは、河出書房新社のKAWADE夢ムック『増補新版 大瀧詠一』の巻末に掲載された「大瀧詠一年譜」にある情報です。その年譜は評論家の湯浅学さんが作ったものです。

周知のように、松本さんは作詞を引き受けたものの、もともと病弱だった妹さんが心臓発作で倒れ、数日後に亡くなってしまい、ショックで詞を書くどころではなくなってしまいました。そのせいで『ALV』の発売は大幅に遅れることになったのですが、妹さんが入院したのは、6月1日と思われます。というのはそれが、時の総理大臣、大平正芳氏が遊説中に倒れ、緊急入院した翌日、しかも同じ虎ノ門病院の隣の部屋、という情報があるからです。

6月上旬に妹さんを亡くし、3ヶ月くらいは仕事が手につかなかった、と言われているので、打合せの旅行をしたのなら、当然6月以前だろうと思い込んでもいました。

だけど、7月なら、白川さんの証言、「軽井沢旅行の時点ではもうレコーディングは進んでいた」にも合点がいきます。妹さんのご不幸から1ヶ月ちょっと。打合せというよりは、松本さんをいたわる会だったのかもしれませんね。

大滝詠一「A LOMG VACATION」を語る 4万字インタビュー にさらなる情報

おなじく40周年VOXのブックレットに、「大瀧詠一『A LONG VACATION』を語る 4万字インタビュー」というものも掲載されています。2011年2月9日のインタビューと記されていますが、よくこんなに憶えているなと感心してしまうほど、『ALV』制作への流れや、制作エピソードが詳細に語られています。逆に考えると、記憶違いということもなきにしもあらずだと思いますが。ともかくその中に、

「7月28日目指して順調に、6曲くらいかな、録ったのだけど、突然松本くんの妹さんが亡くなられてね。「ちょっと書けそうにない」って(中略)だから1回チャラにして、夏は遊び呆けてましたよ。…」

「7月28日」は当初の発売予定日ですね。大瀧さんの誕生日。4月18日にレコーディングがスタートして、6曲くらい録ったところで、松本さんの妹が亡くなられると。亡くなられたのは6月上旬ですから、6曲録るのに1ヶ月以上もかかっていますが、まあ大瀧さんですから、そんなところでしょう。

「…それでも夏も終わろうとかいう頃、「そろそろ書けるかも」って2つくらい来たのよ。でもね、なんか妹さん引きずった暗い感じの詞だったから「まだ本調子じゃないなあ」と思っていたら、「ようやくそろそろ書けそう」ってなってきた時に、今度はそれこそスペクターから何からいつもレコードを世話してくれてた大阪のフォーエバーレコードの宮下さんが突然亡くなられたのです。それが東京で出張フェアするっていうから会おうねって言ってたのだけど、あいにくこっちは軽井沢に旅行に行ってて、それで最終日に戻ってきて電話して、「昨日山下(達郎)さん来てくれましたよー」なんて話をして、そこから数日後です。…」

このフォーエバーレコードの宮下(静雄)さんが、30歳という若さで亡くなったのは7月31日のようです。軽井沢旅行は7月9~12日。「数日後」と語っていますが、まあこれは誤差の範囲でしょう。しかし、「夏も終わろうかという頃」ではないですねー。「夏は遊び呆けてました」とか言いながら、ほんとは松本さんが復活してくれるのを待ちわびていて、だから大瀧さんの中では時の経つのが早かったのかも。

「…その流れで太田裕美さんのディレクターやってた白川隆三さんが登場してきた。『ロンバケ』のレコーディング始めて2ヶ月くらいたってた頃に会いました。…」

これも白川さんの証言を裏付けてくれる発言でした。

確認できたレコーディングの史実

ということで、要するに「軽井沢旅行」の時期の問題でしたね。これまで参照していた年譜を、大瀧さんにも近かった湯浅学さんが作ったものだから間違いなかろう、と疑わなかったための早とちりでした。

改めて、『A LONG VACATION』のレコーディングは、1980年4月18日、CBSソニー六本木スタジオのAスタで、「君は天然色」からスタートした、というのが史実です。

お騒がせしましたが、ここに訂正し、お詫びいたします。

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カタリベ: ふくおかとも彦

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