川崎・多摩川スピードウェイ観客席 日本初の常設サーキット「遺構残して」

現在も当時の姿を残す多摩川スピードウェイの観客席跡地=川崎市中原区((C)多摩川スピードウェイの会)

 川崎市中原区の多摩川河川敷に開設された日本初の常設サーキット「多摩川スピードウェイ」の遺構を巡り、保存を求める動きが熱を帯び始めている。今も残る観客席が当時の面影を伝えているが、10月に着工予定の堤防強化工事で壊される可能性が浮上。伝説のレースを繰り広げ「日本の自動車産業の発展に寄与した」とも称される“歴史遺産”だけに、行政も最良の解決策を模索しているようだ。

 多摩川スピードウェイは、陸軍青年将校らによるクーデター未遂事件の2.26事件や、ベルリンオリンピックが開催された1936年にオープンした。22年以降、国内では自動車競走が複数開催されたが、いずれも埋め立て地などの仮設コースで悪路だった。常設コースを求める声が高まる中、国が自動車産業育成を目指した背景もあり、東京横浜電鉄(現東急電鉄)が土地を提供し、アジア初の常設サーキットとしてオープンした。

 コースは1.2キロの楕円(だえん)形で、堤防部分に3万人収容のコンクリート製観客席が設けられた。現在、コース跡はサッカー場や野球場となっているが、約350メートルにわたって残る観客席は当時のまま。同サーキットでのレース出場者の親族や自動車ジャーナリスト、歴史研究家らによる市民団体「多摩川スピードウェイの会」の片山光夫会長(76)は、「奇跡的に残った。日本で一番最初に始まった自動車レースの跡地としては唯一で、アジアでも唯一だ」と説明する。

 川崎市も観光資源としての価値を認め、河川環境を創出するため2016年3月に策定した「新多摩川プラン」に「多摩川スピードウェイ跡地の保存」を明記した。同5月には、サーキット開場80周年を記念し同会が現地に記念プレートを寄贈、福田紀彦市長らも参加し除幕式が行われた。

 一方、多摩川流域は19年秋の大型台風で浸水被害に見舞われ、治水対策が喫緊の課題に浮上。河川敷の堤防強化工事を順次進めてきた国土交通省京浜河川事務所は、今年10月に同サーキット跡地の工事に着手することを決めた。観客席を完全に取り壊し、盛り土や連接ブロックで新たな堤防を作る計画だ。

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