第1回 はじめまして、広海 深海です。

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インスタグラムやYouTubeで人気の広海 深海さんの新連載がスタート!

双子のタレントとしてデビューし、さまざまな経験を経てたどりついた、人生のマイルストーン。
お二人のにぎやかな人生の経歴をはさみつつ、さまざまなテーマについて語って頂きます。
初回はお二人の生い立ちと、現在のお仕事について。

楽しく軽やかに生きるための広くて深い、ここだけの話。


広海 どうも〜。双子の広海 深海です!

深海 って、言われたところでなかには「一体、何者?」と思う人もいるだろうから。
記念すべき連載第一回目はまず、自己紹介から始めましょうか。

広海 ぼく、兄の広海はデジタルマーケティング会社の社長をやっております。
デジタルマーケティングはもちろん、国内外のファッションやビューティーのP R、ときには広告やイベントのディレクションからキャスティングまで一括して担当。わかりやすく一言で説明すると“小さな広告代理店”のようなお仕事をしております。

深海 ぼくはスタイリストをしているんですけど。スタイリングだけでなく、ファッション専門学校で非常勤講師、アパレルブランドやドラマや漫画のファッション監修など、幅広くお仕事させていただいております。

広海 とはいえ、インターンの修行時期を経て、ぼくが独立して会社を作ったのが約3年前。深海ちゃんはスタイリストとして独立したのが24〜25歳の頃で。

深海 それまでは私たち、“広海深海”という芸名で芸能活動していたんですよ。

極貧生活から抜け出すために家を飛び出した、14歳の夏休み

広海 芸能界入りのきっかけは…。デビュー前、ぼくは飲食店でアルバイトをしていたんですけど。そこに芸能界でお仕事をしている人たちがよくきていて。「双子のゲイなんて最高に面白いじゃん!」「なんで芸能界に行かないの?」とやたら言われるようになって。

深海 で、「じゃあ、何かしてみる?」と試しに受けてみたのが『笑っていいとも!』の“花より双子”という素人参加コーナーだったんです。

広海 それをきっかけにスカウトされたんだよね。

深海 でも、実は私たち、最初は芸能界に全く興味がなかったんですよ。興味がないというか、その選択肢がまず自分たちの中になかったというか。

広海 私たち、中卒だしね。

深海 そう、中卒なんです。しかも、14歳のときに二人で実家を飛び出しているっていう。

広海 ママチャリで40分かかる駅まで走って、片道切符を握りしめ電車に飛び乗り、生まれ育った三重の伊勢志摩を飛び出して大阪に向かって。

深海 その理由はまあ色々あるんだけど……それは後々語っていくとして。

広海 一言で言うと「貧乏だったから」になるのかな。

深海 広海深海のWikipediaを開いて“貧乏エピソード”っていうパートを読んでいただければわかると思うんですけど。あれ、だいたい合っていますからね(笑)。私たち、本当にめちゃくちゃ貧乏だったんですよ。

広海 それこそ、14歳の子供が家出するなんて普通なら大事になると思うんだけど。学校の先生も「しょうがないよね」と黙認するほどの家庭環境だったんです。

深海 例えば、学校の進路相談とかあるじゃないですか。私たちにとっては将来のことより「今、どうやって生きていくか」のほうが大切だったから、先生と全く話が噛み合わないんですよ。今日食べることにすら困っているのに、その先の進路や就職を考えろと言われてもチグハグな感じがして……。私たちの生活ではなく教育を支えるのが先生たちの仕事だから、それは当たり前のことなんだけど。当時は「この生活から抜け出すにはどうすればいいか」それしか考えていなかった。

広海 で、そんなときに手に入れたのが携帯電話で。

深海 今も忘れやしない、docomoのFOMA(笑)。

広海 「携帯さえあれば、なんとかなるっしょ」と背中を押されて。

深海 家を飛び出したのが中2の夏休み(笑)。幼い私たちにとっては“今の生活から抜け出すための選択肢”が“ここから出ていくこと”しかなくて。「とにかく、その先のことは出てから考えよう」って、大阪に向かうことになったんだよね。

迷走し続けた芸能活動

広海 大阪に出てからは、いろんな人に出会い助けられて。

深海 私たちの人生、いろんなことがあったけれど、本当に“出会い”と“人”にだけは恵まれているなって思う。事情を知った親切な人が家に置いてくれたり…。

広海 深海ちゃんの彼氏の家にぼくも一緒に転がり込んだり(笑)。

深海 居酒屋にチラシ配り…アルバイトも死ぬほどしたよね、年齢を誤魔化して(笑)。

広海 ただ、生活するのは大変だったけど、人の道から外れたことだけは絶対にしなかった。一線を超えるようなことは絶対にしたくなかった。育ててくれたおじいちゃんとおばあちゃんのためにも。

深海 あ、私たち、祖父母に育てられたんですよ。おじいちゃんとおばあちゃんに感謝しているからこそ、「絶対に悲しませることはしない」って二人で決めたんだよね。

広海 で、そんなときに舞い込んできたのが芸能界からのお誘い。そんな状況だからこそ「興味がなかった」というより、「将来のことを考えていなかった」が近いのかな。あの頃も相変わらず生きるのに必死だったからね。

深海 私たち、基本的に「今、どうしたいか」しか考えていないよね。今も昔も。

広海 ただ、漠然と子供の頃から「東京に出たい」という気持ちはあって。

深海 芸能界に入るなら東京に引っ越してくださいって感じだったので。「だったら、これでいっか」って(笑)。

広海 で、18歳で遂に上京するんだけど。芸能活動は全くもって順風満帆というわけではなかったよね。仕事を始めたばかりの頃は、芸人としてではなく、にぎやかしとしてドラマに出演したりして。

深海 私たち、最初の数年はゲイだってことを隠して活動していたんですよ。その理由は、単純に「おばあちゃんが可哀想かな」と思ったから。おばちゃんはもう亡くなっているんですけど、死ぬまで気づいていなかったと思う。

広海 芸能活動を始めて数年経ってから、カミングアウトしているんですけど。おばあちゃんはあまりにもコンサバティブすぎて、理解できなかったというか(笑)。

深海 電話で話すときも「いつ結婚するの」って感じで。「結婚もしないうちに女性を孕ませるんじゃないぞ」って、何度も真剣に言われましたからね(笑)。

広海 で、カミングアウト後は“おねえブーム”に乗っかって、仕事がうわっと増えたんです。そもそも「じゃあ、これでいっか」の精神で仕事を始めてしまったから。私たちには「芸能界で天下取ったる」みたいな野心やハングリー精神もないわけですよ。

深海 幼い頃から大人の顔色を見すぎてしまったというか。周りの空気を読みすぎる癖がついてしまって。「この人はこうしてほしいんだろうな」「この場ではこうしたほうがいいんだろうな」と、周りの大人たちが求めるまま、言われるままに動いてしまって。

広海 それが違う世界なら上手い方向に転ぶこともあるけれど、芸能界はそうもいかない。“前に出てナンボ”の世界じゃないですか。

深海 とにかく騒いで目立とうとしてたんですけど、うまくいかなくて。

広海 だから、芸能界では上手くいきませんでした(笑)。

「とりあえずやる! やってから考える! ダメだったらやめればいい!」

広海 芸能界とは違う場所で仕事をしようと思うようになったのは…。途中で「私たち、何が目的だったんだっけ?」と考えるようになったんですよね。そこで「そうだ、お金が稼ぎたいんだった」と、家を飛び出したそもそもの理由を思い出して。

深海 また、ここで私たちが恵まれているのが、アドバイスしてくれるビジネスの知識に長けた大人たちが周りにいたこと。

広海 その人たちに言われたんですよ。「お金を稼ぎたいのならば自分で仕事を立ち上げなさい」って。で、“お金を稼ぐこと”にフォーカスして生きているぼくは会社を立ち上げ、“自分が何をしたいか”にフォーカスして生きている深海ちゃんはスタイリストを始めたっていう。

深海 それが私たちの現在地(笑)。

広海 細かいことは追々ってことで、かな〜りザックリと、“自己紹介”として私たちの歩みを語らせていただきましたが。こういう話をすると、周りからよく「怖いもの知らず」とか言われるのよね。

深海 まあ、確かにその通りかもしれないよね。私たち、新しい世界に飛び込むことを躊躇しないし、変化することも全く恐れないから。

広海 育ってきた環境が良くも悪くも面白すぎるほどにドラマティックだったから、ちょっとやそっとのことでは動じない人間性が育てられたっていうのもあるし。

深海 あとは、やっぱり14歳のときに何も考えずに家を出たっていうのが大きいよね。その選択が自分たちにとってベストな結果になった。だからこそ、それをこれからもやり続ければいいんだって。「とりあえずやる! やってから考える! ダメだったらやめればいい!」それは今も昔も変わらない私たちのスタイルですからね。

広海 「明日からN Yで暮らせ」と言われたら多分、「OK!!さよなら〜!!」って飛んで行きますからね、私たち(笑)。

構成・文/石井美輪
バナーイラスト/Yone()
バナーデザイン/浮須 恵(フライスタイド)

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