【平和つなぐ】神奈川・JR二宮駅前「ガラスのうさぎ」像 40年思い変わらず 地元ぐるみ千羽鶴で彩り

地元住民らが折った千羽鶴を飾られる「ガラスのうさぎ」像=JR二宮駅前

 「初めて像を見た時、心を打たれるというより、ただ悲しい思いだけがした」。7月30日、地元住民らが千羽鶴約5万羽を持ち寄り少女像の脇に飾り付けていった。折り鶴を折って参加した同町の永井二三子さん(81)も、幼い頃住んでいた横浜市で空襲警報が鳴る中、大人たちに連れられて防空壕に避難した。だからこそ「なぜ、こんな小さな駅が襲われたのだろう。像から戦争の恐ろしさを感じた」との思いを抱く。

 「ガラスのうさぎ」は作家高木敏子さん(89)が1945年8月5日、同駅近くで米軍機の機銃掃射に襲われ、父親を亡くした体験をつづった児童文学作品。駅に立つ身長150センチのブロンズ像は、父の形見のガラスのうさぎを抱きかかえ、悲しみにくれるもんぺ姿の少女をかたどった。

 80年、新たに駅前整備を進める中で、町議会でも駅前広場の活用方針を議論していた。駅前広場には当時、日露戦争の戦勝記念として植樹されたクスノキも植えられていた。日露戦争と太平洋戦争で亡くなった人々への思いをはせ「平和を伝えるものを広場のシンボルにしたい」とクスノキの根元に少女像の建設を訴えたのは、町議だった古沢時衛さん(75)。超党派の全町議が賛同し、当時の柳川賢二町長も「時代が変わろうとも像は永久に残る」と全面的な協力を約束した。

 少女像の制作は後に文化勲章も受章した彫刻家の故・円鍔勝三さんに依頼。1千万円に上る制作費を賄うため、町民から寄付を募ることにした。「いざとなったら自分と町長とで資金を肩代わりする覚悟だった」と古沢さんは振り返る。

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