一度聴いたら忘れない歌!「ジンギスカン」はメロディが9割! 42年前の今日 — 1979年8月6日、ジンギスカンのシングル「ジンギスカン」がオリコン洋楽チャート1位!

__メロディが9割 Vol.6
ジンギスカン / ジンギスカン__

お前が歌わんのかい! とツッコみたくなる西ドイツの音楽グループ

先日、TBSの『水曜日のダウンタウン』で、「お前が歌うんかい!」の検証企画の第2弾があった。

それは、かつてフジテレビの『ダウンタウンのごっつええ感じ』で名物コントとして鳴らした―― 名曲のイントロが流れ、いよいよ歌が始まるところで今田耕司サン扮する意外な人物が歌い出して、浜田雅功サンに「お前が歌うんかい!」とツッコまれる―― アレをヒントにしたドッキリである。リアルの現場で、同様のシチュエーションをツッコミ芸人に仕掛け、本当に「お前が××するんかい!」と、ツッコめるか否かを検証するという。

とはいえ、さすがにコントとリアルでは勝手が違うと見えて、イタコに降臨する父親の霊が番組ADに降臨したり、警察犬に腕を噛まれるはずがトレーナーに噛みつかれたり、ウエディングドレスの試着で花嫁じゃなく店員が試着しても―― ツッコミ芸人たちは戸惑うばかりで、瞬時にツッコめなかった。唯一の収穫が、イタコを仕掛けられたニューヨーク屋敷が「コントで見た時、間違っているような気ぃしますけどね」と、改めてコントとして再演し、「これ間違ってますよ多分(笑)」と、笑いの構造を分析してくれたこと。

その流れで言えば―― 今回紹介する楽曲は、思わず「お前が歌わんのかい!」とツッコみたくなるグループのナンバーである。時に1979年8月6日、今から42年前の今日、オリコン洋楽シングルチャートで1位になったドイツのジンギスカンのデビュー曲「ジンギスカン」である。

一度聴いたら忘れられないクセになるメロディ「ジンギスカン」

 Dsching, Dsching, Dschinghis Khan
 (ジン ジン ジンギスカン)
 He Reiter - Ho Leute
 (ヘイ 騎兵たちよ ホー 騎兵たちよ)
 He Reiter - Immer weiter!
 (ヘイ 騎兵たちよ どんどん進め)

ジンギスカン―― 西ドイツ(現・ドイツ)の音楽グループである。男性4人・女性2人の6人編成で、王冠を被ったグループ一長身の目立つ男が、センターで歌う雰囲気をプンプンさせながらも、踊るばかりで全く歌わないという不思議なグループだ。

 Dsching, Dsching, Dschinghis Khan
 (ジン ジン ジンギスカン)
 Auf Brüder! - Sauft Brüder! 
 (起て兄弟よ、飲め兄弟よ!)
 Rauft Brüder! - Immer wieder!
 (戦え兄弟よ、何度も何度も!)

その歌は、一度聴いたら誰もが忘れられないクセになるメロディを持つ。歌詞はドイツ語なので、正直何を言っているのか分からないが、サビの「♪ジン ジン ジンギスカン」だけはよく分かる。当時、サーファーディスコ全盛期にフロアでかかりまくっていたばかりか、街中でもゲームセンターや家電量販店でもよく流れていたのを覚えている。いや、リアルタイムで接していなくとも、小学校の運動会やテレビのバラエティ番組のBGMで出会った若い世代もいるだろう。

もっとも、同曲は頻繁に日本国内でカバーもされており、有名どころでは、2008年にリリースされたBerryz工房盤がスマッシュヒット。そこを入口に、オリジナルを知った人も多いと聞く。そう、世代を超えて歌い継がれる意味で、僕がこのリマインダーで連載する企画『メロディが9割』にこれほど相応しい楽曲もない。何せ、その歌詞はかのモンゴルの英雄チンギス・ハンを描いており、感動や共感とは無縁だからである(褒めてます)。

初めに楽曲ありきの企画ユニット、ジンギスカン

 Sie ritten um die Wette mit dem Steppenwind,
 (草原の風のように馬を走らせる)
 tausend Mann
 (幾千もの兵)
 Und einer ritt voran,
 (先頭を駆ける男)
 dem folgten alle blind, Dschingis Khan
 (その男こそ ジンギスカン)

彼らのプロフィールをおさらいしておこう。
デビュー曲が、グループ名と同名タイトルであることからも容易に推察される通り、彼らは100%の企画ユニットである。毎年春に欧州放送連合(欧州各国の公共放送を主体とした組織)が開催するヨーロッパのポップミュージックの登竜門『ユーロビジョン・ソング・コンテスト』に、西ドイツ代表で出場するために、音楽プロデューサーで作曲家のラルフ・シーゲルと、作詞家のベルント・マイヌンガーの手によって結成されたという。

そう、ジンギスカンは初めに楽曲ありきだった。それが、彼ら2人によって作られた「ジンギスカン」である。サウンドは当時流行りのディスコミュージックに、詞はなぜかモンゴルの英雄を描いた世界観に――。実は、同曲にはインスパイアを受けた元ネタがあり、それが同じ西ドイツのグループ、ボニーMのヒット曲「怪僧ラスプーチン」だった。ラスプーチンとは、帝政ロシア末期に皇帝夫妻に取り入り、暗躍した謎の怪僧である。

以前、僕はこのリマインダーで『黄金の6年間:ジュディ・オング「魅せられて」シルクロードブームの源流を辿る道…』なるコラムを書いた際、70年代終盤、日本のエンタメ界を“シルクロード”ブームが席捲し、それにまつわる楽曲やテレビ番組が頻発したと紹介した。だが、遠く離れた西ドイツでも、全く同じ時期に“ジンギスカン”がフィーチャーされたのだ。この世界同時多発的な現象は、まだまだ研究の余地がありそうだ。

歌わない男、ルイス・ヘンドリック・ポトギター

 Die Hufe ihrer Pferde durchpeitschten den Sand
 (地面を打ち鳴らす 馬蹄の音とともに)
 Sie trugen Angst und Schrecken in jedes Land
 (あらゆる場所に不安と恐怖を運んでくる)
 Und weder Blitz noch Donner hielt sie auf
 (稲妻も地雷も彼らを阻むことはできなかった)

さて、ジンギスカンのメンバーは1人を除いてオーディションによって選ばれたという。その例外の1人が前述の「お前が歌わんのかいっ!」の男で、名をルイス・ヘンドリック・ポトギターといって、南アフリカの出身である。当時28歳。1975年にドイツのミュンヘンに移住し、プロのソロダンサーとして活躍していたところをスカウトされたとか。彼が歌わないのは初めから織り込み済みだった。しかし、MTVが登場する2年前で、まだミュージックビデオが普及していない時代に、パフォーマンス専属のメンバーをセンターに置いたグループ編成は、今思えば「アタマおかしい」と言うしかない(褒めてます)。

ジンギスカンは衣装からして無国籍風だった。事実、ルイスを筆頭に、メンバーは多国籍の様相を呈していた。ルイスをセンターに(――と言いたいところだが、6人の偶数編成なのでセンターにならない。このあたりもちょっとおかしい)、残る5人は全員ボーカルである。ルイスの右に3人、左に2人が立つ。

右の3人は気が合うらしく、よく行動を共にしていたという。一番右のスキンヘッドの男がスティーヴ・ベンダー。彼のみ地元・西ドイツの出身で、当時37歳。数々のバンド経験があり、ある時、ふざけてジャケット撮影でスキンヘッドのカツラを被って撮影したところ、そのビジュアルをジンギスカンのプロデューサーのラルフ・シーゲルがいたく気に入り、加入が決まった。そのため、グループ在籍中は常にスキンヘッドが求められ、一日2度、髪を剃っていたという。初めてスキンヘッドにした日は、鏡の中の自分の風貌に恐怖して泣きそうになり、家に4週間も引きこもったエピソードは有名である。

その隣の女性は、ハンガリー出身のエディナ・ポップだ。音楽学校を卒業後、プロのソロ歌手として活躍し、1969年に西ドイツに活動拠点を移した。当時、グループ最年長の38歳で、加入する2年前に俳優の夫を亡くしている。

そして、右から3人目の長髪でひげ面の野性味あふれる顔立ちが、レスリー・マンドキである。エディナと同じくハンガリーの出身。当時のハンガリーは共産主義の時代で、自由を求めて西ドイツに渡ったのが1975年だった。以来、酒場でバンドマンをしていたという。

一方、ルイスを挟んで、左側の男女2人がグループのビジュアル担当だ。女性がオランダ出身のヘンリエッテ・ハイヒェル(現・シュトローベル)で、当時25歳。美人である。そしてイケメンが、東ドイツ出身のシンガーソングライターのヴォルフガング・ハイヒェルで、当時28歳―― おっと、名字が同じだ。そう、加入前から2人は夫婦だった。グループのビジュアル担当を夫婦で揃えるなんて、やはりこのグループはどうかしている。

ディスコで頻繁にかけられ、ムーブメントは日本にも飛来

 Lasst noch Wodka holen (Ho, Ho, Ho, Ho, Ho)
 (もっとウォッカを持ってこい! ホホホホ!)
 Denn wir sind Mongolen (Ha, Ha, Ha, Ha, Ha)
 (俺たちはモンゴル人だからな! ハハハハ!)
 Und der Teufel kriegt uns früh genug!
 (飲んだらまた悪魔の腕の中さ)

1979年初頭、「ジンギスカン」を歌うジンギスカンとして結成された彼らは、『ユーロビジョン・ソング・コンテスト』の西ドイツ予選に出場すると、見事優勝する。そして、3月にイスラエルで行われる本選に進むが、こちらは健闘むなしく4位に終わる。

ところが―― 同コンテストの模様は欧州18ヵ国に生中継され、そのクセになる楽曲と、風変わりなビジュアルのインパクトで、一夜にして話題に。正式にレコードデビューするや、西ドイツ本国で50万枚を売り上げる大ヒットとなった。

更に、同曲は当時、世界的ブームになっていたディスコで頻繁にかけられるようになり、そのムーブメントは日本にも飛来。日本国内でレコードがリリースされるより前に、既にディスコでは定番曲として絶大な人気を博していた。

クセになるメロディとシンプルなサビ、国境や世代を超えて集められた共感

 Dsching, Dsching, Dschinghis Khan
 (ジン ジン ジンギスカン)
 He Reiter - Ho Leute
 (ヘイ 騎兵たちよ ホー 騎兵たちよ)
 He Reiter - Immer weiter!
 (ヘイ 騎兵たちよ どんどん進め)

 Dsching, Dsching, Dschinghis Khan
 (ジン ジン ジンギスカン)
 Auf Brüder! - Sauft Brüder!
 (起て兄弟よ、飲め兄弟よ!)
 Rauft Brüder! - Immer wieder!
 (戦え兄弟よ、何度も何度も)

同曲が売れたのは、そのクセになるメロディと、シンプルなサビの「ジン、ジン、ジンギスカン」のワードセンスに他ならない。中毒性があり、一度聴いたら、その日はずっと頭の中をリフレインした。

そう、これこそが「メロディが9割」の神髄である。SNSの登場前、国境や世代を超えて人々の共感を集められるのは、音楽だけだった。それも、メロディが9割を占めた。評論家は歌詞やサウンドを語りたがるが、大衆はシンプルにメロディを求めた。

それが最も端的に表れるのは、子供の世界かもしれない。幼稚園のお遊戯会や小学校の運動会で、今も「ジンギスカン」は大人気。子供たちは同曲に乗せて笑顔でダンスに興じる。クセになるメロディと、シンプルなサビのワードセンスは、幼心ですら虜にする。

 Und jedes Weib, das ihm gefiel,
 (気に入った女はすべて)
 das nahm er sich in sein Zelt
 (テントの中に連れ込んだ)
 Es hieß, die Frau, die ihn nicht liebte,
 (奴を嫌える女など)
 gab es nicht auf der Welt
 (この世にいなかった)
 Er zeugte sieben Kinder in einer Nacht
 (一晩で7人の子供を仕込み――)

―― 彼らが同曲の2番の歌詞に気付くのは、その10数年後の話である。

カタリベ: 指南役

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