復興の強さ表すタフなプレーを サッカーJ2「V・ファーレン長崎」社長高田春奈さん 被爆76年インタビュー

 サッカーJ2「V・ファーレン長崎」の「V」には4つの言葉が込められている。その一つが「平和(VREDE)」。被爆地長崎にあるクラブとして、創設時から平和推進活動をしている。今年もホームゲームでの平和宣言のほか、選手らが原爆について学んだり、平和祈念ユニホームを着用したりして、行政や若い世代と一緒に取り組みを続ける。社長の高田春奈さん(44)に思いを聞いた。(共同通信=塚本友里江)

選手らと記念撮影する高田春奈さん=7月12日、長崎市

 ▽形式的にではなく

 ―平和祈念活動に熱心に取り組む理由は。

 プロスポーツクラブは公共性が高く、このクラブの社長になることは「被爆地の長崎で、平和活動を推進する一つの組織の長になること」だという意識が強くあったためです。小学校卒業まで長崎県内に住んでいて、学校では必ず平和学習がありました。幼い頃から本気で戦争が起こることを恐れていたし、自分が大人になり、戦争のない平和な世界に少しでも貢献したいという気持ちがありました。

 ―Jリーグクラブが行う平和活動とは。

 2018年に私がクラブに関わるようになった際は、J1のシーズンでした。その年の8月、同じ被爆地を本拠地とするサンフレッチェ広島と「ピースマッチ」を開催し、平和ユニホームを交換しました。スポーツを通して平和を発信できる空間があるということに感動しました。翌年はJ2でしたが、沖縄のFC琉球も戦争体験を語り継ぐ活動をしており、一緒に平和祈念マッチを実施しました。

 選手は毎年、長崎原爆資料館を訪れ、被爆体験伝承者の講話を聞くなどの活動に取り組んでいます。選手はクラブの顔。長崎のサポーターは原爆の惨禍をよく知る方々が多いので、選手も形式的にではなく心から平和を思い、社会に問い掛ける存在であってほしいです。

長崎原爆資料館を訪れ、被爆体験伝承者の講話を聞くV・ファーレン長崎の選手たち=7月12日、長崎市

 ▽タフさ、プレーにも

 ―印象に残ったことは。

 2020年、初めて8月9日長崎原爆の日の平和祈念式典に参列し、田上富久・長崎市長が読み上げる平和宣言は、心から被爆者や長崎の思いを受け止めていると感じました。唯一の被爆国としての声を伝えられるリーダーが国内に増えれば、もっと世界に届くと思います。

 ―被爆地のクラブとしてのアイデンティティーとは

 昨年、新型コロナウイルス禍で試合ができずにいた期間、クラブやチームの理念を話し合いました。長崎は原爆や多くの苦しみを経験し、復興してきた強さがある。私たちの根底にはその思いがあるし、タフさをプレーにも表したいと思っています。

 ―高田さんにとって平和とは。

 サッカーというスポーツを対戦相手やサポーターと共に楽しめることは平和だと思います。サッカーという競技は世界的に見れば暴言があったり暴動が起きたりすることもありますが、武器や暴力でなく、正々堂々とピッチ上で戦うことが本来の面白さです。フェアプレーを徹底し、対戦相手をリスペクトしあう、そうしたところに平和の源泉があると思います。

 平和は意志を持ってつかもうとしないとつかめない。異なる人間同士が共存するのは簡単ではありません。だからスポーツという対立のある場においても平和を築こうとする姿勢を持つことは、難しいけど必要なことだと思っています。

国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館を訪れ、献花する高田春奈さん(右)=7月12日、長崎市

  ▽1人ではなくみんなで

 ―核兵器のない世界のために必要なことは。

 核保有国に核兵器を放棄させることは簡単ではないと思います。だけど、考え続けることが大切。平和の実現は誰か1人だけではなく、みんなが一緒に目指して成し遂げるものだと思います。だからこそ多様性が必要。長崎のサポーターには、サッカーが好きなら、誰でも歓迎する雰囲気があります。多様性を受け入れる文化は、いずれ核や戦争のない平和な世界にもつながると思います。

 ―今後、訴えを広げるためには。

 スポーツを通じ、平和を発信する活動を続けることを期待されていると思っています。今はJ2ですが、J1なら全国に、アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)に出れば世界に知ってもらえるので、チームを強くしていきたいですね。

 

   ×   ×  

 たかた・はるな 1977年長崎県生まれ。ジャパネットたかたの創業者で父の明氏から、V・ファーレン長崎の社長を引き継いだ。チーム名のVには、長崎と古くから歴史的つながりのあるポルトガル語・オランダ語の4つの言葉「勝利(VITORIA)」「多様性(VARIEDADE)」「航海(VAREN)」「平和(VREDE)」の思いが込められている。

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