日本入国後、16年にわたって難民認定を求めてきたミャンマーの少数民族ロヒンギャの男性が、今年3月、突然姿を消した。東京地裁に起こした認定を求める裁判で、自らが法廷で語る「本人尋問」の日程が決まった後のことだった。何があったのか。「知られざる法廷」から彼の思いをたどった。(ジャーナリスト・元TBS社会部長=神田和則)
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「訴えをいずれも却下する」
7月28日、東京地裁。原告側も被告側も不在の法廷で、裁判長が判決を言い渡した。「却下」は“門前払い”、訴えの中身を審理せず訴訟を退けることを意味する。
原告のモハメドさん(43)=仮名=は、ミャンマーの少数民族ロヒンギャの男性で2006年、日本に「短期滞在」で入国。その後、難民認定申請をして在留資格は「特定活動」になった。
しかし、2回にわたる難民認定は認められず、異議申し立ても退けられた。在留資格を失い非正規滞在となり、一時的に身柄拘束を解かれる仮放免の立場にあった。19年5月、国を相手に、難民不認定処分の取り消しと難民認定を求める裁判を起こした。
今年4月15日、被告の国側から書証が裁判所に提出された。そこにはモハメドさんが3月18日、「成田空港からミャンマー・ヤンゴン向け出国」と書かれていた。
裁判長は、モハメドさんが日本にいない以上「訴えの利益がない」として却下したのだった。
▽民族と認められない民族
ロヒンギャは仏教徒が多数を占めるミャンマーでは少数派のイスラム教徒。西部ラカイン州を拠点に暮らしてきたが、ミャンマーの法律では、ベンガル地方から流入してきた不法移民として先住民族から除外され国籍を認められてこなかった。モハメドさん自身も無国籍者で、他の民族の名前に変えてパスポートなどの発給を受けていた。
アウン・サン・スー・チーさんが国家最高顧問に就任した後でも、17年には治安部隊による武力弾圧で70万人以上が隣国バングラデシュに逃れるなど迫害は続いた。国連の調査団は「ロヒンギャはジェノサイド(民族大量虐殺)の深刻なリスクの下にある」と報告書をまとめている。
裁判でモハメドさん側は、「ロヒンギャは法律上、国民として扱われないうえ、移動の自由、教育や就業の機会も認められず、強制労働など差別的な扱いを受けてきた。民族が置かれた状況を見れば、人種、宗教、国籍、政治的意見を理由とする迫害の恐れは明白である」と民族としての難民性を訴えた。
また、モハメドさん個人の事情として「父や兄が政府により身柄を拘束、殺害された。モハメドさんは爆弾事件への関与が疑われ当局から召喚状が出されている。日本に来てからは在日ロヒンギャのグループに所属して政治的な活動をしている」と主張した。
これに対して国側は「ミャンマーの人権侵害はロヒンギャ固有の問題ではなく、ロヒンギャであることのみを理由に迫害を受ける恐れがあるとは言えない」「難民該当性の有無は、申請者について個別に判断されるべきで(モハメドさんに)個別、具体的な迫害を受ける恐怖を抱くような客観的事情は認められない」と反論した。
裁判では書面のやりとりが続いた後、モハメドさん側が本人尋問を請求し、裁判長は6月16日に尋問すると決定した。ようやく自らの言葉で窮状を訴えることができるところまで、こぎつけたはずだった。
▽何も答えない冷たい国
モハメドさんがミャンマーに出国した経緯が国側の書証と準備書面に記されている。
3月15日 違反調査
16日 「不法残留に該当すると疑うに足りる相当の理由がある」として収容令書を発付
18日 収容令書執行、違反審査で不法残留に該当すると認定、モハメドさんが認定に服し口頭審理の請求を放棄、退去強制令書発付・執行、仮放免許可を受けて収容先の東京入管を出所、自費出国許可を受けて午後11時成田空港からヤンゴンに向けて出国
ミャンマーでは2月1日のクーデター以降、抗議に立ち上がった多数の市民を国軍が無差別に殺害している。しかも3月27日の国軍記念日を控えて弾圧が激化していた。そのタイミングで、16年にわたって難民認定を求めてきたモハメドさんが、なぜ帰国したのか。
裁判を支援してきた在日ビルマロヒンギャ協会会長のゾー・ミン・トゥさんは「クーデター後の状況での帰国は考えられない。事前に何も連絡がなく本当に驚いた」と証言する。
代理人の渡辺彰悟弁護士は、国に対する「求釈明書」で次のようにただした。
「クーデター後にロヒンギャである原告が自ら帰国の道を選ぶことは正常な認識能力の下ではあり得ない」「仮に帰国意思を表明したとして日本にとどまるように説得しなかったのか」「駐日大使館も含むミャンマー当局から旅券か帰国のための一時的な証明書の発給を受けたのか。その手続きは誰がしたのか」「帰国後の本人の安全確認はしているのか」
しかし、国側は「回答する必要はない」と、にべもなかった。
▽仕事はできず保険にも入れず…
元入国審査官で入管行政の問題点を指摘してきた「未来入管フォーラム」代表の木下洋一さんは、国側が提出した書類から読み取れることとして「裁判で係争中の人を、有無を言わさず飛行機に乗せて返すことはないと思う。後でそれが分かった場合に大変な批判を受けるし、3月時点では入管難民法の改正案が国会に提出されており、審議に及ぼすマイナスの影響も念頭に置くだろう」とみる。
そうだとすると、何が考えられるのか。
木下さんは「難民認定を求めていれば送還はされない。しかし、収容の危険性はある」と指摘する。そして最近の入管行政の変化も背景としてあげた。「かつては仮放免で働いても大目に見られていたが、入管が『稼働はまかりならん』とギスギス締め付けるようになった。生きづらい状況にあります」
ゾー・ミン・トゥさんはモハメドさんの状況を具体的に説明する。
「(モハメドさんは)仮放免なので、大きな病気をしているのに健康保険に入れない。仕事をしてはいけないからお金がない。それなのに裁判は時間がかかる」。次第に追い込まれていったとみる。
「仮放免を更新するために2、3カ月に1回、入管に出頭しなければならない。そこでは『国に帰ってください』と強く言われる。裁判を起こしたことで入管からのプレッシャーが厳しくなり、ふさぎ込んでいた。彼が帰国したことに、胸が張り裂ける思いだ」と唇をかみしめた。
連絡が取れなくなったことを心配して、友人が訪ねた1人暮らしの部屋は、ごみだらけだったという。
▽遅すぎた緊急避難措置
モハメドさんが帰国した後の5月、出入国在留管理庁は、日本での在留継続を希望するミャンマー人に対し、緊急避難措置として6カ月の在留延長を認めると発表した。就労が週28時間以内の制限付きになる場合があるため不十分な面はあるものの、就労を可能とし、本国情勢が改善されなければ6カ月間更新するとした。
サッカー・ワールドカップ(W杯)予選で来日し、3本指を掲げて国軍に抗議した元ミャンマー代表選手は緊急避難措置の対象となり、帰国拒否から2カ月で難民と認定された。
だが、全国難民弁護団連絡会議の代表も務める渡辺弁護士は「一番問題なのは、在留資格がない難民認定申請者や、モハメドさんのように仮放免になっている非正規滞在者にとって、いつになったら保護されるのかが分からないことだ。私が担当している約70人について見ても緊急避難措置の発表から2カ月以上が過ぎても動きがなく、緊急避難が色あせる状況が続いている。保護の結論を出すデッドラインを決めるべきだ」と指摘する。対応が遅れれば遅れるほど、モハメドさんのように追い詰められる人が出てくるだろう。
日本での生活が八方ふさがりなってしまい、命の危険がある祖国に帰ったモハメドさん。彼の胸にどんな思いが去来していたのか。緊急避難措置がもう少し早く出されていたら、運命は大きく変わっていたのかもしれない。
ゾー・ミン・トゥさんらは、ヤンゴンでのモハメドさんの連絡先の電話番号を知って何度も電話をかけている。だが、今もつながらない状態だという。
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