紛うことなき職人・山下達郎が生み出した歴史的名盤「アルチザン」  2021年8月18日、山下達郎「ARTISAN」30周年記念盤、最新リマスターで発売!

CMと相性がよかった山下達郎

学生時代、初めて買ったクルマが、ホンダの「クイント インテグラ」だった。

精悍なリトラクタブルヘッドライト、フランス車を思わせる美しいリアビュー、スポーティーなDOHCエンジン―― 理由を挙げればキリがないが、中でも同車のCMが大好きだった。

それは、欧州を思わせる美しいロケーションに、外国人の男性2人、あるいは女性2人が颯爽とクイント・インテグラを操り、海辺や草原をひた走るというもの。BGMは山下達郎の「風の回廊(コリドー)」。これが見事にハマった。カップルでも、家族でもない同性2人の組み合わせは先進的で、どこか浮世離れしたカッコよさがあった。

 遥か遠い日の 後姿
 なんて優しく 甦る

思えば、山下達郎サンはCMと実に相性がよかった。
師匠である大瀧詠一御大が自己表現の場としてCMの仕事を積極的に受けていた影響もあり、シュガー・ベイブ時代から本業で稼げない分、CMソング作りに勤しんだ。「三ツ矢フルーツソーダ(1974年)」 、「不二家ハートチョコレート(1974年)」、「資生堂フェリーク(1977年)」―― etc. 気がつけば、そのプロダクトは100を超え、1984年にはそれらの中から選曲した『山下達郎CM全集 Vol.1』をリリースしている。

ブレイクしたのもCMからだった。
1980年春、達郎サンは生涯唯一(今のところ)となるCM出演を果たす。商品はマクセル・カセットテープ。サイパン島の遠浅の海の中、水平線を背に膝下まで浸かった達郎サンが、カメラに向かって指鉄砲を放つ仕草をする。BGMは、このCMのために作った「RIDE ON TIME」――。

 RIDE ON TIME 心に火を点けて  飛び立つ魂に送るよ RIDE ON TIME

同CMはそのキャッチーなメロディと、ミュージシャン自ら出演するインパクトで話題となり、同年5月にシングルとしてリリースされると、50万枚を超える大ヒット。更に同年9月に発売した同名アルバムは、自身初のオリコンアルバムチャート1位に輝いた。

CMでブレイクした「クリスマス・イブ」

そして―― 達郎サンにとって、最も忘れられないCMソングと言えば、1988年暮れに放映されたJR東海のCM「ホームタウン・エクスプレス(X'mas編)」の使用曲「クリスマス・イブ」と言って間違いないだろう。

 雨は夜更け過ぎに
 雪へと変わるだろう
 Silent night, Holy night
 きっと君は来ない
 ひとりきりのクリスマス・イブ
 Silent night, Holy night

元々は、1983年6月にリリースされたアルバム『MELODIES』の収録曲だが、同CMでブレイクすると、翌89年、続編となるCM「クリスマス・エクスプレス」でも再度使用され、同年12月25日のクリスマス―― 自身初のオリコンシングルチャート1位に。更に、翌90年1月初頭にかけて4週連続、その座を守った。

山下達郎サンの90年代は、そうして幕開けた。世はバブル絶頂期。前年暮れの大納会の日経平均株価は史上最高値の38,915円を付け、ザ・ローリング・ストーンズは東京ドームで10日連続公演を行なった。山手線の内側の土地を売ればアメリカ全土が買えると言われ、日本人はこの世の春を謳歌していた。

達郎サンの通算10作目のアルバムは、そんな時代に静かに育まれた。リリースは1991年6月18日、タイトルは『ARTISAN』―― “職人” である。そう、そこには、バブル時代への強烈なアンチテーゼが込められていた。あれから30年―― 今日、8月18日、同アルバムは最新リマスタリングにて蘇る。少々前置きが長くなったが、今回はかの歴史的名盤の話である。

山下達郎お気に入りのタイトル「アルチザン」

以前、このリマインダーで、僕は『依頼は突然やってくる。山下達郎サンへの質問、考えてみない?』というコラムを書いている。それは、達郎サンの2018年のコンサートツアーのパンフレットに載せる「Q&Aコーナー」用に、50個ほど質問を考えたという話だった。

その質問のひとつに、こんなお題があった。
「ご自身のアルバムや曲の中で、一番気に入っているタイトルはなんでしょう? 純粋なコピーワークとして。」
―― それに対する達郎サンの答えがこうだった。

“うーん。「ポケット・ミュージック」「僕の中の少年」「アルチザン」この3つは甲乙つけがたい。”

―― 奇しくも、80年代後半から90年代アタマにかけてのスタジオアルバム3枚が並んでいるが、「アルチザン」が自身で3本の指に入るお気に入りのタイトルであることは間違いないようだ。

そう、アルチザン―― 職人である。これは、ことあるごとにご自身でもラジオやインタビューで話されてるけど、達郎サンはその対極にある “アーティスト(芸術家)” という言葉が嫌いという。周囲がミュージシャンをそう呼んだり、ミュージシャン自身がそう自称する風潮が耐えられないと。そこに、鼻持ちならない特権意識や、過剰な自意識を感じるからと。

ほとんどのパフォーマンスを一人でこなす、職人・山下達郎

言われてみれば、80年代後半のバブル時代、日本の音楽シーンから “歌謡曲” というワードが消えたあたりから、ミュージシャンが「アーティスト」を自称するケースが増えてきた気がする。近年は、アイドルグループですらそう自称する傾向があり、僕もかねがね疑問に思っていた。達郎サンは30年も前から、そうした風潮に警鐘を鳴らしていたんですね。

その一方で、達郎サンは市井の「職人」と呼ばれる方々をリスペクトする。先代から技術を継承し、日々研鑽に励みつつも、決してそれをひけらかさない人たち――。そして自身も一人の「ミュージシャン」として職人でありたいと思っていると。

実際、同アルバムは、コンピューターの打ち込みから演奏、ギターソロまで、ほとんどのパフォーマンスを達郎サン一人でこなしている。文字通り、職人・山下達郎のアルバムに仕上がっている。

アルバム『ARTISAN』は、改めて聴くと、耳馴染みのいい楽曲が並んでいるのに気がつく。「アトムの子」、「さよなら夏の日」、「ターナーの汽罐車」、「Endless Game」、そして「Groovin'」―― さもありなん、このうち「アトム~」は、ラジオ『山下達郎のサンデー・ソングブック』(TOKYO FM)のオープニング、「Groovin'」はエンディング曲だ。同番組は1992年10月に『~サタデー・ソングブック』として始まっているので、両曲とも29年間、僕らは聴き続けていることになる。そりゃ馴染む。

漫画の神様をオマージュした名曲「アトムの子」のエピソード

個々の楽曲誕生のエピソードも興味深い。中でも珠玉は、リード曲の「アトムの子」だろう。言うまでもなく、1989年2月に亡くなられた手塚治虫のオマージュソングである。1953年生まれの達郎サンにとって、手塚漫画は幼少期の大切な思い出なのだ。

 どんなに 大人になっても
 僕等は アトムの子供さ
 どんなに 大きくなっても
 心は夢見る子供さ

しかし、曲の構想を思いついたのは、アルバムの締め切り10日前だったそう。通常の制作期間ならありえないところ、突貫工事で仕上げたとか。

そう言えば、例の「Q&Aコーナー」に、こんな質問もあった。「曲作りにおいて、締め切りはあった方がいいですか?」―― それに対する達郎サンの答えがこうだった。

“締め切りがなかったら、いつまでもやってる。”

―― そう、逆に10日間しか猶予がなかったから、あの名曲が生まれたとも。手塚先生自身、生前は “締め切りの魔術師” と言われるほど、原稿が落ちる寸前に傑作を仕上げることが多く、編集者泣かせだったとか。達郎サンは、そのプロセス込みで、漫画の神様をオマージュしたのかもしれない。

「さよなら夏の日」秒単位で作り込まれるCMソングこそ職人の仕事!

名盤『ARTISAN』には、もうひとつのリード曲とも言える楽曲がある。アルバム発売1ヶ月前に先行リリースされた「さよなら夏の日」である。

 さよなら夏の日
 いつまでも忘れないよ
 雨に濡れながら
 僕等は大人になって行くよ

元々、第一生命の企業イメージCMのために作られたもので、達郎サンお得意のジャンルでもある。思えば、クライアントから依頼され、30秒の中で最も光り輝くよう、秒単位で作り込まれるCMソングは、ミュージシャンというより、職人の仕事と呼ぶほうがしっくりくる。

そう、シュガー・ベイブ時代から、今日までCMソングを作り続ける山下達郎サンは、紛うことなきアルチザンである。

カタリベ: 指南役

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