最低で最高のロックフェス「ビートチャイルド」が伝説と呼ばれる理由  34年前の今日 — 1987年8月22日、日本初のオールナイト・ロック・フェスティバル「BEAT CHILD」が開催

日本初のオールナイト野外ロックフェス、「ビートチャイルド」

「伝説のロックフェス」と呼ばれた野外フェスをご存じだろうか。別名「至上最低で最高のロックフェスティバル」。1987年8月22日から23日にかけて、熊本県阿蘇郡久木野村(現・南阿蘇村)のアスペクタで開催された日本初のオールナイト野外ロックフェス『BEATCHILD』のことだ。出演アーティストはザ・ブルーハーツ、UP-BEAT、RED WARRIORS、岡村靖幸、白井貴子&CRAZY BOYS、HOUND DOG、BOØWY、ザ・ストリート・スライダーズ、尾崎豊、渡辺美里、佐野元春 with THE HEARTLANDなど、そうそうたるメンバーが並ぶ。会場には7万2千人の観客が集結!

これほどのビッグネームがレーベルを越えて夜通しのライブをするなんて当時はあり得なかった。地元が熊本だった筆者も参戦予定だったが、行政から学生たちに対して「参加しないように」という異例のお触れが出て断念せざるを得ず、悔しい思いをしたの… だが…。

今回は当日、参加した人たちの話も交えながら書いていきたい。

貫徹しなければならないという運命を持ったロックフェス

当日の天気予報は晴れ。雄大な景色と青空の下でライブは開かれる… はずだった。2組目のブルーハーツ登場時は、雨がパラパラ降ってはいたが、ヒロトが楽しそうにステージを駆け回っていた。ところが夜が更けるとともに雨はやむどころか、激しさを増していく。やがて雷が鳴り始め、体がもっていかれるような強風も加わる。この日の雨量71.5mmという記録的豪雨。今なら即中止になるところだが、これがさまざまな理由で中止にできなかった。

会場には多くの人がバスでピストン輸送されて運ばれてきていた。車の人も駐車場が遠く、会場から出るのは簡単ではなかった。そして、気づいたときには地面はぬかるみ、身動きも取れない。何より暗闇の中、7万2千人が一同に動けば大パニックだ。主催者の「ここにいることが一番安全です。コンサートは必ず続けます!!」という悲痛なアナウンスに観客たちも腹をくくった。

知らない人同士が手を繋ぎあい、風に飛ばされないように支え合う。寒さから低体温になる人たち。鳴り響く救急車のサイレン音。救護所は大混乱。運ばれてくる人たちのために急遽、一番広い楽屋が解放されて、HOUND DOGのボーカル・大友康平は自らお茶やタオルを配っていたという。2013年には、この日の出来事を詳細に記録したドキュメンタリー映画『ベイビー大丈夫かっ BEATCHILD 1987』が1日限定で公開された。当時を振り返り、白井貴子は「貫徹しなければならないという運命を持ったロックフェスは、これが最初で最後だった」と語った。

最悪の状況でも高い演奏力と歌声、アーティストたちの凄さと熱意に感動

地獄絵図のような光景の中、アーティストはそれでもステージに立ち続け、お客さんたちを音楽で鼓舞。団結するためには歌い、演奏するしかなかった。

当時、ライブに参加していた人は「激しい雨が、まるで一体感を作るための演出の役割のように感じられた」と話す。尾崎のパフォーマンスにこぶしを上げて応える観客達の異様な熱気は、もはやそうでもしないと持ちこたえられなかったのかもしれない。

白井貴子のときは、雨はMAX。機材トラブルからドラムの音だけで歌っているような状態だったとか。もちろん他のアーティストたちも機材がダメになり、当然、満足のいくステージとはならなかった。それでも高い演奏力と歌声を見せつけたアーティストたちの凄さと熱意には感動し胸が熱くなる。HOUND DOGの大友康平は、打ちつける雨の中で「負けるもんか!! 負けるもんか!!」とシャウトして、「ff(フォルティシモ)」を歌い上げて観客に力を与えた。

渡辺美里は、ずぶ濡れになりながら「大丈夫? みんなもうちょっと頑張れる?」と声をかけ続け、遜色のない歌声を響かせていたのは本当にすごい。

日本のウッドストック、「BEATCHILD」は80年代の音楽の遺産

そしてトリを務める佐野元春 with THE HEARTLANDのステージが始まった。このときのことを参戦した人たちは皆、口を合わせたようにこう語る。「佐野さんの曲とともに雨がピタッと止んだ。SOME DAYが流れてきて、しらじらと夜が明けきて朝日が昇ってきた光景は神々しくて圧巻だった。そして、何より心からホッとした」と。

スタッフに促されながら泥だらけでヘトヘトになって会場を後にする観客たち。ぬかるんだ会場には無数の靴が残されていて、この日の過酷さを物語っていた。

結果的に渡辺美里、佐野元春は共に10曲、HOUND DOGは11曲を、BOØWYに至ってはなんと14曲披露したのだから本当に凄い。何よりも、その場で頑張り続けた観客の凄さ!

この過酷な状況の中、乗り越えられたのは紛れもなく音楽の力であり、それを証明するフェスとなった。佐野元春のバンドに参加していた辻仁成は、のちに著書にこう記している。

「これは日本のウッドストックだった」

青春の時を過ごした人たちの情熱と、音楽が熱かった時代。「BEATCHILD」は、大きな80年代の音楽の遺産になったのである。

カタリベ: 村上あやの

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