躍動のパラアスリート、四肢まひのアーティストが描く 熱い思い胸に東京大会の活躍願う

前田健司さんが描いた車いすテニス・国枝慎吾選手のイラスト(前田さん提供)

 事故による大けがで首から下が動かず、唇で特殊なマウスを使って絵を描くアーティストがいる。千葉県市原市在住の前田健司さん(48)は、パラリンピック選手が試合で躍動する瞬間を捉えた作品を多く発表し、パラの千葉県の聖火ランナーにも選ばれた。「自分が表舞台に出ることで、少しでも他の障害者の希望になれば」。熱い思いを胸に、東京大会を見守る。(共同通信=永井なずな)

 ▽サーフィン中の事故

 カチ、カチ、カチ。マウスの突起に口を添え、唇をとがらせたり左右に動かしたりして自在に操る。みるみるうちにパソコンの画面上で線が描かれ、余白が色付けされていった。

特殊なマウスを唇で操作し、イラストを描く前田健司さん

 「びっくりしますよね?僕自身が最初、口でこんな細かい作業ができるようになるなんて考えてなかったです」。手が動かなくて、いったいどうやって絵を描くのだろうか―。そんな記者の疑問はお見通しだったというように、前田さんが笑顔で創作手順を披露してくれた。

 妻と生まれて間もない娘との順風満帆な生活だった2009年、千葉県内でサーフィン中に波に襲われ海底の岩に首をぶつけた。36歳だった。命は助かったが、頸椎を損傷し、四肢のまひは治らなかった。「生きているのが人の迷惑になるのでは」と自分の存在を否定した。毎日が絶望で、病院へ見舞いに来た家族につらく当たった時もあった。「死にたい」「死にたい」。うつ状態はしばらく続いた。

 ▽「口が動けばなんとかなるよ」

 転機になったのは、翌10年に転院した国立別府重度障害者センター(大分県)での、スタッフやリハビリ仲間との出会いだった。「口が動けば生活はなんとかなるよ」。唇でパソコンを駆使したり、あごで車いすを操作したりする身体障害者の「先輩」たちから、気さくな言葉が飛んできた。「人に頼まないと自分は何もできないと思っていたのが、あっさり打ち消された。ここの人たちはすごいと思った」

前田健司さん

 初めてのパソコン教室では、1日かけて短文を完成させ妻にメールした。口先でマウスを動かすのは難しく、厳しい訓練の日々。周囲の仲間の存在に勇気づけられた。「自分より重い障害のお年寄りが『孫にクリスマスカードを書く』と努力していた。若者の自分がめげてる場合じゃないと思った」。文書作成ソフト「ワード」を使えるようになり、図形や線を組み合わせてアニメキャラクター「アンパンマン」を描いてみたところ、娘が大喜びした。「家族の笑顔のために生きたい」と前を向くことができた。

 ▽心のバリアフリー

 写真データをパソコンに読み込み、明るさや鮮やかさによって色分けする独自の描写法を編み出し、会員制交流サイト(SNS)に投稿すると「かっこいい」「パワーを感じる」と人気に。パラ選手の作品を発表し始めたところ、選手本人からもイラスト依頼が来るようになり、20年には個展も開催した。

パラカヌー・瀬立モニカ選手のイラスト(前田さん提供)

 「けがをして、障害者として生活することがどれだけ大変か身に染みた。想像の何倍、それ以上だった」。段差や障害物だけでなく、街に出た際の周囲の目も、障害者を引きこもりがちにさせる背景だと感じる。「障害のある人が、職場や街中で自然に溶け込んでいるような社会になってほしい。設備面だけでなく、『心のバリアフリー』も広がってほしい」。障害者の社会進出に貢献したいと考え、千葉県の聖火ランナーに応募。昨年新しく購入した車いすには、選手の活躍を願って車輪部分の色にゴールドを選んだ。「せっかくならかっこよくしたかった。街に出ると子どもが『ガンダムみたいだね』と寄ってくることもある」

聖火ランナーを務めた前田健司さん(右)=8月18日、千葉市

 千葉県の聖火リレー関連行事は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で公道の走行が中止となり、代替のセレモニーが8月18日、無観客で実施された。千葉市の会場に登壇した前田さんは、補助器具で車いすに取り付けたトーチに火がともると、頭を大きく振って関係者の拍手に応えた。万感の表情が見て取れた。

「僕の活動を知った障害のある当事者やその家族が、『励みになる』と言ってくれた。一時は人生終わったと思っていたけれど、今は僕にできることがあると感じる」

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