ヨーロッパ大陸とイギリスを隔てる海峡、そこには複数の名がある。フランス側では「ラマンシュ(La Manche)海峡」と呼ばれ、これがイギリス側では「イギリス海峡(English Channel)」となる。だが日本では「ドーバー海峡」の名が一般的だ。その海峡を潜るユーロトンネルを専用列車で抜けて、カルディナはロンドンに着いた。
写真と文:金子浩久
※本連載は2003〜2004年までMotor Magazine誌に掲載された連載の再録です。当時の雰囲気をお楽しみください。
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ユーラシア大陸自動車横断紀行 Vol.21 〜いざロンドンへ〜
イギリスの地 陸路の移動が生んだ自然な変化
ひと足先にパリのシャルル・ドゴール空港から帰国した田丸瑞穂さんを見送り、僕はひとりでカルディナを運転してフランス北部のカレーを目指した。
カレーからユーロトンネルを潜って、ロンドンの友人を訪ねるのだ。ここから予定通りに走っていくことができれば、ロンドンでちょっと羽根を伸ばしてから、僕も飛行機で日本に帰ることができる。
ユーロトンネルの入り口は、オートルートのずいぶん手前から何枚もの看板で示されたので、迷うことはなかった。カレーからイギリスに渡るには、もうひとつの方法としてフェリーもあるのだが、それとの区別もちゃんとなされているから、ひとりで運転しても戸惑うことはない。オートルートから標識通りに進んでいけば、そこがもうフランスとイギリスの国境だ。高速道路のサービスエリアの巨大なものを想像してもらって構わない。
トンネル通行チケット購入、免税店前、フランスのパスポートコントロール、税関などを過ぎる。免税店以外すべては、広く、明るい屋外のゲートで行われる。ゲートでは、料金所のように一台ずつ停まらなければならない。それらが数百メートルごとに並んでいて、クルマは何十台も並行して前進していく。
列の最大幅は、300メートルはあろうか。今は、すべてのゲートを使っていないが、混む時期には、お盆休み期の東名高速東京料金所のようになるのだろう。いや、あれよりももっと規模は大きいか。
少し進むと、次は、イギリスのパスポートコントロール。同じように、高速道路の料金所風だ。カルディナの窓を開けて、係員と話す。
「イギリスに行く目的は?」
友人に会うため。
「どこから来ました?」
東京から。
「このクルマで?」
ええ。
「なぜ、飛行機でなくて、クルマで来たのですか?」
未知のロシアを通ってユーラシア大陸を横断してみたかったからです。
「どんな旅でしたか?」
長く、予期しないことがたくさん起こりました。でも、とても面白かった。
「なるほど。それはよかった」
業務然としていたフランスのパスポートコントロール職員の質問と較べて、イギリスの職員は明らかに関心があるようだった。
少し進んで、税関の荷物チェック。ここも素通しのクルマがほとんどだが、カルディナはテールゲートを開けさせられた。ロシアのタカリ警官とは違って、さらりとしか見ていないようで肝腎のところはしっかり押さえている。
トランクルームの端に立て掛けて見にくくなっていたガソリン満杯のジェリ缶を見付けていた。手にしている警棒のようなものでコツコツ叩いているが、クルマから降ろすつもりはないらしい。
ユーロトンネルのホームページにはガソリンなどの揮発性燃料の携行は禁じられていたはずだが、何も言われなかった。僕の右隣で停められていたイギリスナンバーの赤いアウディ80は、後席とトランクに少しの隙間もないほどワインの木箱を押し込んであった。
さらにチェックを要するクルマのために、斜め前に大きなテントが設えられている。別室というやつだ。
スムーズに進む手続き その当たり前さを祝う
係官に促されて先へ進んだ先に、ユーロトンネルを走る列車「ル・シャトル号」が発着するプラットフォームが見える。
ロシアのスコボロディノの乗り込み場所とは大違いで、クルマを積んで走ることを前提に作られているから、広く清潔なプラットフォームから段差なく列車に乗り込める。おまけに、職員の会釈まで付いている。
列車の最後尾車両の側面が大きく開き、斜めに乗り込む。車両間の扉はすべて開け放たれていて、僕の前を行くルノー・エスパースに付いて、どんどん前へ詰めていく。空いていて、10数車両進んで停まった。
車内は明るく、左右のドアを同時に開けられるほど幅も十分ある。エアコンさえ十分に効いていて快適だ。ほどなくして、発車。
エスパースにはスーツ姿の男性が4人乗っており、乗り慣れているようで、車両内を行ったり来たり。隣の車両に行けないこともないが、行ったところで何もない。車両間の扉は大きなガラス窓になっているから、向こうがよく見える。トイレが2、3両にひとつあるだけ。乗車する前から分かれていた“1等車”には2階のラウンジ部分らしきものがあるが、そこまで偵察に行くことはできなかった。
すぐにトンネルに入り、乗車時間はきっかり40分間。ドーバーの隣のフォークストンという街の駅に着く。とはいっても、駅の外の様子が見えるわけでなく、列車から降りるとコンクリートウォールに囲まれた広い通路を進み、自動的に高速道路のM20に入る。ここから北西に進めば、ロンドンだ。
フランスの右側通行から、イギリスの左側通行に変わるわけだが、列車から降りたクルマは他に選択の余地もなくM20のロンドン方面行きの車線に導入されるので、混乱するようなことは何もない。
ペリフェリックからA16に入るところでは予想と異なっていたが、パリ郊外でA16に乗ってからは、ユーロトンネル「ル・シャトル号」搭乗手続き→出国→入国→搭乗→A20という流れは見事なまでにスムーズだった。またしても、これぞ文明!
M20を1時間少し走って、M25を北上する。M25はロンドンの外側を大きく周回しており、反時計廻りに進む。M25は帰宅ラッシュが始まっており、滞り気味だ。これからロンドン北西部に住む友人F氏を訪ね、明日以降、帰国準備作業を行う。長かった旅も、これでようやく終わりを迎えようとしている。
ドイツのリューベックに上陸して以来、パリのペリフェリックと二、三の工事箇所以外では遭遇しなかった渋滞だ。ロシアなど、モスクワの環状自動車専用道路への合流でしか体験することはなかった。ダラダラと流れはするのだが、少し進んではまた止まる。
ま、ヨーロッパでも最近は各々の大都市では慢性的な渋滞が発生しているのだろうが、ここでは東京の絶望的な渋滞を思い出した。飼い殺しにされているような進み方は、東京のそれとよく似ている。
エキゾチックさはなく 自然な形で英国を感じる
渋滞中のM25をズルズルと進みながら、大きな感慨のようなものでも込み上げてきて良さそうなものだが、不思議と清々している。
いつものように東京からロンドンまで飛行機で来てしまえば、ジェット機での瞬間的移動による距離感の大きさや、異国に滞在している気分が際立つのだろう。それは、日本とはあらゆるものが異なっているところに来ているというエキゾチック感である。
だが、50日掛けて陸と海伝いに来たものだから、そういった気持ちにはならない。今こうやってM25を問題なく走っている事実だけがすべてだという気持ちで満足している。
以前に、ロシアの街を走るクルマの中に日本車が占める割合は西に進むにつれて、グラデーション状に少なくなっていく、と書いた。
ロンドンに着いて思うのは、それと似たようなことだ。日本車の占有率と同じような感じで、土地の様子や人々の暮らしぶり、自然の景観、街や建物等々、つまり自分たちとカルディナ以外のすべてのものがゆっくりとシームレスに移り変わっていく中を、僕らは旅を続けてきたという実感が強い。だから、いつもならエキゾチックに感じるロンドンの空気が、当たり前の自然なものとして感じられるのだ。
あるいは、自分がロンドンにいる必然性を、以前ならば心底からは肯定できなかった。黒い髪と目をした日本人の自分がヨーロッパにいることの居心地の悪さといったらいいのだろうか。
もちろん、ほとんどは仕事の必要があって来ていたわけで、そこに疑問を差し挟む余地はない。逆に言えば、仕事の必要がなかったら来ることはなかった。ならば、遊びに来たとしたら、居心地は良いのか。そんなこともないだろう。別にヨーロッパでなくとも、遊びに行って面白いところは国内外にたくさんある。
今回の旅の動機は、“来たいから、来た”というだけだ。距離と期間の長さや、準備と手続きの煩雑さは関係ない。
「いつもは飛行機でひとっ飛びして行くヨーロッパに、今度はクルマで行ってみたい」
ただそれだけの単純な動機から、すべてが始まった。旅立つ動機は、単純な方がいい。自分なりに、そこに強い必然性を持ち続けたから、いまこうして練馬ナンバーのカルディナでロンドンのM25を走っていることが自然に感じられるのだろう。
自分にとって旅というのは非日常のものだったはずだが、今回は移動し続けているうちに日常と化してしまったのかもしれない。F氏の家は、もうすぐだ。
(続く)
金子 浩久 | Hirohisa Kaneko
自動車ライター。1961年東京生まれ。このユーラシア横断紀行のような、海外自動車旅行を世界各地で行ってきている。初期の紀行文は『地球自動車旅行』(東京書籍)に収められており、以降は主なものを自身の ホームページ に採録。もうひとつのライフワークは『10年10万kmストーリー』で、単行本4冊(二玄社)にまとめられ、現在はnoteでの有料配信とMotor Magazine誌にて連載している。その他の著作に、『セナと日本人』『レクサスのジレンマ』『ニッポン・ミニ・ストーリー』『力説自動車』などがある。