第2回 家族であり、戦友であり、同志でもある私たち

Tweet


インスタグラムやYouTubeで人気の広海 深海さんの新連載がスタート!

双子のタレントとしてデビューし、さまざまな経験を経てたどりついた、人生のマイルストーン。
お二人のにぎやかな人生の経歴をはさみつつ、さまざまなテーマについて語って頂きます。

楽しく軽やかに生きるための広くて深い、ここだけの話。


“広海 深海+彼氏”のカオスな三人暮らし

深海 すでにご存知の方も多いと思うんですけど、私たちは今、ひとつの家で一緒に暮らしているんです。

広海 しかも、そこでぼくの彼氏も同棲しているという三人暮らし。カオスですよね(笑)。

深海 14歳で家を飛び出してから、私たちはずっと一緒だったんですけど……。

広海 20歳くらいのときから別々に暮らし始めたんだよね。彼氏に「同棲しよう」と言われたぼくが「オッケー!」と、後先考えずに家賃も全部おまかせで家を出て行ったのがきっかけで。この件に関しては、深海ちゃんは今もきっとムカついているはず(笑)。

深海 この人、言動が常にエモーショナルなんですよ。でも、あの頃はプライベートも仕事もずっと一緒でよく喧嘩していたから、逆に離れて良かった気がする。

広海 そんな私たちが再度合流したのが昨年の7月7日。コロナ禍に「今の私たちに何かできることはないか」と始めたインスタライブがきっかけで。「いちいち集まるのも面倒だし、一緒に暮らしちゃう?」って、ノリと勢いで同居生活をスタートさせたんです。

深海 そこもまた「ダメだったらやめればいい」の精神で。でも、それが想像以上に良かったのよね。今はもう、それぞれが違う仕事を持っているし、金銭的にも精神的にもある程度余裕があるし、広い家なら自分の空間をちゃんと維持することもできるし。

広海 我が家、広いんです。3L D Kで、バルコニーもあって。

深海 また、広海ちゃんの彼氏という第三者が入ったのもすごく良くて。

広海 家の中を散らかしながら動くぼくのフォローも、彼がしてくれるしね(笑)。以前より深海ちゃんに怒られる回数もグンと減って、今は快適な同居生活を送ってます。

生まれたときからずっと“ニコイチ”

広海 振り返ると、私たちの人生って本当に“ニコイチ”だよね。

深海 たまに聞かれるんですよ。「ずっと一緒に人生を歩んでいるけれど、二人の意見が分かれることはないの?」って。でも、これが不思議と本当になくて。もちろん、小さな小競り合いはしょっちゅうしますけど。ただ、重大な決断を下すときは当たり前のように「こっちだよね」って、自然と意見が合致するんです。

広海 その理由は……やっぱり「双子だから」かしらね(笑)。

深海 自分がゲイだと気づいたときも同じで。実は私たち、お互いにカミングアウトしあったことはないんですよ。当たり前のように「この人も同じなんだろうな」と思っていたから。

広海 だから、「彼氏ができた」という報告に対してもお互いに「へぇ、そうなんだ」って。当たり前のようにわかりあえてしまう“一心同体”感が私たちの間にはあって……。その理由もやっぱり「双子だから」になるのかな。

深海 もしも、私たちの間に“双子”という一言では解決できないような深い絆があるとするならば、いろんな壁を一緒に乗り越えてきたことも大きいのかもしれないよね。

広海 前回もざっくりとお話させていただきましたが、私たち、幼少期はほんと〜に貧乏だったんですよ。小学校に上がる頃までは普通に生活できていたんですけど、育ての親である祖父が病気になってしまって。さらに、勤めていた会社が倒産して……。そこから、急に生活が変わって驚くほど貧乏になっちゃって。

深海 ただ、私たちはそれを不幸だとはあまり思わなかったんだよね。“何も持っていないこと”が当たり前だったから。人が怒りを覚えたり、誰かを憎んだり恨んだりするときって、何かを搾取されたときだと思うんです。でも、その搾取される何かをそもそも私たちは持っていなかったので。奪われる恐怖もなければ不安もない、ただただ、目の前にある小さな幸せを見つけるだけでハッピーだったんです。

広海 お金もなければ、親もいない、友達すらもいなかったしね(笑)。

深海 友達、全然いなかったね(笑)。今でも忘れられないのが“ランドセル事件”。私たちが生まれ育ったのは小さな田舎町なので、やっぱり悪目立ちしてしまうというか、中には貧しい私たちの悪口を言う人もいて。確か、上級生に新品ではないお古のランドセルを「汚い」「貧乏」「可哀想」と笑われたんだよね。それを聞いた広海ちゃんが烈火のごとく怒りくるって、その子のランドセルをボッコボコにして。

広海 ぼくが許せなかったのは、その子に私たちの悪口を吹き込んだのがその子の親だったから。そんな大人たちに対する怒りもあったんです。

深海 さっき「搾取されるものは何も持っていなかった」と言ったけれど、私たちには奪われたくないものがひとつだけあって。それが“人としての尊厳”。周りから「可哀想」と思われることだけは本当に嫌だったんだよね。

広海 まあ、どこからどう見ても“可哀想な子”だったんですどね(笑)。でも、その一言にはすごく敏感だった。自分たちだけでなく私たちを育ててくれた祖父母まで見下されているような気がして。子供ながらに「おじいちゃん、おばあちゃんに申し訳ない」って思っていたんだよね。

外向的気味な広海ちゃん、内向的気味な深海ちゃん。

深海 今振り返ると、周りから見れば私たちも“変わっている子”だったと思うんです。

広海 まず、その頃からぼくはエモーショナルで。実はぼく、A D H Dだと思うんですけど、教室で突然ウワーっと叫び出しちゃうような子供だったんですよ。机の前で座っていられないし、人の話も聞けないし、気になったらそこで止まってしまう。それこそ「円周率が3.14って誰が決めの?」とスイッチが入ったら最後、解決するまで終わらない。

深海 中学の数学の授業中に「なぜ方程式はXとYなのか」「AとBじゃいけないのか」と、先生に詰め寄っていった広海ちゃんの姿、今でも忘れられない(笑)。

広海 イチャモンをつけているわけじゃなくて、本当に知りたかったの! スイッチが入ったら止まらないのは今も同じで。本当にスマホがあってよかったと心から思ってます。すぐに調べて解決することができるから。

深海 また、ぼくはぼくで自閉傾向があって。中学1年生の終わりくらいに、突然、誰とも口を聞かなくなったことがあるんですよ。それこそ、広海ちゃんとも全く話さなくなってしまって。今思えば、多感な時期だったんでしょうね。自分で急に決めてしまったんですよね。「みんなが本音を話さないんだったら、口をきく意味がない」って、「理解してくれないんだったら、コミュニケーションを取る意味がない」って。

広海 本当、あのときはどうしたものかと思った!

深海 ベクトルは違うけれど振り切れてしまうところはやっぱり二人とも似ていて。

広海 そりゃあ、周りとも馴染めないだろうねっていう(笑)。だからこそ、私たちは常に一緒。何をするにも、どこに行くにも、いつも二人だったんですよね。

それでも私たちはちっとも不幸ではなかった

広海 今でこそ、人とかかわるのが大好きな私たちだけど。

深海 あの頃は、周りと馴染めなかったし、馴染もうとしなかった。でも、さっきも言ったけど、それを“不幸”だと思ったことはないんですよ。

広海 そんな環境だったからこそ見つけたもの、出会えた世界もたくさんあるからね。

深海 そのひとつが図書室。私たち、毎日、朝5時半に起きて学校に行っていたんです。

広海 家にいてもやることがないから(笑)。

深海 で、6時になると用務員さんが校門を開けてくれるんですけど。私たちは図書室へ直行。今思うと、厳しい現実世界から本の世界に入るこむことで救われている自分がいたのかもしれないけど。朝6時から1時間目が始まるまで、ずっとそこで本を読んでいたんだよね。

広海 それこそ、小学校の6年間で図書館にある本を全部読んだんじゃないかって思うくらい! まあ、読んだのはエンタメ作品がほとんどで。教科書や参考書的な本は一切読まなかったんですけど(笑)。それでも、あの図書室で出会った本からはたくさんの知識を得ることができたと今でも感じています。

深海 家でやることがないのは放課後も同じで。私たちは日が暮れるまで地元の海で遊んでいたんです。そこで出会ったのがサーファーの人たち。顔を合わせるうちに仲良くなって、サーフィンを教えてもらうようになったんですよ。そこで学んだことも沢山あって。例えば、普段は好奇の目で見られがちな私たちのことをちゃんと受け入れてくれる人がいることを、自分の周りにいる人や今いる場所が人生の全てじゃないことを知ることができたりね。

広海 私たちには厳しい現実から外の世界へと連れ出してくれて、いろんなことを教えてくれる、たくさんの本があった。それは今の私たちの基礎を作ってくれている気もするしね。だから、私たちはちっとも不幸なんかじゃなかったんです。ただ、これが一人だったらと考えたら……。

深海 またちょっと違うかもね(笑)。

広海 やっぱり双子だったっていうのは、隣に誰よりも理解してくれる人が常にいたっていうのは、すごく大きかったと思うな。

深海 辛いことも、楽しいことも、いつも一緒に乗り越えてきた。私たちは家族であり、戦友でもあり、同志でもあるというか。

広海 そりゃあ「絆も深まるわ!」っていうね(笑)。

構成・文/石井美輪
バナーイラスト/Yone()
バナーデザイン/浮須 恵(フライスタイド)

Tweet

© 株式会社ワニブックス