宮崎美子「Mellow」1981年の空気を見事にパックしたデビューアルバム  2021年9月29日 宮崎美子のアルバム「スティル・メロウ ~40thアニバーサリー・アーカイブス」がリリース

宮崎美子といえば、表紙モデル? CM? 歌手?

2021年、宮崎美子が歌手デビュー40周年を迎え、9月29日に記念アルバム『スティル・メロウ ~40thアニバーサリー・アーカイブス』がリリースされた。

しかし、そう聞いても「宮崎美子って歌手もしてたの?」と思う人が多いかもしれない。かく言う僕も、彼女にシンガーとしてのイメージはほとんど無い。当時の宮崎美子と言えば1980年に篠山紀信が撮影した『週刊朝日』の表紙モデル、そしてカメラのテレビCMのインパクトが強烈に記憶に残っているけれど、正直に言えば、テレビCMでジーンズを脱いで水着になる彼女の可愛らしさもさることながら、CMソングとして使われた「今の君はピカピカに光って」の印象の方が強かった。

この曲はそれまで知る人ぞ知るシンガーソングライターだった斉藤哲夫の最大のヒット曲となり、世間的には彼の代表曲とされているけれど、実は作詞:糸井重里、作曲:鈴木慶一という、後に名作『MOTHER』を生み出すコンビによる楽曲だった。そのために斎藤哲夫自身は「これは自分の曲ではないから」とあまり歌っていない。

女子大生タレントのはしり

デビュー当時、国立熊本大学に在学中だった宮崎美子は、いわば女子大生タレントのはしりでもあった。ちなみに女子大生ブームの火付け役となったテレビバラエティ『オールナイトフジ』が始まったのは1983年のことだ。

デビュー後の宮崎美子は、モデルだけでなく、ドラマや『クイズ・ダービー』などのレビ番組にも出演するが、しばらくはどんな方向性を打ち出していくかの試行錯誤の時期でもあったという気がする。そして、そうしたトライのひとつとして歌手デビューがあったというのはけっして不思議ではない。

おそらく、彼女に歌手としての才能を見出したというよりも、その話題性に乗ったという感じだったのではないかという想像もできる。今でも見かけるけれど、俳優、スポーツ選手、お笑いタレントなど、その人気に乗って畑違いから歌手デビューするケースはけっして珍しくなかったのだから。

さらにこの時代は、松田聖子、中森明菜などのアイドルが脚光を浴びた時期でもあり、女子大生アイドルとして脚光を浴びる可能性も読んでいたのかもしれない。

デビューアルバム「Mellow」にみる多彩なソングライター陣

しかし、宮崎美子のデビュー曲「NO RETURN」を聴くと、制作陣が狙っていたのはいわゆるアイドルブームではなく、杏里、竹内まりやなど、都会的センスを感じさせる女性ポップシンガーの路線だったのかな、という気もする。「NO RETURN」を書いた八神純子も、そうした時代をリードする女性シンガーソングライターの一人だった。

この「NO RETURN」をフィーチャーしたデビューアルバムが『Mellow』、1981年12月にリリースされているが、アルバムの収録曲を見ると制作陣が宮崎美子をどこに位置づけたかったのが見えてくるような気がする。

まず目に付くのがソングライター陣の多彩さだ。「NO RETURN」を書いた八神純子だけでなく、やはり女性シンガーソングライターとして脚光を浴びていた渡辺真知子が、1975年にポプコンに出場のときに歌い特別審査員賞を受賞した「オルゴールの恋唄」が取り上げられている。さらにこの年に松任谷由実がシングルとして発表していた「夕闇にひとり」、と1980年のアルバム『時のないホテル』に収録されていた「ためらい」がカバーされている。

この他にも、作詞:矢野顕子、作曲:坂本龍一による「今は平気よ」、作詞:喜多条忠、作曲:吉田拓郎という「嫌いですか」、「モンロー・ウォーク」の名コンビである作詞:来生えつこ、作曲:南佳孝の「ワイルド・ハネムーン」など、まるでこの時代の音楽シーンを象徴しているような作家陣が並んでいるのだ。

加えて、その後荻野目洋子らにも作品を提供しているソングライター、田中弥生による「Johonny」「Beautiful Dreamer」、そして宮崎美子が注目されたCMで使われた「今の君はピカピカに光って」の作詞:糸井重里、作曲:鈴木慶一コンビによる「明日は痛くない」も収められている。

1981年という時代のミュージックシーンの交差点

こうして見ていくと、このアルバムはまさに1981年というタイミングだからこそ作ることができた作品だという気がする。

70年代の歌謡曲とフォーク、ロック(ニューミュージック)が対峙するという図式は、この時期になると崩れつつあった。ニューミュージック系のソングライターやミュージシャンが歌謡曲を手掛けるケースも増えていったし、ミュージシャン同士の交流も盛んになっていた。

『Mellow』にも、フォークのビッグスターである吉田拓郎、ポプコン出身の八神純子、渡辺真知子、さらに70年代の新しいポップミュージックをリードした松任谷由実、南佳孝、矢野顕子、さらにはテクノポップの坂本龍一が参加するなど、まさにこの時代のミュージックシーンの交差点のような様相を呈している。

そして、これだけ多彩な顔ぶれが投入されながら、一枚のアルバムとして成立しているところも興味深い。悪く言えば、当時、新しい音楽の可能性を打ち出していたアーティスト、ソングライターを片っ端から並べることで、宮崎美子という未知の新人に箔をつけようとしたのかとも思う。

その目論見は、必ずしも当時のマーケットで成功したとは言えないのかもしれない。けれどこのアルバムは、この時代のアーティスト達には、それぞれ強烈な個性と自己主張を持ちながらも、全体でつくりあげていこうとする音楽の共通イメージがあった、ということも教えてくれているという気もする。

今、聴いてみると『Mellow』は、今、海外でも脚光を浴びているというジャパニーズシティポップのカタログとしてもかなり魅力的な作品になっているのではないかと思う。確かに、さまざまな音楽性が入り混じったカオスという印象もある。けれど、それこそがこの時代ならではのミュージックシーンそのものであり、このアルバムはその空気感を見事にパックした作品でもあるのだ。

結果として、宮崎美子の歌手活動は3年ほどで終わってしまった。しかし、『Mellow』に示される彼女の1980年代の音楽活動の足跡が、『スティル・メロウ ~40thアニバーサリー・アーカイブス』という形で、この時代に蘇ることには大きな意味があると思う。

カタリベ: 前田祥丈

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