作家の村上春樹さんが寄贈、寄託した原稿やレコードを所蔵する国際文学館(村上春樹ライブラリー)が、母校の早稲田大(東京都新宿区)にオープンした。来館者は貴重な資料に直接触れられるだけでなく、憧れの作家による朗読会などのイベントも楽しめる。今年で72歳となった村上さんに、文学館や文学の継承への思いを聞いた。(共同通信=鈴木沙巴良)
▽自由に交流できる場
―今回の文学館には、村上さんの意見も反映されているのでしょうか。
大学側にはいろいろと伝えました。最初は僕の原稿や本といった「物」を置くというところから始まったんだけれど、それだけでは人は一度きりで二度は来ない。もっと生きた場所にしたいという僕の希望から、どんどん広がっていきました。
―具体的には
文学を通した国際交流や、学生たちに自由にスペースを使ってもらって、文芸だけではなく総合文化的なアクティビティーを立ち上げていきたいというのが、だんだんメインになってきました。
―力が入ってますね。
でも、それをやらないと、大学って活性化しないんです。ただ先生がものを教えて、学生がそれを学んで、という一方通行的なものとは違う文化を立ち上げなければ、大学は命を失っていく。それは僕らが1970年前後に(学生運動として)闘っていた時に目指していたことなんですよね、実に。
―なるほど。
「大学解体」と当時は言っていたけど、大学の一方通行的な学問を打破して、もっと自発的な学問を立ち上げていかないといけない、というのがわれわれが求めていたことなんです、理想として。ただ、ちょっと暴力的に過ぎた(笑)。
―文学館ができた早稲田大は母校ですね。
早稲田大のメリットは街の真ん中にあることと、門がなくて開かれていること。本部キャンパスは原則的に誰でも出入り自由なので、それを生かして、外の世界も引き込んで何かをやっていきたい。例えばいろんな作家を呼んで朗読会やレクチャーをやったり、音楽コンサートをやったり。外の人も自由に入ってきてもらってね。
▽風化しない言葉を
―今の大学は在学時と比べてどうですか。
全然違いますよね。立て看板もないし。だいたい、文学館が入る4号館という建物は、当時は学生が占拠していました。
―学生運動とはどのような距離感を?
考え方は全く一緒だったけれど、僕は誰かと一緒に闘ったり作業したりするのがあまり好きじゃないので、グループには入らないという方針だった。デモなどには単発で参加するけど、セクト内での活動は主義として好きじゃなかった。
―何か影響を受けましたか。
僕が一番学んだのは、言葉は信頼できないということ。みんな偉そうなことを言うんだけど、時間が過ぎてしまえばほとんど風化しちゃう。だから「風化しない言葉を選ぶ」というのが、作家になった時に一番大事なことだった。日常的なもの、偉そうじゃない言葉を大事にしていきたい。日常的な言葉で組み立てた物語が一番強いというのが、僕の実感です。
―当時の経験は今も生きているんですね。
そうですね。僕らが当時やっていたことは決して間違えていなかったと思う。さっき言ったように、大学を作り替えるというようなこと。でも、やり方は拙劣だったというのが正直なところ。あと、偉そうなことを言い過ぎた。
―当時の文章を読んでもピンとこないですね。
ピンとこない。ただ、僕らが抱いた理想主義みたいなものは、とても大事なことだと思うんです。多くはちょっと非現実的だったけど、理想を抱くのは大事。でも、今の若い人たちは、理想を抱くのがとても難しい状況になっていますよね。僕らの頃は、努力すれば世の中が良くなっていくと基本的に信じていたけど、今の人は世の中が良くなっていくなんて思いもしないですよね。
―就職へのプレッシャーも強まっていますし。
うん。でも、それと同時に、ボランティアやNGO、NPOなんかは、割に力を持ち始めてますよね。そういうポテンシャルはある。大学の中にそういうポテンシャリティーを持った場所を立ち上げたいというのが、僕の国際文学館に対する気持ちです。だから、なるべく学生に参加してほしい。しばらくは僕も生きていて、いろんなことをやれると思うけど、その後も、学生にアクティビティーを引き継いで維持し続けてほしいですね。
▽死後の散逸を防ぐ
―文学館の隣の演劇博物館(演博)は、学生時代に通った場所だそうですね。
僕の専攻は映画演劇科だったので、演博にはよく行きましたよ。いろんなシナリオとか記録とか本がいっぱい置いてあって、いつもがらーんとしていてね。建物もいいし雰囲気もいいし、よく本を読んでいました。そういう、自分を緩く受け入れてくれるものというのは必要だと思う。
―母校には特別な思いがありますか。
実は、僕の考えを受け入れるところであれば、資料の寄贈先は早稲田大じゃなくてもよかったんです。けれど、いろいろ話した末に早稲田大が一番理解を示してくれて。最初のうちは、米国でまとめてオークションにかけるという話も出ました。米国の大学には作家のアーカイブが多くあるので、管理にも慣れているし。
―そういう選択肢もあったのですね。
ただ、僕も日本の作家ですから、やっぱり日本の大学でより多くの人にアクセスしてもらえるような環境でやりたかった。それに僕は子どもがいないので、僕が死んじゃったら、資料とか原稿とか散逸しちゃう恐れがある。それは防ぎたかった。
―文学研究の面でも文学館の意義は大きいと思います。
僕は翻訳者でもあるので、翻訳という作業にすごく興味があるし、大事にしたい。だから、日本文学を手掛けている各国の翻訳者を国際文学館に招いて研究してもらいたいというのが、一つの目的です。翻訳者はすごく大事なのに、地位的に恵まれていない場合が多いので、そういう人に来てほしい。例えば1年間、フェローシップみたいな形で招いて、研究室も使ってもらってね。
―村上さんも過去には米国の大学に滞在されました。
僕もそういう経験がすごく役に立ったから、逆にそういう機会をつくってあげたいという気持ちがすごく強いですね。
(後編に続く)