東京パラリンピック男子マラソンの上肢障害T46(腕に障害のあるクラス)で銅メダルに輝いた永田務選手(37、県身体障害者団体連合会、村上市出身)が、かつて高田自衛隊に所属し、ゆかりの深い上越市にメダル獲得後、初めて来て恩師に結果報告した。
9月5日のパラリンピック男子マラソンで、2時間29分33秒で銅メダルに輝いた。各種受賞や報告などが重なり、忙しい時間を過ごした。4日、高田自衛隊時代の恩師で、現在は上越市とよばで中央整体を営む古川一夫さん(67)の施術を受けるため、住まいのある新潟市西区からやって来た。
金メダルを目標にしていたという同選手は「古川さんは(メダルを)取ったことを良しとしてくださるが、自分も、一緒に練習した(高田自衛隊で同期の)大関(喜幸、現SUBARU)も悔しさがいっぱいあって、これで満足できない」と率直に話した。
東京パラリンピックを目指し、6月ごろから妙高高原周辺のロードや競技場で走り込みを重ねてきた。上越市内を走ることもあり、かつてを思い出しながら「居心地が良かった」という。高田自衛隊の時に指導を受けた古川さんに再び指導を懇願。トレーナー兼任でコーチを務めた古川さんは「筋肉がまだ若いので、伸びしろは十分にある。本人の気持ちが入っていて、それが一番大事。練習の質を上げていく。これから楽しみ」と今後の活動も後押しする。
3年後のパリ大会への期待が高まる中、同選手は「パリというよりは1年1年をしっかりやっていきたい。当面の目標は同じクラスの世界記録更新」と次の照準を定めている。今後の練習にも意欲的で、「まずは自分を成長させることが大切。もっとやらなきゃ、もっと速くなりたい」と飽くなき向上心を見せた。
村上桜ケ丘高を卒業して平成14年から5年間、高田自衛隊に在籍し、各大会や県縦断駅伝などで活躍した。自衛隊を退いた後の同22年12月、仕事中の事故で右腕に障害を負った。走ることは諦めず、100キロのウルトラマラソンなどで活躍し、世界大会にも出場。今年2月のびわ湖毎日マラソンで2時間25分23秒のアジア新記録をつくった。仕事は「新潟ふれ愛プラザ」(新潟市江南区)の職員。