継承を…そして僕も開かれていく 文学館オープン、村上春樹さんの思い(後編)

 寄贈、寄託した原稿やレコードを所蔵する国際文学館(村上春樹ライブラリー)が、母校の早稲田大(東京都新宿区)にオープンした作家村上春樹さんのインタビュー。前編に続く後編では、文学と継承への思いが率直に語られた。(共同通信=鈴木沙巴良)

村上春樹さん=9月22日、東京都新宿区

 ▽ライフスタイルに変化も

 ―文学館では研究やイベントを通じた人々の交流も期待されています。

 そうですね。やっぱり、フェース・トゥー・フェースでつき合わないと、本当の交流というのはできないんですよね。

 ―ただ新型コロナウイルスで対面での交流は難しい状況です。

 すぐにコロナが終息するのは難しいかもしれないけれど、そろそろいろんな体制は整ってくると思うんですよ。少しずつでも立ち上げていかないとしょうがない。自分たちのルールを作って立ち上げていくしかないなと。だから、いろいろな催し物をやっていきたいですね。

 ―楽しみです。

 建物の中に小さなスタジオもあって、そこからFM放送も発信できる。僕のラジオ番組もそこから何度かやりたいし、学生も利用できたらいい。学内放送みたいなものとか。米国の大学では、商業ラジオではかからないような音楽をどんどんかけていくというのがあって、面白いなと思っていました。

 ―日本の学生には貴重な経験になりそうです。

 今の若い人たちは新しいことをやりたがらないと言う人もいるけれど、やりたがっている人も多いはずで、そういう人にうまく場を与えられればなと思っています。僕は若い人と付き合いが全くないから、どういう風にすればいいのか分からないんですけど、これを機会にライフスタイルみたいなものが少しずつ変わっていくと思います。

 ―ライフスタイルというと?

 これまで僕は、文章を書く以外の仕事はなるべくしないようにしていたんです。文章を書くのがもっとうまくなりたかったから。でも、そろそろ他のことやってもいいかなという気持ちになってきて、それでラジオ番組なんかも始めた。

 ―以前の取材に「だいぶ書けるようになった自負もあって」と話されていたのを覚えています。

 そう。これ以上ギシギシ勉強しなくても、ある程度のものは書けるようになったし、もっと違う方向に目を向けていった方がいいんじゃないかなというふうには思います。

村上春樹ライブラリーの内観。村上さんが寄贈、寄託した原稿やレコードなど資料約1万点を所蔵する。

 ▽日本の作家としての責務

 ―大きな変化ですね。

 僕が40歳か50歳の頃までは、文壇の主流というのがあったんです。大江健三郎さんや中上健次さんのような、純文学の主流。でも、中上さんが亡くなってから、それはだんだん先細りになっていって、それで、今はほとんど主流がない状態。

 ―なるほど。

 僕はもともと、向こう(主流)は向こうで適当にやってください、僕は自分のやりたいことをやりますから、という感じで好きにやっていたんだけれど、今や主流がなくなっちゃった。中心、柱がないんです。そういう中で、ある程度、日本の作家としての責務みたいなものを果たしていく必要があるんだろうなと。僕が主流になるつもりは全くないですけど、僕にもできることがあるんじゃないかとは思います。

 ―早稲田大文学部の4月の入学式では、小説家をたいまつに例え、文学の火が継承されることへの思いを語られました。

 僕も先輩の作家からいろんな小説の書き方を学んできました。何かモデルがないと、ものって書けないですよね。そういう意味では、僕が書いたものを引き継いでくれる人も少しはいるはずだし、それはすごく大事なことだと思う。僕は子どもがいない分だけ、そういうパブリックな継承というか、プライベートではない非個人的な、大きい意味での継承みたいなものに対する意識は、結構強いかもしれない。

 ―「騎士団長殺し」などの作品でも、血のつながりとは違う継承のありようを描いていますね。

 そうですね。血縁のある子どもに、というよりは、血縁のない、ある種の象徴的な継承みたいなものにすごく興味があります。

 ―文学の継承もそうしたものだと?

 一つとしては。あるいは、生き方みたいなのもあるかもしれない。ライフスタイルというか。例えば僕以前は、毎日ジョギングしてフルマラソンを走って、という作家はいなかったですよね(笑)

 ―確かに。

 あくまで一つの例に過ぎないけど、そういうことをしても、ちゃんと小説を書けるんだというひとつのモデルになれるかもしれない。いろんな意味で継承の形というのはあると思うんです。かつての文学者は、酔っぱらって浮気して酒飲んで締め切りは守らない、というイメージが強かった。そういうのを崩したというのは、功績とは言わないけど、一つの可能性を示したとは思うんです。

 ―そうですね。

 作家になって最初の頃は「そんな健康的な生活していると、小説を書けなくなりますよ」と編集者によく言われました。「そんなに体ばっかり鍛えていると、三島由紀夫みたいになりますよ」とか。変な考え方をする世界だなと思いました。

村上春樹ライブラリーの開館を前に記者会見した村上さん(中央)、隈研吾さん(右端)ら=9月22日、東京都新宿区

 ▽危機の時代に

 ―父親の戦争の記憶を引き継いでいく意思を示された手記「猫を棄(す)てる」も話題になりました。

 うん。やっぱり歴史認識だよね。歴史認識というのはすごく大きいし、今はそれがとてももろいというか、危険なことになっている。正しい歴史の認識みたいなものは伝えていかないといけない。そうしないと、どんどん変なふうにつくり替えられていく。特に今みたいにSNSやインターネットがフェイク情報をばらまいている状況は、本当に危険だと思う。

 ―危機感が伝わります。

 例えば「猫を棄てる」にしても、ああいう形で南京虐殺などについて書いてはいますが、正面から何かを主張しているわけではない。正面から主張すると、それに対する反撃や反論がある。でも、物語という形での記述は、割に強いんです。同じ土俵に立って言い合いをしても、あまり意味はない。違う形で僕らはやっていくしかないだろうな、というふうに思うんです。

 ―そうした中で始動する文学館は、村上さんにとってどのような意味を持ってくるのでしょう。

 僕にもまだ全然想像がつかない。ただ、外に開かれた施設をつくろうとしているわけだから、僕自身もある程度は開かれていないといけないでしょうね。そういうところは割に大事な意味を持っているかもしれない。

 ―新たな変化に期待しています。

 コロナもあったし、こういう時代に、何か僕の方から動かないといけないんじゃないか、という気はしています。例えば阪神大震災の時には「神の子どもたちはみな踊る」を、地下鉄サリン事件の時には「アンダーグラウンド」を書きました。節目節目で僕なりのレスポンスをしてきたわけで、コロナの時代にある種の共同体を立ち上げるのも、それなりに意味があるのかなと思っています。

 ☆困難な時代の新たなアクティビティー 文学館オープン、村上春樹さんの思い(前編)

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