“朝鮮にいる被爆者に支援措置を” 日本政府に要求/朝鮮の被害者支援団体インタビュー

置き去りにされる在朝被爆者

 広島・長崎で被爆した後、朝鮮に帰り、現在も日本政府の援護策から取り残されている「在朝被爆者」。かつては朝・日間で政府・民間の代表団が往来し調査も行われたが、朝・日関係の悪化により2002年以降はいっこうに進展がない。9月某日、朝鮮原爆被害者協会の桂成訓書記長(52)は本紙平壌支局の取材に応じ、「在朝被爆者問題は日本政府が全的に責任を持って自ら解決しなければならない」と日本政府の対応を改めて求めた。

 減りゆく生存者

朝鮮原爆被害者協会による調査で現在まで確認された在朝被爆者数は1911人で、2007年の調査で確認された生存者382人のうち111人を2018年に再調査した結果、生存者は60人、死亡者は51人だった。

調査結果について桂書記長は「平均すると調査対象全体の54・05%が生存し、45・95%が死亡したことになる。今後、残りの271人に対する調査を行い、総合調査結果を出す予定だが、生存率は下がる一方で、高まることはないだろう」と話す。

桂成訓書記長

1945年に広島・長崎で被爆した朝鮮半島出身者は計約7万人に上り、うち約4万人が死亡したとされ、解放後に朝鮮半島に帰った被爆者は2万3千人に上る。朝鮮に渡った被爆者のうち大半は1959年に始まった帰国事業で祖国に帰った人たちだ。原爆投下から今年で76年が経過したが、在朝被爆者は当然受けられるべき日本の援護策から置き去りにされたまま、現在も放射線被爆の後遺症や遺伝的影響で苦しんでいる。

「実態調査を通じてわかったことは、被爆者に対する各種疾患治療のための特別な対策が求められるということだ。また被爆2世の間で生じている後遺症や社会活動への影響を把握し、相応の医療を施す必要がある」と桂書記長。朝鮮では被爆者を優先する医療体制が整っているものの、被爆国である日本と比べて被爆治療のデータが少なく、専門的な知識と経験を有する医師や治療に必要な設備、医薬品も不足しており十分な診断・治療は困難だ。

朝鮮人が広島・長崎で被爆した背景には言うまでもなく日本による植民地支配がある。在朝被爆者が、強制連行などの日本の植民地政策の結果として祖国を離れて渡日し、被爆したことを踏まえれば、日本政府は過去清算の見地から在朝被爆者に対してより積極的な救済措置を講じるべき当然の責任がある。

 詭弁で責任回避

在朝被爆者問題をめぐっては、2000年2月に朝鮮から代表団が初来日し、小渕首相、村山首相、野中官房長官と面談し、外務省や厚労省の実務担当者と協議したほか、日赤病院で研修や検診なども行った。翌01年3月には日本政府も初の代表団を朝鮮に派遣し、在朝被爆者の支援を検討した。しかし2002年の朝・日首脳会談後、日本政府は拉致問題にのみ固執して、平壌宣言に盛り込まれた過去清算問題である在朝被爆者問題は置き去りにされた。

日本政府は「在朝被爆者から被爆者健康手帳の交付申請があれば受理する」としながらも、日本国外からの申請は受け付けないとしている。

2008年の被爆者援護法の一部改正により在外被爆者は居住国の在外公館を通じた被爆者健康手帳の交付申請が可能となった。手帳が支給された人には医療費や健康管理手当などが支給されている。しかし国交のない朝鮮には日本大使館や領事館がなく、申請するには来日するか第三国の日本大使館に行くより方法がない。

桂書記長は「朝鮮籍者の入国を禁止する独自制裁により、在朝被爆者が被爆者健康手帳交付のため日本を訪問したくてもできず、仮に渡航が許されても大部分の被害者は高齢で病弱なため長距離の移動は難しい」と話す。

在朝被爆者の朴文淑さん(左)と李桂先さん(2015年6月、平壌)

桂書記長は、日本政府から被爆者健康手帳の交付を受けた数少ない被爆者である朝鮮原爆被害者協会の朴文淑副会長(78)に対し、厚労省と広島県が2016年以降3回にわたって「より簡潔で易しい」方法で医療費を支給するという通知と共にその申請書類を送ってきたとしながら、「朴副会長以外の被害者には適用されないものであり、むしろ被害者の強い怒りを呼び起こしている」と憤りを示した。

今年3月の参院政府開発援助等に関する特別委員会で茂木外相は、在朝被爆者の救済について「重要な人道上の問題であることを踏まえ、適切に対応していきたい」と述べた。8月には国会議員が在朝被爆者に対する早急な救済措置を求めて外務省に要請を行ったが、現在までに動きは見られない。

朝鮮は平壌宣言に基づいて在朝被爆者を含む植民地支配による被害者への謝罪と賠償を求めている。実現不可能な詭弁で自らの責任を回避するのではなく、在朝被爆者と朝・日関係の現実に即したより実質的な日本政府の対応こそが求められる。

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