土曜の夜を彩った “ひょうきん族” エンディングテーマ「DOWN TOWN」へ繰り出そう!  40年前の今日 ― 1981年10月10日、フジテレビ系バラエティ「オレたちひょうきん族」がレギュラーとして放送開始

音楽を重視するスタンスが魅力「オレたちひょうきん族」

2018年3月、21年半続いたフジテレビの人気番組『めちゃ²イケてるッ!』が終了した。

土曜の夜8時という、テレビ番組における最高の時間帯は、かつてTBSとフジテレビが熾烈な視聴率争いを続けていたバラエティ枠であり、80年代のフジテレビは『オレたちひょうきん族』が勢いを見せ、不動の人気を誇ったTBSの『8時だョ! 全員集合』を遂に終了へと追いやることとなった。

小学生時代『全員集合』に夢中になって育ったアラフィフ世代のテレビっ子のぼくらにとって、中学生や高校生の時に出会った『ひょうきん族』はかなり特別なバラエティ番組であった。第1回が放映されたのは1981年5月16日。しばらくの特番編成体制を経て、10月から正式なレギュラー番組としてスタートしている。

漫才ブームで脚光を浴びていた新世代の芸人たちを集めた『ひょうきん族』はキャストもスタッフも若き才能が満ち溢れていた。何より当時絶好調の兆しを見せていたフジテレビ自体に勢いがあり、観ているぼくらにもそのエネルギーは伝わってきた。そんな番組の魅力のひとつが、音楽を重視するスタンスだったのである。

オープニングからいきなりクラシックの「ウィリアム・テル序曲」で幕開けとなり、ライバル局の『ザ・ベストテン』をパロディ化した “ひょうきんベストテン” のコーナーにYMOがゲスト出演したり、大瀧詠一作による「うなずきマーチ」、桑田佳祐作による「アミダばばあの唄」など、番組発のレコードも数々生まれた。その辺りの話は以前ここでも書かせていただいたので、今回は番組の音楽的感度の高さを最も象徴していた、歴代のエンディングテーマを振りかえってみたい。

2回目のエンディングから登場したEPO「DOWN TOWN」

第1回のみディズニーの名曲「星に願いを」が使われた後、2回目から登場したのが、EPOの「DOWN TOWN」だった。シュガー・ベイブのオリジナルをカバーした既存の録音で、番組のために作られたものではなかったが、“土曜日の夜は賑やか” の一節が決め手となったのだろう。「THE TAKECHANマン(タケちゃんマンの歌)」のカップリングに配された新たなレコードも出されている。この洒落た選曲は、『ひょうきん族』が新時代のお笑い番組であることを強く印象づけることとなった。

「DOWN TOWN」は作詞・伊藤銀次、作曲・山下達郎によるシティポップの傑作で、もともとはザ・キングトーンズのために書かれた曲であったという。それもEPOのカバーとは、絶妙な選曲というしかない。

EPOの書き下ろし「土曜の夜はパラダイス」

約1年半に亘って使われた後、1982年10月からはEPOが新たに書き下ろした「土曜の夜はパラダイス」が新エンディングテーマとなる。それより半年前には、番組のディレクターたちによるユニット “ひょうきんディレクターズ” が「ひょうきんパラダイス」という曲をリリースしていたから、その影響もあったかもしれない。

僅か4回だけのショートリリーフ、麻香ヨーコ「グラマー・ボーイ」

続いて1983年3月に僅か4回だけのショートリリーフとなった曲に麻香ヨーコの「グラマー・ボーイ」がある。彼女はフィンガー5のフォロワーとしてレコードを出していた “クリケッツ” のメインヴォーカルだった浅香容子で、クリケッツは「私のベイビー・ボーイ」という曲を出していたから、偶然(?)とはいえタイトルもしっかり韻を踏んでいる。作曲・村松邦男、編曲・伊藤銀次のシュガー・ベイブ仕事。シングル盤が出されていながらもあまり知られていない曲であろうが、『ひょうきん族』好きにとっては忘れられない大事な一曲である。

5代目のエンディングテーマ、山下達郎「パレード」

そして遂に大物登場。1983年4月からは本家シュガー・ベイブの山下達郎「パレード」が5代目のエンディングテーマに―― 1982年にジャケットデザインも新たに再リリースされたシュガー・ベイブのシングル「DOWN TOWN」のカップリングに収録されたもの。もちろんナイアガラレーベルからのリリース、この時のリミックスバージョンは「パレード」をメイン曲に1994年にCDシングルとして再発されている。

EPO「涙のクラウン」で3度めの登板、山下達郎「土曜日の恋人」で再登板

1983年12月からはEPOが「涙のクラウン」で3度めの登板。シングル盤は出されなかったが、1984年2月リリースのアルバム『HI・TOUCH-HI・TECH』に収録された。番組の絶頂期だっただけに、この曲も印象深い。

1984年10月からはきっかり1年毎の更新となり、まずはEPOの「DOWN TOWN」がテレビスタジオで収録されたニューバージョン。1985年10月からは山下達郎が再登板して今度はオリジナルソング「土曜日の恋人」を聴かせてくれた。

1986~1989年、“恋愛の女王” 松任谷由実が席巻

さらに1986年10月からは松任谷由実「土曜日は大キライ」、続けて1987年10月からの「SATURDAY NIGHT ZOMBIES」、1988年10月からの「恋はNo-return」と、バブル期に合わせるように “恋愛の女王” ユーミンが席巻し、最終回直前のスペシャルとなった1989年10月7日放送のエンディングには名曲「卒業写真」という粋な演出。そして10月14日の最終回は原点に帰ってEPOの「DOWN TOWN」で締め括られたのだった。

この全12曲に及ぶ『ひょうきん族』エンディング(同じ曲の別バージョンも含む)の歴史をぜひともCDアルバムにまとめてリリースしてもらいたいのだが、達郎とユーミンの両巨頭を1枚に収めることはどう考えても無理だろう。

仕方がないので30年近く前に作った自家製のカセットテープをこれからも聴き続けることにする。アルバムのつもりで聴くと、めちゃ²イケてますよ。

※2018年5月16日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: 鈴木啓之

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