先駆者「編集局遊軍」の功績 “生体実験”の闇を追った「ミドリ十字事件」報道 (毎日新聞 1982年)[ 調査報道アーカイブス No.32 ]

◆“採血ミスで人を死なせ、隠した”の闇を追う

かつて、日本に「ミドリ十字」(本社・大阪)という医薬品メーカーがあった。日本初の民間血液銀行として戦後に創業した企業で、旧名を「日本ブラッド・バンク」と言った。その後、薬害エイズ事件の影響で業績が悪化し、今は存在していない。
この企業が“人体実験”を繰り返していたという衝撃の事実を1982年、毎日新聞大阪本社が次々と明るみに出したことがある。取材を担ったのは「編集局遊軍」という名の、調査報道を遂行するために生まれたチームだった。新聞やテレビ各社は2010年前後に調査報道を専門に担う部署を新設した。しかし、毎日新聞大阪本社の編集局遊軍は、30年も前に誕生している。先駆性も成果も抜きん出た存在だった。

まずはミドリ十字事件に関する毎日新聞記事の見出しを並べてみよう。いずれも1982年9月の報道である。

「細菌爆弾の技術利用」胎盤商品化
戦後、大学の中枢に「七三一部隊」関係者いた

重症患者に生体実験 ミドリ十字「人工血液」
滋賀の病院で医師らを偽り ルール無視 元役員証言

ミドリ十字、データ隠し 人工血液製造承認に不利
臓器蓄積 国立大教授に“口止め”

企業論理に血道 ミドリ十字の生体実験
「ノーベル賞」狙い“暴走” 副作用の警告も無視

こうした見出しを見るだけで、ただならぬ事態がミドリ十字やその周辺で起きていたことがわかる。

『偽装「調査報道」ミドリ十字事件』(晩聲社刊)の扉写真から

ミドリ十字は当時、密かにヒトの胎盤を買い占め、医薬品の原料としていた。その事実を報道すると、毎日新聞の編集局遊軍は次に「採血ミス」の取材に取り掛かる。大阪で血を売りに来た西成の労働者に対し、採血ミスがあり、その男性を死なせてしまったのだという。当時は献血制度が整ってきていたが、法律に基づいて一部には血液をカネで買う仕組みが残っていた。それを担ったのが、ミドリ十字である。

男性が死亡すると、今度は偽装が始まった。医師に頼んで「行き倒れ」として措置してもらったのだ。ミドリ十字は上場企業であり、人の命を預かる医薬品メーカーだ。それなのに、人を死なせ、偽装した――。編集局遊軍の取材は本格化していく。
納骨台帳やカルテ、警察の変死報告書、関係者の証言……。あらゆるデータを集めながら取材は進む。すると、戦時中、中国東北部(旧満州)で人体実験や細菌培養などを続けていた関東軍「731部隊」の人脈が、これら事案の背後に存在することが見えてきた――。

一連の取材経過をまとめた「偽装 『調査報道』ミドリ十字事件」によると、彼らの取材は以下のような形で始まった。

警察や行政担当の記者とは違って、記者クラブに所属していない私たち「編集局遊軍」は、埋もれたニュースの発掘と、その報道を仕事のほとんどすべてとした。事件の発生やクラブ発表のように、待っていてどうにかなる仕事ではない。その「編集局遊軍」がプロジェクトチームとしての存在を賭して取り組んだ「ミドリ十字事件」は、通常よくある確度の高い情報に依拠した入り方ではなく、私たち自身の日常思考が強いものだった。週一度の集まりで、メンバーの1人からこんな提案があった。

「この際、ミドリ十字を調べてみたらどうだろう。どうも気になる。七月に亡くなった内藤良一会長は七三一人脈とつながる人物だし、ほかにもその関係者がいる。もちろん、そのことだけで問題とは言えないが、いま調べているヒト胎盤の商品化問題でもミドリ十字の名前が出ているんだ。突破口はあると思うよ」

ミドリ十字が産汚物の中から組織的にヒト胎盤を買い集め、医薬品の原料として使用している――。その特報は想像以上の反響を呼ぶ。そして報道の数日後、読者からの情報提供があった。

「ミドリ十字が採血ミスで男の人を死なせながら、それを隠し、葬っている

端緒はどうあれ、「調査報道」を展開する上で欠かせないのは読者からの情報提供である。その情報提供を得るためにも、これというテーマ取材の記事は間断なく放たれなければならず、世間を注目させずにはおかない記事のうねりこそが、「調査報道」を支えると言ってよい。


◆“生体実験”の731部隊との関係 それを暴く調査報道専門チーム

ミドリ十字が男の死を葬っているとの情報を得て、取材班はまず、ミドリ十字の元役員に会った。「元」への接触は、この種の取材では定石だ。大阪・梅田の寿司屋で会った「元」は、確かにそういう出来事があった、後始末に奔走した人物が社内で出世した、といった内情を明かす。

それ以降の本書の記述は、第一級のストーリーだ。さしたる確証もないまま、キーパーソンに先に取材して失敗してしまう様子、警察から変死事件発生報告書を入手するくだり、隠ぺい工作に携わった医院への取材……。ミドリ十字事件の現場に連れて行かれ、記者に同伴したかのような気持ちで取材のリアルを知るうち、事件の背後では731部隊の関係者が亡霊のように立ち上がってくる。そして、最後は人工血液の開発過程でのデータ偽造に取材は進む。

一連の取材プロセスを惜しみなく明かした「偽装」の巻末には、編集局遊軍の初代キャップだった佐倉達三氏が「調査報道と編集局遊軍」と題する小論を寄せている。計15ページに及ぶ文章の中にこんな記述がある。ウォーターゲート事件報道やペンタゴン・ペーパーズ報道など米国発の調査報道が各界に大きな影響をもたらし、「調査報道」という言葉が日本でも脚光を浴び始めた時期に書かれたものだ。

ベテランのジャーナリストに調査報道の成果を縷々説明すると、たいてい不快な顔をする。その不機嫌さは、調査報道がオールドジャーナリズムに対するニュージャーナリズムと同根のものとして語られたとき、いっそう顕著になる。そして「報道とは、そもそも調査的なもの。調査報道などとことさらに言うのは、自分たちの日頃の不勉強を白状しているようなものだ」と、きつい言葉が返ってくる。だが今日、先輩ジャーナリストの皮肉にもかかわらず、調査報道がその功罪をふくめ、ことさら論議されるのは、どうしてだろうか。それは複雑、多様化する社会の中で、特に巨大化する一方の公権力に対し、新聞がこれまでと同じ取材、調査方法をとっていたのでは、国民の「知る権利」に応える真のニュースを提供できないと感じているからに違いない。

時代の違いを差し引いた上で読み通せば、佐倉氏の一文は実に示唆に富む。それどころか、記者クラブ制度に絡めとられた「発表報道」の問題点、調査報道の意義と役割、テーマを見つける際の考え方など現在に通じる論点は、ほぼカバーされていると言ってよい。

『偽装「調査報道」ミドリ十字事件』(晩聲社刊)の扉写真から

毎日新聞大阪本社の調査報道チーム「編集局遊軍」は、ミドリ十字事件以外でも数々の調査報道をものにした。小磯良平画伯らの作品を模造した「ニセ絵」事件、医師・歯科医師の国家試験問題漏えい事件、細菌部隊「731部隊」の追及―。いずれも特筆すべき報道だったと思われるが、これまでは顧みられる機会はそう多くなかった。それは発信の拠点が衆目を集めやすい「東京」ではなく、毎日新聞「大阪」本社だったせいかもしれない。

■参考URL
単行本「偽装『調査報道』ミドリ十字事件」(晩聲社)

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