BUCK-TICK「悪の華」ギタリスト今井寿の復活と新しい時代への道標  BOØWYと並走した80年代ニッポンのロックバンド

アフターBOØWYを象徴するロックバンドBUCK-TICK

BUCK-TICKのインディーズからのファーストシングル「TO-SEARCH」がリリースされたのは1986年10月21日。その後のメジャーデビューが翌87年9月というBOØWYが解散へと向かう最中あったことからBUCK-TICKがBOØWYと並走するニッポンのロックバンドだったと言い難い。しかし、彼らのDNAを受け継ぎ確固たるオリジナリティで、メジャーデビュー33年目を迎える現在もコンスタントな活動を続けるBUCK-TICKこそが、アフターBOØWYのニッポンのロックバンドを象徴する存在だと思う。

ファーストシングル「TO-SEARCH」はまさしくBOØWYのフォロワーバンドに相応しい、危険な匂いを孕んだ先駆的な作品であった。

ロカビリーっぽいリズムに内包された衝動的なリリックとエッジの効いたギターのカッティングは、まさしくライブハウス時代のBOØWYの進化論的印象で、髪を立てた櫻井敦司のニューウェイヴ風のリーゼントのジャケットも相俟って、当時インディーズ少年だった僕もすぐさま大ファンになった。

ただその時に、現在に至るまで貪欲に様々な音楽を取り込み、進化を遂げるバンドになっていくとは夢にも思わなかった。

インディーズ時代から始まっていた“バクチク現象”

もう少し、彼らのインディーズ時代の話をさせて欲しい。

「TO-SEARCH」のリリースから半年後の4月1日、彼らのファーストアルバムとなる『HURRY UP MODE』がリリースされるのだが、その時の彼らの発売元であるインディレーベル、太陽レコードのアクションは、日本のロックシーンにおいて後世語り継ぐべき逸話だった。

新宿、渋谷、池袋… 東京のあらゆる街に貼りまくられた「バクチク現象」と書かれた白黒のステッカー。当時東京で遊んでいた者ならすべてが目にしていたステッカー。見事なゲリラ戦術で、否が応でも「バクチクって何?」と思わずにいられない状況を作り、レコ発記念の豊島公会堂でのライブでは、当時100人にも満たない動員数だった彼らが800人を動員。ここからBUCK-TICKの快進撃が始まる。

『HURRY UP MODE』もまた、「TO-SEARCH」から半年のインターバルとは思えないほどクオリティの高いものだった。BOØWYの刹那的な哀愁を継承し、アフロビートやスカのリズムなどを導入した確固たるオリジナリティを築きあげた。

ここまで書くと、彼らがBOØWYと同じく群馬の出身で、BOØWYの軌跡をなぞるかのように走り始めたかと思われがちだが、大きく違っていたことは、その作品の背景に終末観と大正ロマネスクや、漫画家丸尾末広の世界観である耽美的印象を併せ持ち、その根底にあるオリジナリティを礎にゴシック、インダストリアルなど雑多な音楽を吸収していったことにある。雑多な音楽を吸収しながら今井寿の描くメロディは、どこかドメスティックで日本人の琴線に触れる印象があった。

日本のロックシーンを牽引する存在

そんな彼らの大きなターニングポイントとなったアルバムが1990年にリリースされた『悪の華』ではないだろうか。1988年にリリースされたセカンドアルバム『SEXUALxxxxx!』オリコン最高位33位、サードアルバム『SEVENTH HEAVEN』では、オリコン最高位3位を記録し、翌年89年にはバンド初となる日本武道館公演を実現。同時期にリリースされた『TABOO』では日本レコード協会ゴールドディスクを獲得と、BOØWYなきあとの日本のロックシーンを牽引していく存在になっていく。

しかし、この順風満帆な活動が暗礁に乗り上げたのも同年の出来事であった。4月21日、ギタリストの今井寿がLSD使用により逮捕。不穏な空気が日本中を取り巻く中、バンドも半年間の謹慎に入る。そして、12月29日に東京ドームにおける「バクチク現象」と題されたライブで43,000人を動員して見事復活。

そんな激動の中で着想し、制作にとりかかったのが『悪の華』だった。今井寿が以前インタビューを通じて長いキャリアの中で音楽的な大きな転換期であったのが次のフルアルバム『狂った太陽』だったと述懐していたのを読んだことがある。

確かに『狂った太陽』は従来のバンドサウンドでは成り立つことのできないノイズやエレクトロニックの要素を織り交ぜ、バンドが後も長きに渡り継続していくことを示唆する革新的なアルバムだったと言えよう。

オリコン1位、新たな時代への道標を作った「悪の華」

しかし、この最悪のタイミングで当時のBUCK-TICKの持ち味をすべて凝縮させ、深化を遂げた『悪の華』こそが80年代の多様化したロックシーンの終焉を飾ると同時に新たな時代への道標を作ったエポックメイキングな作品だったのではないだろうか。

凝縮された彼らの持ち味とは、変幻自在なリズム隊と今井寿のポップでありながら、後のゴシックにも通じるダークな無国籍感が全面に打ち出されているという点だ。

さらに、楽曲により、歌うように表情を変える今井のギターカッティングと櫻井敦司の幻想的でトーキー時代のモノクロ映画を観ているような世界観と溶け合い、多くのロックファンをまだ見ぬ世界にいざなっていった。この80年代のBUCK-TICKの粋を集めたアルバムはオリコンチャート1位を獲得する。

BUCK-TICKの80年代は彼らの長い活動歴から考えると、バンドの歴史の中のほんの一部分かもしれない。しかし、この一部分に多くのロックファンが熱狂し、次世代のバンドたちに計り知れない影響を与えたことは特筆すべきだと思う。

カタリベ: 本田隆

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