【新宿ゴールデン街交友録 裏50年史】クラクラで「電線音頭」を唄い踊ってくれた小松政夫

左から小松政夫さん、脚本家・中島淳彦さん、筆者

かつて歌舞伎町に新宿コマ劇場という大劇場があった(2008年閉館、現新宿東宝ビル)。客席数2000人を超え、演歌の殿堂として華やかな座長公演が月替わりで上演されていて、私も1980年代後半から2000年頃まで毎年1回は出演していた。

吉幾三、舟木一夫、水前寺清子、鳥羽一郎、小林幸子らの公演にだ。共演者も華やかでまさに芸能界! アングラ出身の私には似合わない世界だった。が、その媚なさが幸いしてか、共演者の役者さん達ともよく飲み、ゴールデン街にも連れ立って飲み歩いた。

小松政夫(2020年没、享年78)、由利徹(1999年没、享年78)らも「クラクラ」に来てくれ、小松の親分さんはクラクラのテーブルで「電線音頭」を生歌で唄い、踊ってくれもした。みんな大喜びさ。サービス精神旺盛な人だった。小劇場の芝居にも興味を示し、晩年も果敢に挑戦していた。

由利の自宅にもよく遊びに行っていた。「自宅の家具を動かしたい」と電話があり、バイクで杉並の家まで走ったり、近所の中華屋さんにシーバスのウイスキーをボトルキープしていて、飲ませてもらったりとかわいがってもらった。99年5月の亡くなられた日には、赤塚不二夫(2008年没、享年72)を案内して病院にお見舞いに行っていて、ご家族と一緒に死水をとらせてもらった。静かな最後だった。

コマ劇場の思い出では2008年、水谷龍二・作演出の「星屑の町~新宿歌舞伎町編~」に出演し、新橋演舞場で公演していた中村勘三郎(2012年没、享年57=関連記事に写真あり)、藤山直美(62)御一行と一緒にボーリング大会を開催したな。直美さんは、閉館が決まっていたコマ劇場に一度も出たことがないからと、その「星屑の町」に飛び入り出演した。根っからの舞台人、芝居が好きなんだな~と尊敬する。勘三郎さんも…。

勘三郎が勘九郎時代に「クラクラ」に来てボトルを入れてくれたことは前にも書いたが「平成中村座」のテント公演(仮設劇場)は「状況劇場(唐組)」、「はみだし劇場(椿組・私の主宰劇団)」のテント芝居などをヒントにしたと語っていた。当時のボトルはそのまま息子・勘九郎(40)に引き継がれて今も保存、キープされている。そんな縁で中村扇雀(60)もよく訪れてくれている。もちろんボトルキープも。

「歌舞伎町に歌舞伎座を!」との熱望もあったと聞く。まさに“傾く者たち”河原芝居の役者達の熱い想いを夢見て今日も一献! (敬称略)

◆外波山文明(とばやま・ぶんめい)1947年1月11日生まれ。役者として演劇、テレビ、映画、CMなどで活躍。劇団椿組主宰。新宿ゴールデン街商店街振興組合組合長。バー「クラクラ」オーナー。

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