地域交通の縮小と寸断 「選挙権を行使できない」実態も見据えた「路をつなぐ 地域交通白書」 山陽新聞(2011年) [ 調査報道アーカイブス No.49 ]

環境省のHPから

◆公共交通網の衰退 必ず都市部でも問題になると予見

「神は細部に宿る」と言う。その言葉を待つまでもなく、日本社会の諸矛盾は往々にして、周辺部に出る。岡山県の地方紙・山陽新聞が2011年の1月1日から6月下旬にかけて紙面化した長期連載『路(みち)をつなぐ 生活交通白書』は、「周辺」をしっかり捉えた深いルポだった。買い物や通学・通勤、通院に欠かせない生活交通網。その縮小や寸断に伴って、地域ではどんな事態が起きているのか。2021年には全国共通の課題となった公共交通の問題を10年前から見通す内容だった。

長期連載の冒頭は、こんな書き出しで始まっている。

高齢化、人口減が進む中山間地や離島では、人々の暮らしを支えてきた公共交通網が衰退し、「移動」の確保が大きな社会問題になっています。
この現象は加齢とともにマイカーが運転できなくなる人が増える近い将来、都市近郊でも確実に表面化する問題です。このまま手をこまぬいていれば、人と人、人と地域、地域と地域のつながりはどうなってしまうのでしょうか。地域の交通問題は今、そこにある危機なのです。
地球環境を語るときにしばしば引用されるクイズがあります。
蓮(はす)の葉が1日たつと倍になる。30日たつと池は覆い尽くされて魚が死んでしまう。さて、池の半分が埋まるのは何日目か?
答えは15日目ではなく、そう29日目です。半分になるのに29日かかったのだからと油断していたら、破局はもう翌日に控えている―そんな話です。

山陽新聞の連載記事「路(みち)をつなぐ」の初回

◆「島に住むなということか」 “抜港“をめぐる島民たちの怒り爆発

連載第1部の最初はローカル鉄道の話でも路線バスの話でもない。瀬戸内海に浮かぶ島と島。それらを結ぶ定期航路が存亡の危機にさらされているという場面から始まる。大都会の住民にすれば、あまり眼中にはないかもしれないが、小さな船便も地域にとっては欠かせぬ住民の足だ。『航路再編「抜港」の噂 揺れる住民』(2011年1月5日朝刊)には、こんなシーンが出てくる。「抜港」とは、予定していた寄港を取りやめることを指す。

心の奥底に澱(おり)のようにたまっていた不安が一気に爆発した。
「島に住むなということか」「行政はわしらを見捨てるんか」。パイプいすから身を乗り出すようにして声を絞り出す島民たち。鋭い言葉は矢継ぎ早に旅客船会社にも向かう。
「自分のもうけばかり考えるな」と。
昨年10月下旬。笠岡市沖の瀬戸内海に浮かぶ北木島の楠(くすのき)集会所で、70年来運航し続けてきた定期船の「抜港(ばっこう)」問題について話し合う会合が開かれた。
参加したのは、市と船を運航している三洋汽船の関係者、それに約20人の島民たち。笠岡諸島(有人7島)と笠岡港を結ぶ旅客船会社3社の統合に伴って船が寄港しなくなってしまうのではないかー。
そんな噂(うわさ)が広まっていた折だっただけに議論は熱気を帯びた。

「路(みち)をつなぐ」の紙面

◆パーキンソン病を患う80歳の夫が運転、81歳の認知症の妻が助手席に

第1部の第3回『4つの目 危険承知 決死の運転』も読ませる。

岡山県の中山間地域。細い道は山あり谷ありで急カーブも続く。その道を老夫婦はマイカーに乗り、命と隣合わせでハンドルを握る。

はた目には何の変哲もない山道だが、2人にとってはときに死と隣り合わせのドライブとなる。
「手の動きが鈍いからカーブが曲がり切れんときがあるんよ」
運転歴46年という、80歳の夫が言う。4年前に手足が震え、徐々に筋肉がこわばっていくパーキンソン病と診断されて歩行は杖(つえ)頼り。農作業もきつくなり、肥料袋も以前のようには持てなくなった。
「その時は車をバックさせて、助手席のお母さん(妻)にハンドルを切り直してもらう」
運転免許証のない妻(81)は認知症の疑いがあるが、運転時には欠かせないパートナーだ。通院や買い物に出掛ける時はいつも“4つの目”で前後左右の安全を確認しながら目的地に向かう。
道路左側の縁石に乗り上げてタイヤをパンクさせたり、タイヤホイールをこすったりと〝生傷〟は絶えないが、夫は訴える。
「危ないのはよう分かっとる。分かっとるけど、わしらにとっては杖代わり。車を手放したら生活できん」

高齢者ドライバーが悲惨な事故を起こす事例は最近、都市部でも目立つようになった。東京・池袋で母娘が亡くなった事故は記憶に新しい。その事故をきっかけにして、免許を返納する高齢者も続出した。しかし、高齢者ドライバーの問題はそれだけでは終わらない。地域には車なしでは生活できない人が多数残されているからだ。しかも、地方では高齢者ドライバーの問題が早くから顕在化していた。それなのに最近まで、必ずしも全国的な大問題にならなかったのは、「中央」に拠点を置く全国メディアが「しょせん地方の問題だ」として振り向かなかったからだ、と言えば言い過ぎか。


◆移動手段を失い、投票に行けなくなった

第1部にはこんなエピソードも出てくる。運転免許証を返納した夫(85)と妻(79)の物語だ。側溝に脱輪する事故を起こし、それをきっかけに車も手放した。すると、2〜3週間はどこにも行かない生活が当たり前になってしまった。自宅は中山間に地域にあり、路線バスのバス停は5キロ先。タクシーで山裾の町へ出ると、往復で5000円前後かかる。買い物は週に1回、土曜日にやって来る個人商店の移動販売車で済ませる。年を取ったのに、以前にも増して野菜作りに精を出す必要が出てきた。蛍光灯は1本切れたぐらいなら我慢する。散髪は出張サービスに頼んで2カ月に1度。診療所通いは月に1回、市社会福祉協議会の送迎サービスを利用する。

そんな生活に思わぬ落とし穴があった。選挙だ。連載の中で、この老夫婦の夫は語っている。

「実は選挙に行けなんでな。これまで欠かさず投票してきたのに…」と進さん。昨年7月の参院選を思い出して肩を落とした。
マイカーなしで自宅から約10キロ離れた投票所の市備中地域局までどうやって行くかー。2人の足では到底歩けない。近所の人に乗せて行ってもらう手はあるが、集落は自分たちのような高齢者ばかり。頼まれる側もかなりの重荷になるため、なかなか口には出しにくい。
タクシーという方法もあるには、ある。
「しかし、国政選挙でそこまで払ってというのが正直な思いだった」と振り返る。

結局、この老夫婦は選挙に行かなくなった。高齢者ドライバーの問題は、選挙権とも直結しているー。そんな視点を持った報道は、地域に根を下ろした地方紙だからこそ可能だったのだと思う。

『路(みち)をつなぐ 生活交通白書』は疲弊していく地域交通の実情を単に嘆くだけではない。第3部『自治体のチカラ』や第4部『インタビュー編』で、解決の方向性も見出そうとする。そして『街のはざまで』という副題の付いた第5部では、やがてこの交通問題は都市部にも波及していくだろうと見通した。実際、連載から10年を経た今、日本はこの優れたルポルタージュの見立て通りになりつつある。

(フロントラインプレス・高田昌幸)

■参考URL
単行本「日本の現場 地方紙で読む 2012」(花田達朗、高田昌幸、清水真編著):『路(みち)をつなぐ 生活交通白書』を一部収録

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