大貫妙子のアルバム「クリシェ」に感じた音楽に向かう姿勢の原点  11月28日は大貫妙子の誕生日

初の海外レコーディング、大貫妙子「クリシェ」

1982年9月21日、大貫妙子の6枚目のアルバム『Cliché(クリシェ)』が発表された。

シュガー・ベイブ解散後、シンガーソングライターとしてソロ活動をスタートさせた大貫妙子だが、しばらくの間は表現スタイルを模索して試行錯誤を続けていたように見えた。しかし、『ROMANTIQUE(ロマンティーク)』(1980年)、続く『AVENTURE(アヴァンチュール)』(1981年)で、フランスの恋愛映画にも通じるロマンティシズムあふれる世界を描き出して、強いインパクトを与えることに成功した。『クリシェ』は、『ロマンティーク』『アヴァンチュール』の世界観をさらに深化させて大貫妙子の音楽性を確立させるアルバムとなった。

『クリシェ』には10曲が収められているが、そのうち4曲は東京でレコーディングされ、坂本龍一が編曲を担当した。そして残る6曲はパリでレコーディングされた。ちなみに、これが大貫妙子にとって初の海外レコーディングとなった。パリでは編曲をフランシス・レイの編曲者として知られるジャン・ミュジーが担当して1983年の早春に行なわれた。

パリでのレコーディング現場を見学

彼女の担当ディレクターが声をかけてくれて、僕はそのパリ・レコーディングを何日か見学させてもらうことになった。彼からは「先にパリに行っているので、一人で来てほしい。空港まで迎えに行くから」とのメッセージが入っていた。

シャルル・ド・ゴール空港に着いたのは朝6時。しかし、ディレクターの姿は無かった。成田で両替が出来なかったので手持ちのフラン(まだユーロ導入前だった)も無く、7時にならないと両替もできない。事前に渡されていたのは宿泊しているホテルの名前だけだった。

仕方がないので、備え付けの電話帳でホテルの電話番号を探した。いくつか同じような名前があったが、ここだろうという番号をメモして両替窓口が開くのを待った。目星をつけた番号に電話して「✕✕さんは、泊まってますか?」と聞くと、しばらくしてディレクターの寝ぼけ声が聞こえた――

「ああ、じゃあホテルまで来て…」とあっけらかんと言われてしまう。

タクシードライバーに住所とホテル名のメモを見せる。着いたのはオペラ座に近い、全部で10室くらいの小さな古いホテル。ディレクターがにこやかに「おはよう」と迎えてくれた。

レコーディングが行われていたデルフィーネスタジオは住宅街の一角にあった。外見は普通の集合住宅のようだが、中にはなかなか広くて使い勝手の良さそうなスペースがあった。レコーディングエンジニアは、毎日大型犬と一緒にスタジオにやってきた。エンジニアが仕事をしている間、愛犬はミキシングコンソールの下に座り込んでおとなしくしていた。

アレンジャー、ジャン・ミュジーが目指したもの

ジャン・ミュジーは、恰幅の良い優しそうな人だった。大貫妙子の反応をさり気なく伺いながら、彼女の音楽の素晴らしさを引き出すことに集中している感じだった。そんな様子を見ていて、ふと、フランシス・レイとの仕事でも彼はこんな感じだったんだろうかと思った。

緊張感のなかにも和やかさのある雰囲気でレコーディングは進んでいったが、印象的だったのは、最初にジャン・ミュジーが弾くピアノと一緒にヴォーカルを録り、そのトラックにドラム、ベースなどのリズム楽器をかぶせるというレコーディング方法だった。

それまで僕が視てきたポップス系レコーディングは、まずリズムセクションを録り、そこにヴォーカルやリード楽器を乗せていくというのがほとんどだった。ただ、テクノ系サウンドのレコーディングでは、コンピュータでつくったサウンドに生ドラムやベースを後から被せるケースがあって、そのやり方ともどこか似ているなとも思った。

しかし、機械と人との対峙が生み出すテクノ系サウンドに対して、ジャン・ミュジーが目指していたのは、生のヴォーカルの自然な揺れの効果を最大限に生かすことだったのだと思う。

ドラムやベースの正確なリズムにヴォーカルを乗せるのではなく、歌そのものが持つテンポの揺らぎを大切にして、その揺れにサウンドが寄り添っていくことで、大貫妙子の歌が持つ情感を最大限に引き出そうとしているように見えた。そうしてつくられた繊細なサウンドを、パリ・オペラ座管弦楽団のメンバーらによる美しいストリングスが彩っていった。

そういったレコーディングのやり方は、大貫妙子にとってもクリエイティブな刺激になったんじゃないかと思う。僕のそんな思い込みのせいかパリの空の下の彼女は、いままで以上にポジティブなオーラをまとっているようにも見えた。

ソロデビュー以来の音楽パートナー坂本龍一は4曲をアレンジ

パリでレコーディングされた6曲の他、東京で坂本龍一アレンジによってレコーディングされた4曲が収められて『クリシェ』は完成した。ソロデビュー以来の音楽パートナーでもある坂本龍一が手掛けたトラックもきわめて端正でクオリティが高い。リリカルでありながら、きわめてコンテンポラリーな手触りがある。

ジャン・ミュジーと坂本龍一は、このアルバムで違う角度から大貫妙子の音楽に光を当てていった。その微妙なねじれが生み出す効果によって、このアルバムは彼女の音楽がそれまで以上に立体的な輝きを見せた作品になっていると思う。

レコーディングの現場を目撃したということもあって、『クリシェ』は僕個人にとっても想い入れのあるアルバムだ。しかしこのアルバムは、大貫妙子のヨーロッパ的ロマンティシズムへのアプローチを結実させただけでなく、そこから先の彼女の活動を準備する作品でもあったんじゃないだろうか。

この時のパリ・レコーディング以来、彼女は積極的に世界各地に出かけて様々な文化や音楽、さらに自然と接して、彼女自身の音楽をさらに豊かなものにしていった。そうした大貫妙子ならではの音楽に向かう姿勢の原点が、このアルバムにはあったという気がしてならない。

数日後、まだレコーディングが続くチームを後に、僕は再び一人で日本への帰途についたが、今度は空港までディレクターが送ってくれた。

※2018年10月2日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: 前田祥丈

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