ユーラシア大陸自動車横断紀行 Vol.25 〜ロシアを走って感じた「ご当地事情」〜

トップの写真は、日本からフェリーで渡ったロシア最初の都市、ウラジオストクの中央広場で開催されていたバザールの様子である。これだけ情報化社会として発達しているように思われていても、本当に知りたいことは自らが体験してみないとわからない。ユーラシア大陸横断中、とくにロシアでのご当地事情を振り返る。
文:金子浩久/写真:田丸瑞穂
※本連載は2003〜2004年までMotor Magazine誌に掲載された連載の再録です。当時の雰囲気をお楽しみください。

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ユーラシア大陸自動車横断紀行 Vol.24 〜カルディナの不調をトヨタのエンジニアと検証する〜

いまでも多くの人に聞かれる食事、宿、買い物などといったロシアの「ご当地事情」

ユーラシア大陸横断の旅を終えて、東京に帰って来たら、痩せていた。ベルトをしなくてもぴったりとフィットしていたジーンズはブカブカだし、キツかったジャケットは、ちょうどよくなっている。

「痩せた?」

旅のことを知らない知人でも、何人かが訝しんでいたから、間違いなく痩せて見えたのだろう。

思い当たるフシは、ただひとつ。旅行中の摂取カロリーが少なかったのだ。特に、ロシアでは「美味しいものをたらふく食べた」という記憶がない。

ロシアを旅行中の“食”をどうするかという課題は、結局、出発してみるまでは解決しなかった。

ウラジオストク、ハバロフスクを離れ、内陸部へと進んで行くに従って、心配していた通り、食事&食料事情は悪化していくばかりだった。

食べ物を買うことができるのは、小さな街の食料品店やキオスクのような売店などに限られる。レストランと呼べるほど気取ったところはなく、料理を食べることができるのは、もっぱら“カフェ”と呼ばれる軽食堂に限られてくる。

品物は揃っているが、旧態依然の買い方も健在

ロシアを旅行中に、僕らは何を食べていたのか。食事は、旅の基本中の基本である。ウラジオストクを出発して3日目に到着したスコボロディノでの食生活を振り返ってみよう。スコボロディノでは、シベリア鉄道の貨車にカルディナを乗せるために1日半滞在したので、つごう5食分を摂ることになった。

スコボロディノは、日本海側より約1000キロ内陸部に入った小さな街だ。ウラジオストクからの僕らのカルディナのトリップメーターは1588キロを示していた。

スコボロディノは、シベリア鉄道の駅が設けられているのと同時に、シベリア鉄道と交叉しながら並行するバム鉄道の始発駅でもある。ロシアにおいて、鉄道の駅があるということは、同時に、物流や情報の重要な通過地点であることを意味している。小さな街ではあるが、交通の要衝地であることを最近の報道で改めて知ることとなった。

石油である。ロシアが輸出する石油をパイプラインで運ぶルートは、二案が検討されていた。ひとつは、バイカル湖の北を通り、ハバロフスク経由でナホトカ近郊のペレボズナヤを結ぶ「太平洋ルート」。日本への輸出を優先したルートである。

もうひとつは、「中国ルート」。バイカル湖の南側を通り、モンゴルとの国境をかすめて、大慶へ運ぶ。これでは、日本へは輸出されない。ロシア政府は、2004年末に「太平洋ルート」を承認し、論争には一応の決着が下されたことになっている。だが、「太平洋ルート」にも含みが残されていて、ハバロフスクへ向かう途中で、もう一本を大慶へ枝別れさせ、日中両国への輸出が可能なルートも作成されている。その分岐点が、スコボロディノなのである。スコボロディノから南へ約50キロ進めば、中国との国境だ。

太平洋ルートは総額110〜150億ドルにも上る壮大なプロジェクトで、完成までに長い時間が掛かることだろう。もし本当に、石油パイプラインがスコボロディノを通るルートで敷設されることになったら、その工事にともなう人口増加や施設によって、この街の雰囲気もきっと一変してしまうに違いない。

僕らがスコボロディノに到着したのが、2003年8月7日の午後10時過ぎ。ブラゴベシチェンスクからの極悪路の連続で、全員、クタクタだった。街の入り口のABCというガソリンスタンドで給油を行いがてら、ホテルの場所を訊ねる。西側の街外れの警察署の向いにあると教わった。街外れと言ったって、5〜600メートルしかなかったからすぐにわかった。

腹もペコペコだったから、チェックイン後に、すぐに外に出た。ガソリンスタンドの隣にカフェがあったが、もう店仕舞いした後だ。メインストリートらしき目抜き通りなのに、街路灯もないから、真っ暗だ。街の入り口付近には鉄筋コンクリート製のビルがいくつか建っているが、商店や食べ物屋どころか、店らしきものは何もない。そこからホテルの方角には、人が住んでいるのかわからないような古びれた木造の建物が並んでいるだけだ。ホテルの方へ戻ると、暗がりに、売店があった。

宿泊する時に、常に気をつけていたのが駐車場の様子。クルマを盗まれることが往々にしてあるからだ。なるべく管理人が常駐しているタイプを探した。

売店は三畳ひと間ほどのコンクリート製の箱のような建物で、中にびっしりと菓子や食品などが陳列されている。店番がひとり中にいるだけで、客はガラス窓から欲しいものを指差す。商品とルーブルは、直径2センチほどの鉄骨の格子が嵌められた、小さな受け取り口で交換する。ひどく無愛想で、買い物の楽しみなどゼロの販売方法だ。

同じような形式の売店は、ウラジオストクの海辺の広場でも見掛けたから、ロシアではポピュラーなのかもしれない。でも、メキシコシティやバンコクの裏町でも同様のものを見たことがあるから、ロシアだけのものではない。

「チャイナ、チャイナ!」

売店の周りに、タバコを吸いながらたむろしていた、4〜5名の街の不良少年少女たちに中国人と間違われ、指差されて、からかわれた。

売店で、韓国製のカップラーメン、鰯の缶詰め、缶ビールと水を3人分買って、ホテルの部屋で食べた。

[ユーラシア大陸自動車横断紀行 Vol.25 (9)]

ロシアを横断旅行中に食べた数々の食事の中から、いくつかを並べてみた。ほとんど昼食でのメニューだが、これが夕食になっても大きな差はない。最後の建物の写真はカフェの屋外で見かけた調理場(?)だ。

素材を生かした手作りの食事に感じた美味さ

翌日の行動目的は、チタ行きのシベリア鉄道にカルディナと自分達を乗せる算段を整えることだった。

朝食は、昨晩、閉まっていたガソリンスタンド隣のカフェ。紅茶に、苺ジャムを塗ったパン。昼は、目抜き通りの食料品店で買ったピロシキにオレンジジュース、小さなリンゴ。間食に、チョコレートの「スニッカーズ」ひとつ。

ここの食料品店は、品揃えが充実していた。日本や欧米のスーパーのように、あふれんばかりに商品がひしめきあっているというわけにはいかないが、肉、牛乳とチーズ、各種缶詰め、パン、飲み物、菓子などが一通り揃っている。パン、鰯とレバーパテの缶詰め、ビスケット、水などを購入した。

この店に限らず、ロシアの地方の食料品店のほとんどは、“閉架式”だった。日本や欧米のスーパーのように、客が勝手に品物を手に取ってはいけないのである。店員に、「◯◯が欲しい」「△△は、ありますか?」と、まず訊ねなければならない。無愛想に渡された品物と引き換えに、代金を渡すシステムになっている。だから、買いたい品物が複数ある場合に、スラスラと列挙できないと、店員は露骨に嫌な顔をする。

夕食も、スタンド横のカフェ。そこしかないのだ。

「今晩のお供にしたいウォッカは......、そしてつまみは......」ひまなのか、それとも監視役なのか、店員さんがジッと見守る中で買い物をする。

ロシア製ビールの銘柄は、同行してくれた留学生通訳のイーゴリ・チルコフさんに何度聞いても、憶えられない。麦の穂がデザイン化されたラベルが張られたヤツだ。よく冷えた小瓶で、乾杯。キュウリのサラダに、ペリメニ。田丸瑞穂さんは、トマト・サラダに、ハンバーグ。イーゴリさんは、ボルシチ(ビーツのスープ)に、鳥のモモ焼き。

ペリメニというのは、ロシアの水餃子だ。僕と田丸さんはペリメニの虜になってしまっていた。味は、日本や中国のとほとんど一緒。サワークリームを落とすのが、ロシア流。サッパリした味になる。

ロシアの料理や食料品は、総じて分量が少ない。欧米よりも少なめ目の日本よりも、さらに少ない感じ。メニューの種類も少なく、ハンバーグや鳥モモ焼きのように、特別に、ロシアならではという料理も少ない。鮮度も低いものが多い。

だから、うまいものを探して食べてみようという、旅の食事の楽しみの要素が弱くなる。最初の数日間は、そうしたロシアの食事情に、もの足りなさを感じていたが、しばらくすると慣れてしまった。だから、痩せたのだと思う。

それでも、手作りで美味しいものや今まで食べたことのないものに、楽しみを見い出すことができた。パンやピロシキなどは、売っている店で作られていることが多い。タイミングが良ければ、焼き立てや揚げ立てを食べることができる。

クラスノヤルスクの先、アーチンスクの手前のロードサイドカフェで食べたウズベキスタンのカレー風味スープヌードルがうまかった。

「これも入れると美味しいわよ」

カフェのオバちゃんが、入れ忘れた刻みハーブを手づかみで麺の上に放り込んでくれた。大葉のような苦味が口中に拡がった。

また、ウラル山脈を挟んだヤルトロフスクやウファで食べた、屋台の串焼き肉も美味だった。羊や牛の肉の味が濃厚で、そこに香辛料が摺り込んである。

バイカル湖周辺の国道沿いで買い食いしたオムリという魚の薫製も、食べたことのない味がして、良かった。土着性が高く、手作りで素材の味が生きているものが、結局、舌の楽しみを拡大してくれるのだ。

よく考えてみれば、広大な国土を、様々な民族が構成しているロシアに単一な“ロシア料理”などがあるわけがない。ただ、土地々々の食べ物があるだけのこと。その味は、そこの土地の味なのだ。その点では、ロシアも他の国と変わらない。
(続く)

親しそうに店員と話をする金子氏。CCCP(キリル文字でエスエスエスエルと読む=USSR/ソビエト連邦)の文字入りジャージを購入した時のカット。

金子 浩久 | Hirohisa Kaneko
自動車ライター。1961年東京生まれ。このユーラシア横断紀行のような、海外自動車旅行を世界各地で行ってきている。初期の紀行文は『地球自動車旅行』(東京書籍)に収められており、以降は主なものを自身の ホームページ に採録。もうひとつのライフワークは『10年10万kmストーリー』で、単行本4冊(二玄社)にまとめられ、現在はnoteでの有料配信とMotor Magazine誌にて連載している。その他の著作に、『セナと日本人』『レクサスのジレンマ』『ニッポン・ミニ・ストーリー』『力説自動車』などがある。

田丸 瑞穂|Mizuho Tamaru
フォトグラファー。1965年広島県庄原市生まれ。スタジオでのスチルフォトをメインとして活動。ジュエリーなどの小物から航空機まで撮影対象は幅広い。また、クライミングで培った経験を生かし厳しい環境下でのアウトドア撮影も得意とする。この実体験から生まれたアウトドアで役立つカメラ携帯グッズの 製作販売 も実施。ライターの金子氏とはTopGear誌(香港版、台湾版)の 連載ページ を担当撮影をし6シーズン目に入る。

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