◆「ウイルスが爆発炎上しています」
日本の畜産業を根底から揺さぶる事態が2010年、宮崎県で発生した。家畜伝染病の口蹄疫である。宮崎県南部を中心に最終的には牛や豚、水牛など29万頭余りが殺処分され、損失額は同県だけで2300億円余りに達した。感染拡大を食い止めるため、外出禁止・自粛が続き、道路の通行禁止や地区の封鎖も断行。自衛隊には災害派遣要請がなされ、白い防護服に身を包んだ隊員らが畜舎を消毒や殺処分などに従事した。
そうしたショッキングな映像とともに、この出来事を記憶しいている人も多いに違いない。
ただ、現地の畜産農家たちの間で、本当は何が起きているのか。農家たちはどんな思いを抱いていたのか。そうした情報は当時、必ずしも広く伝わっていなかったと思われる。その隙間を産めるように事態を丁寧に伝えていたのが、地元紙・宮崎日日新聞だった。一連の報道は同年の農業ジャーナリスト賞を受賞している。
◆ついに感染、1200頭の豚全てを殺処分へ
口蹄疫が猛威を奮っていた2010年5月、宮崎日日新聞社報道部に1痛の速達が届いた。差出人は同県川南町で養豚業を営む女性(60)。懸命の防疫作業も実らず、ついに豚の感染疑いが確認され、全頭の殺処分が決まった。発生農家にしか分からない現場の悲惨な状況と無念さ。それが綴られていた。手紙全文は宮崎日日新聞の5月22日朝刊1面に掲載された。
我が家は養豚歴38年で、現在約1200頭の豚の殺処分をまっています。口蹄疫の発生直後より、埃ひとつにもウイルスが付いているのではないかと、畜舎はもとより、身に付けた全ての物まで徹底して消毒を行ってきました。
我が家には戦争で全てを失い朝鮮から引き揚げ、川南の大地を開墾して共に養豚業を築いてくれた88歳の姑がいる。「今日は大丈夫だったけど明日はどうじゃろか」と怯える日々を姑が「召集令状を待つ思い」とつぶやいていた。
5月16日に我が家もついに陥落、白旗を揚げるとプツンと緊張の糸が切れた。疲れ切った私たちを思いやり、その無念さを姑が短歌でいたわってくれた。
養豚の音なき終わりにすべもなく 只ありがとうの感謝あるのみ
近日に命絶たれる母豚あり 日々出産をするもあわれぞ我が家の豚に感染が確認されてから今朝までに119頭の子豚が死にました。我が家の畜舎ではウイルスが爆発炎上しています。お願いです。一日でも早く消火してください。
手紙の全文に添えられた2枚の写真も大きな反響を呼ぶ。いずれも女性本人が撮影したものだ。
1枚には何頭もの死んだ子豚が畜舎に横たわる姿が写っていた。そこに「免疫力のない子豚はあっという間に肺をやられるのでしょう。血性の泡を吹いて死んでいきます」という女性の説明文。もう1枚は母親のお乳に群がる愛らしい子豚。生まれたばかりの13頭だ。キャプションには女性の文で「たっぷりオッパイを飲みスヤスヤ眠る。明日か明後日には死に絶える」とあった。
宮崎日日新聞の記者はこの女性を訪ね、密着し、ルポを重ねた。
◆弱った子豚にスポドリ、殺処分の獣医には「怖がらせないで」
豚の殺処分が決まった後も女性は毎日、畜舎で豚の世話を続けた。感染すると、豚は高い熱を出し、足の水疱が破れて立てなくなる。「口蹄疫ウイルスに抵抗力のない生まれたばかりの子豚が、毎日40頭ずつほど血のあわを吐きながら死んでいきます」。感染豚はとにかく喉が渇くらしい。女性はそんな豚に水ではなく、スポーツドリンクを与えた。「少しでも楽にしてやり、喜ぶ顔が見たい」からだ。死んだ子豚を腐らないように冷蔵庫で保管しているのは、この後に殺処分される母豚とぜめて一緒に埋めてやるためだった。
養豚業のこの女性は38年間、豚とともに生きてきた。
「豚は気の小さい動物で、ブラッシングなどで温かく接することにより人を信用するようになる」と言った。殺処分を行う獣医師には「できるだけ怖がらせないように殺してください」と頼んだ。そうまでして豚をかわいがるのは、豚が単なる商品ではないからだ。
その豚たちも同月末までに全頭が殺処分された。
◆「殺処分された牛や豚の数だけ涙の別れがあった」
それから2カ月後、宮崎県内の口蹄疫はほぼ終息に向かい始めていた。新聞社に速達を出した女性養豚業者の周囲でも、家畜はゼロになった。そして再び、女性は新聞社に手紙を託し、すべての読者に読んでもらいたいと願った。
思えば(口蹄疫で殺処分された)約28万8300頭の牛、豚の数だけ悲痛な涙の別れがありました。これからは県も同じ痛みを分かち合い、スタートの先頭に立って欲しいと思います。
そんなことを呟きながら私達夫婦は豚舎周囲の雑草をきれいに刈り取りました。ただでさえ異様に映る空っぽの畜舎です。管理もされず放置された空舎は廃墟化して不気味になります。私達には再開か、廃業かの目途も立っておりませんが、豚たちの温もりや息遣いが残っている間は手入れをしていこうと話しています。
もし、廃業する時は、建物全部を取り壊して、糞尿で汚染した跡地に木や花を植えてきれいな土地に戻そう、そうしたら孫やよその子供たちが自転車を乗り回して遊ぶかも知れん。そしたら子供が喜ぶ果実も植えんといかん。等と想像が膨らみます。
いずれにせよ、全農家が再開か廃業かを決める日が来ます。どの家のお墓もすぐに雑草に覆われて周囲の景色に溶け込んでしまうでしょう。でも廃墟化した畜舎はボロボロになって朽ち果てるまで何十年もかかります。
どうか自然豊かな美しいわが里に不気味な廃墟が残らぬよう、廃業する農家にも後片付けが出来るだけの十分な支援をお願いしたいと思います。
◆ウイルスは“見えていた! 事態を招いた行政の不作為
ウイルスは目に見えない。だが、宮崎県の畜産業者らにはウイルスがはっきり見えていたに違いない。何しろ、眼の前でバタバタと家畜が倒れ、あっという間に畜舎全体に広がっていくのである。しかも、口蹄疫の感染拡大には、宮崎県当局や農林水産省の不作為も大きかった。
後に農水省の検証委員会がまとめた報告書は「10年前の口蹄疫の発生を踏まえて作られた防疫体制が十分に機能しなかった」「国と宮崎県・市町村などとの役割分担が明確でなく、連携も不足していた」などと指摘。ワクチン接種の遅れも含めて、行政の責任が極めて大きかったと総括したのである。
宮崎日日新聞はこの年、通常のニュース記事だけでなく、連載・特集、深堀りルポなども交えながら長く関連報道を続けた。「東京目線」「中央目線」が幅を利かせる日本のメディア界では大きな注目を集めなかったが、地域の実情を伝え続け、日本農政の欠落した部分までも視野に入れた報道はもっと記憶されていい。
一連の取材を担っていた奈須貴芳記者は報道が一段落した後の2012年、『日本の現場 地方紙で読む 2012』の中で口蹄疫に関する記憶の風化が早くも進んでいると警告した。そのうえで「防疫の中心を担うのはもちろん農家や行政だが、口蹄疫との戦いには県民全体の協力が不可欠なことは論をまたない」と記した。直接の当事者だけでは、広範な事態に対応できないという指摘だ。
今まさに、われわれが新型コロナウイルスとの戦いで日々実感させられていることと、まるで同じではないろうか。
(フロントラインプレス・高田昌幸)
■参考URL
単行本『ドキュメント口蹄疫―感染爆発・全頭殺処分から復興・新生へ』(宮崎日日新聞社著)