【幕末維新 山口れきし散歩】 No.24 「石川家邸宅跡」

▲冬木が春を待つ(山口市佐山)

 遠くにはなだらかな山々が連なり、周囲には広大な農地が広がる。

 1840(天保11)年、実り豊かなここ佐山の地に誕生したのが、石川小五郎、後の河瀬眞孝(かわせまさたか)である。

 彼は、1863(文久3)年、先鋒隊士として下関で外国船砲撃に参加。1864(元治元)年12月15日、高杉晋作が長府の功山寺で打倒保守派を叫び挙兵した際には、遊撃隊を率いていち早く呼応。翌年には美祢郡赤村で保守派の萩政府軍を撃破した。1866(慶応2)年に起きた四境戦争では芸州口で幕府軍を相手に奮戦。その翌年、ロンドンに留学するが、到着して半年余り経った頃には、徐々にではあるが新聞が読めるほどになったという。

防長史談会山口支部長 松前了嗣

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