もうひとりの河野洋平 “強制労働”を認めた日本のユネスコ大使|山岡鉄秀 1月31日、自民党役員会で岸田文雄総理は「佐渡金山」を世界文化遺産の候補として2月1日にユネスコに推薦する方針を改めて説明した。「最後は俺が決める」(産経新聞)と豪語した岸田総理だが、推薦論と見送り論の間で、右往左往したことも事実だろう。韓国との歴史戦は、佐渡金山だけではない。かつて韓国の主張を丸吞みし、“強制労働”を認めたことがあった。その時の外相は岸田氏である……。2021年10月号の記事を特別公開!(肩書等は当時のママ)

産業遺産情報センターにユネスコ「強い遺憾」

長崎市に属する端島、いわゆる軍艦島が、他の遺産群とともに「明治日本の産業革命遺産」としてユネスコの世界文化遺産に登録されたのは、2015年7月だった。

それから6年、ユネスコの世界遺産委員会は2021年7月22日、世界文化遺産登録後に日本政府によって新宿区に設置された「産業遺産情報センター」における朝鮮人労働者の境遇に関する説明が不十分だとして、「強い遺憾」を盛り込んだ決議を採択した。

決議に付されたユネスコとイコモス(国際記念物遺跡会議)の合同調査報告書は、産業遺産情報センターは世界遺産の構成資産から離れた場所にあり、歴史を示す展示に乏しいと指摘。

館内にある端島住民の証言パネル展示についても、労働を強制された人はいなかったという印象を与えるものだとして、現在の内容では不十分だと評価。犠牲者(朝鮮人労働者)の悲惨な境遇を記憶に留める説明が十分になされるよう「より暗い側面を含めた多様な証言」を加えるよう求めている。

これに対し、元島民の方々は、朝鮮半島出身の人たちとも仲良くやってきた、なぜユネスコは元島民の話を聞かず、無関係な活動家や韓国の話だけを聞くのかと、怒り心頭に発しているとのことである。

しかし、実はこれは起こるべくして起こったことなのである。6年前に外務省が埋め込んだ時限爆弾が破裂したに過ぎない。

どういうことか。

そもそも、明治日本の産業革命遺産とは何だったのか。ウィキペディアには次のようにある。
「2015年の第39回世界遺産委員会でUNESCOの世界遺産リストに登録された日本の世界遺産の一つであり、山口・福岡・佐賀・長崎・熊本・鹿児島・岩手・静岡の8県(23箇所)に点在する。西洋から非西洋世界への技術移転と日本の伝統文化を融合させ、1850年代から1910年(幕末 ―明治時代)までに急速な発展をとげた炭鉱、鉄鋼業、造船業に関する文化遺産」

この世界遺産登録の画期的なところは、複数の遺産をひとつのカテゴリーに入れ込んで登録に成功したことだ。つまり、単体では世界遺産に値しなくても、23箇所全体でひとつの世界遺産を構成するという考え方である。

幕末から日本は高度に工業化された西洋諸国の圧倒的な力に接し、植民地化を防ぐために懸命に努力する。西洋の技術を見よう見まねで習得し、江戸時代に培った伝統技術を融合させて急速に近代工業を発展させる。その必死の努力の痕跡を集めたものが、明治産業遺産群である。

韓国政府からの執拗な妨害と日本の妥協案

東京・新宿の「産業遺産情報センター」に行くと、生々しい歴史を学ぶことができる。しかし、優れた着想だったとはいえ、登録までの道のりは平坦ではなかった。いつものことながら、韓国政府からの執拗な妨害があった。

韓国の尹炳世外交部長官は、構成資産のうち、長崎造船所や端島炭坑など7つの施設で第2次世界大戦中に多くの朝鮮人が徴用され、多くの犠牲者を出したという理由で、全23施設のうち7施設の申請撤回を求めた。また、中国外交部も韓国の働きかけに応じて、登録反対を表明した。

これに対する当時の岸田外相の反論は、「この遺産群の対象年代は1850年代から1910年であり、徴用が行われた年代とは異なる」というものだった。つまり、強制労働自体は否定しなかったわけだ。

2015年6月21日、尹外交部長官は訪日して岸田外相と会談を行うのだが、また日本はまんまと騙される。韓国も「百済歴史地区」の世界遺産登録を目指しているので、お互いに協力しようと合意する。

日本は約束を守って応援し、韓国の申請は無事に全会一致で可決されるのだが、日本の番になって案の定、韓国が約束を反故にして難癖をつけてきた。遺産群の描写に「強制労働」(forced labor)という表現を入れろというのである。

これでは卓袱台返しだ。日本側は反発するが、外務省が示した妥協案は噴飯ものであった。表現を和らげて、「労働を強いられた」 (forced to work)で合意したというのである。

私は当時、このニュースを聞いて耳を疑った。それら2つは全く同じ意味だからである。名詞形で表現するか、動詞形で表現するかの違いでしかない。難関大学を出て難関国家試験に合格したエリートの英語力と交渉力には、呆れかえるばかりだ。

当然ながら海外メディアは「日本が強制労働を認めて世界遺産登録を獲得した」と報じた。

佐藤ユネスコ大使が韓国の主張を丸吞み!

私はたまらず、この馬鹿げた妥協と自滅を糾弾する論説を月刊『正論』に寄稿した。しかし、実は日本政府が示した自滅的な妥協である「forced to work」は、もっと長い文の一部でしかなかったのである。

協力し合うという合意を突然韓国が反故にした際、岸田文雄外相、杉山晋輔政務担当外務審議官、新美潤国際文化交流審議官らと連携をとっていた佐藤地(くに)ユネスコ大使は、
「Koreans and others who were brought against their will and forced to work under harsh conditions」(「多くの朝鮮半島の出身者などがその意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かされた」)という表現を提案し、相手の主張を丸吞みにして譲歩していたのだ。

その結果、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の世界遺産への登録が全会一致で決定された。しかし、それは時限爆弾を埋め込むに等しい行為だったのである。

2020年に産業遺産情報センター(加藤康子センター長)が開所され、軍艦島にも大きなスペースが割かれている。当時は日本人も韓国人も分け隔てなく仲良く働き、暮らしていたことが、豊富な資料と元島民の証言で示されている。

しかし当然ながら、韓国政府と日韓の左派活動家団体などが反発し、ユネスコに言いつけた。それが、冒頭で紹介したユネスコの決議に帰結するのである。

この日本を糾弾するユネスコの姿勢に対して、茂木外相は7月13日、「わが国はこれまでの委員会の決議、勧告を真摯に受け止め、約束した措置を含めて誠実に履行してきている」 「わが国のこうした立場を踏まえ、適切に対応していきたい」と述べた。

完全屈服外交で国家の名誉を売った

また、加藤官房長官は「明治日本の産業革命遺産について、わが国はこれまでの世界遺産委員会における決議・勧告を真摯に受け止め、政府が約束した措置を含めて誠実に履行してきた」と述べ、やはり「適切に対応していきたい」と述べた。

はたして、この2人が述べる「適切な対応」とは何のことなのか。佐藤ユネスコ大使が埋め込んだ時限爆弾をどう処理するつもりなのか。常に本質的な議論を避け、その場しのぎの対応をしてきた日本の外交。ここにも大きな汚点があった。

韓国は早速、ユネスコの決議を盾にして、「日本が約束を破った」と大々的にネガティブキャンペーンを展開してきている。佐藤ユネスコ大使らが行った完全屈服外交は国家の名誉を売る行為であり、彼女こそもうひとりの河野洋平だと言って過言ではないだろう。

もちろん、佐藤ユネスコ大使と協業する立場にあった当時の新美潤国際文化交流審議官も同罪であるし、このようなその場しのぎの亡国的対応を許した当時の岸田文雄外相の責任も問われなくてはならない。

また、当時の駐大韓民国特命全権大使は別所浩郎氏だが、この世界遺産登録騒ぎがあった翌年の2016年には韓国政府から日韓両国の友好親善に貢献した功績を称えられ、修交勲章光化章を授与されている。全面降伏外交への功労ではないかと勘繰りたくもなる。別所氏は現在、侍従長の職にある。

彼らの責任は追及されなくてはならない。そして、この理不尽な状況下に孤軍奮闘する元島民の方々と産業遺産情報センターを放置することがあってはならない。

(初出:月刊『Hanada』2021年10月号)

著者略歴

山岡鉄秀(Tetsuhide Yamaoka) 令和専攻塾第2期(令和4年4月開講)塾生募集中!

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