ライターズ・イン・レジデンス尾道2022 〜 古民家ゲストハウスに物書きが集う滞在イベント!「空きP」の豊田雅子さんに聞くイベントへの想い

尾道のなかでも代表的な観光スポットである千光寺まであと一歩!という坂の中腹に建つ、ゲストハウス「みはらし亭」。

ここでは、1月中旬〜2月上旬のウィンターシーズンに合わせて「ライターズ・イン・レジデンス尾道」、物書きのための滞在イベントが開催されています。

今回は筆者が実際に参加したライターズ・イン・レジデンスのようすをレポート!

NPO法人 尾道空き家再生プロジェクトの代表理事・豊田雅子(とよた まさこ)さんに話しも聞きました。

物書きが集まる滞在イベント「ライターズ・イン・レジデンス尾道」とは

今年(2022年)で5回目となる「ライターズ・イン・レジデンス尾道」は、現代の物書きたちが「みはらし亭」に長期滞在し、尾道の代表的な景観である坂道や細い路地といった古くからの町並み、そして地元の人との交流を楽しみながら、執筆活動を行なうイベントです。

尾道は古くから数々の作家やクリエイターと縁のある土地で、執筆活動だけでなくさまざまな創作の場となったり、映像作品の舞台となったりするなど、長年親しまれてきました。

部屋にこもって執筆活動に勤しむのもよし。まち歩きを楽しむのもよし。英気を養うのもよし。

ライターによって、それぞれの過ごし方が楽しめます。

ライターズ・イン・レジデンス尾道2022の概要

期間:2022年1月13日(木)〜2月3日(木)のうちの1週間単位

参加費:1週間15,000円(8畳の間のみ25,000円)

※1週間単位のみでの受付で日割り清算は不可。最長3週間宿泊可。

対象は小説家、エッセイスト、詩人、脚本家、漫画家、ブロガー、論文を執筆する学生、映画監督など幅広く、プロ・アマは問われません。

共同生活を営むゲストハウスでの滞在イベントなので、宿泊に際してはほかにもルールがありますが、基本的に「物書きである」「滞在中に創作活動をする」人であれば、県内外から誰でも参加可能です。

滞在場所は、尾道を一望できる絶景のゲストハウス「みはらし亭」

ライターズ・イン・レジデンスの舞台となるのは、千光寺に向かって登っていく坂の中腹にあるゲストハウス「みはらし亭」です。

この建物は1921年(大正10年)に建てられた別荘建築で、旅館としての歴史を経て30年近く空き家だった再生物件。

2009年に尾道空き家バンクに登録されて以来、NPO法人 尾道空き家再生プロジェクト(通称・空きP)が中心となって大改修工事が進められ、2016年の春にゲストハウスとして新しいスタートを切った経緯があります。

記事の後半では尾道空き家再生プロジェクトの代表理事・豊田雅子さんから詳しく話しを聞いたので、合わせて読んでみてください。

「ライターズ・イン・レジデンス尾道」の参加レポート

筆者は1月13日(木)〜1月20日(木)の日程で参加。

申し込んだのは昨年(2021年)の10月で、このときすでに予約がいっぱいでしたが、「ベッドのある山側洋室のほうであれば……」と案内してもらい、「ぜひ!」と参加を希望しました。

みはらし亭に着いたらまず、豊田さんや空きP専務理事の新田悟朗(にった ごろう)さんにあいさつ。施設内の案内や滞在中の注意事項の説明などを受けてチェックインです。

空きPの活動に関するフリーペーパーや情報誌をもらえました。参加特典には空き家再生事例として運営している店舗の割引券なども。

みはらし亭の施設内を紹介

ふだんのみはらし亭はドミトリーと個室に分かれていますが、ライターズ・イン・レジデンスの期間中は書きものに集中できるよう、全員に個室が割り振られます。

母屋と離れがあり、2階でつながっている建物構造。シャワーや洗濯機、共用キッチンはすべて離れにあります。

通常洗濯は1回400円の有料ですが、ライターズ・イン・レジデンスの期間中は自由に使用することができます。

筆者が泊まった「2階 山側 洋室」は離れにあり、エアコンはありませんでしたがヒーターや電気毛布の設備がありました。

母屋にある和室は館内設備が違うようなので、次回は別の部屋にも泊まってみたいです。

サロンとして開放されているこたつの間は、書きものや雑談で使用できるスペース。

暖を取るために何度か利用し、ほかの参加者のかたとこたつを囲んで親交を深めることができました。

この共同部屋(サロン)をはじめ、海側の部屋から見えるのはまさに”尾道らしい”といえる眺望。

かつて名だたる文人墨客(ぶんじんぼっかく)が眺めてきたであろう景観に、執筆活動も捗(はかど)ります。

文人墨客:詩文や書画などの芸術作品を創作する人のこと。

ゲストだけが入れる中庭からの眺めも良かったです。

コーヒーなどをテイクアウトしてきて、読書が楽しめそうなスポットでした。

みはらし亭滞在中の過ごし方

滞在中は併設のカフェがほぼ自由に使えたので、オンラインミーティングをはじめ仕事でよく利用しました。

Wi-Fi接続も問題なく、特にオンラインミーティングができる環境があったのはありがたかったです。

坂から見えた朝日

筆者はふだんWEBメディアの記事執筆や校正の仕事をしていますが、滞在中の仕事も問題なかったです。

むしろこの滞在では仕事だけでなく、朝の散歩に出かけたり夜は銭湯に赴いたりなどして、できるだけ”坂道の生活”を楽しむよう心がけて過ごしました。

滞在中に開催されるまち歩きや交流会に参加

ライターズ・イン・レジデンス期間中には、豊田さんがガイドを務める「まち歩き」が開催されます。

もともと海外旅行の添乗員をされていた豊田さんの説明はとてもわかりやすく、普通のツアーでは聞けないような話題や空き家再生にまつわるエピソード、実際の再生物件などを見てまわることができるとても興味深い時間でした!

期間中の土曜日夕方には、尾道のおいしい和菓子や人気のお土産、はっさくなどを囲んでちょっとした交流会も。

もちろんパーテーションを挟んでの小規模な会でしたが、参加者の活動実績や滞在中の過ごし方を知ることができて良い刺激をもらいました。

参加者の中には、何度もイベントに参加しているリピーターや2週間以上滞在するからもちらほらいましたよ。

ライターズ・イン・レジデンス尾道の主催者であり、数々の空き家に命を吹き込んできた、NPO法人 尾道空き家再生プロジェクト代表理事の豊田雅子さんに話しを聞きました

尾道空き家再生プロジェクト代表理事の豊田雅子さんにインタビュー

多様な物書きが集う「ライターズ・イン・レジデンス尾道」

──ライターズ・イン・レジデンス尾道2022には何名のかたが参加したのでしょうか。

豊田(敬称略)──

今回は最終的に16名のライターさんに参加していただきました。

「ライターズ・イン・レジデンス尾道」ではその名のとおり物書きを募集していますが、ライターと一口に言ってもバラエティ豊かなことに毎回驚かされます。

──たとえば、これまでどんな物書きのかたが参加しましたか?

豊田──

プロの小説家さんや漫画家さんといった有名なクリエイターさんの参加もありますし、もちろんWEBライターさんをはじめエッセイスト、出版社に勤める編集者、元新聞記者、楽譜を書く人など本当に多種多様です。

「ライターさんってこんなにいろいろなかたがいるのね」と、このイベントを通して知ることができました。

──今回はフォークソングシンガーのかたも参加されていましたね。

豊田──

歌詞やエッセイを執筆するかたわら、曲を作って配信もされていましたね!

ほかにも、この数年の間にテレワークやワーケーションといった働き方が確立されたこともあり、都会にいなくてもこちらに仕事を持って来られるかたがさらに増えた印象です。

──ライターズ・イン・レジデンスは、2018年から毎年1〜2月に開催されているんですよね。

豊田──

そうです、おかげさまで今年(2022年)で5回目を迎えました。

この辺り、ふだんは観光客が多いんですが、冬季はやはり少し客足が遠のきます。だったらこの時期、いつもの観光とは違うようなことができるんじゃないかと思って始まった企画です。

なので閑散期の宿の活用方法としての側面はもちろんあるのですが、まち作りの一環として行なってきた空き家再生の、ひとつの活用事例として知ってもらう良い機会でもあるんですよね。

県外から来ていただくのはもちろんうれしいですが、こういう機会に地元の人にも地元の宝の存在を知ってほしいと思います。

「このままでは坂の町並みがなくなってしまう」……空き家再生までの道のり

──ライターズ・イン・レジデンスの開催場所である「みはらし亭」は、尾道空き家再生プロジェクト(空きP)の大型再生物件ですね。
まずは豊田さんが空き家再生に携わるようになったきっかけを教えてください。

豊田──

私は尾道出身です。大学進学で大阪に出てそのまま就職しましたが、ちょうど大学生のころかな、帰省したタイミングで、山手エリアに空き家がものすごい増えていることを知ったんです。

見に行ったら10軒に1軒くらいは空き家なんですよ。でも今の建築基準法では壊してしまうと建て替えがきかず、「このままでは坂の町がなくなってしまうかもしれない」という危機的状態でした。

これはまずいと思って、まずは自分が空き家を活かすべく帰省するたびに空き家探しをしていました。

空き家情報の蓄積や大家さんとのつながりは、この期間に得られたものです。

──最初は自身の足で情報を得ていたんですね。豊田さんのご主人は数寄屋(すきや)大工のかただと聞きました。空き家探しのタイミングで出会われたんですか?

豊田──

そうそう、夫は大工なんです。

あるとき実家のリフォームをすることになったんですが、私けっこうこだわりが強くて。大工さんからしたら面倒くさいだろうなっていう工事を頼みたかったんですよ。

「そんな面倒なこだわりに対応してくれるような若い大工さん、誰かおらんかね」って飲食店を経営する友達に聞いたら、「常連さんにおるよ〜」と紹介してもらったのが出会いです。

彼は京都で数寄屋大工の修業を積んでいて、お茶室なんかも造れるし若かったので、当時いろいろと相談しやすかったですね。

そんな出会いだったので、今私がやっている空きPの活動にも賛同してくれて、空き家の工事も手伝ってくれています。

数寄屋大工:主に茶室などを造る大工。部屋だけでなく技工をこらした細工の制作なども求められ特殊な技術が必要となる。

──空き家再生の代表と数寄屋大工……今思えば最強の組み合わせですね!

豊田──

ですよね(笑)。「政略結婚じゃ〜!」なんて言ったりしています。

昔尾道で活躍されていた大工さんって、すごい技術を持っていたんです。坂道の特殊な条件を駆使して、日当たりや風の通り、窓からの眺め、いろいろなことを考えて建てているんですよ。

夫には、新しい家をどんどん建てるよりも、古い家を大切に直していけるような大工になってほしいなと思っています。

空き家再生プロジェクト発足のきっかけとなった「尾道ガウディハウス」

──豊田さんが最初に購入した空き家は、「尾道ガウディハウス」と呼ばれる別荘建築ですよね。それがやはり空きP発足のきっかけになったのでしょうか。

豊田──

そうですね。ガウディハウスを購入して夫と一緒に直し始めたのが始まりです。

その頃は毎日ブログを書いていて、尾道の空き家問題のことやガウディハウスの修理状況などを写真つきでアップしていました。

そうしたらものすごい反響があって。移住希望者や空き家を探している人からかなり相談を受けるようになったんです。

通称・尾道ガウディハウス:JR尾道駅の北側に位置する、日本家屋では珍しい曲線や装飾が見られる洋館付き住宅。わずか10坪の敷地内の至るところに当時の技術が光る。

──個人ブログに問い合わせがあるなんてすごいですね!どれくらいの相談があったんですか?

豊田──

1年間で約100人の読者から相談のコメントをもらいました。本当に尾道へ訪ねてくる人もけっこういましたね。

──100人ですか!

豊田──

当時、JR尾道駅から2〜3キロメートル圏内だけでも500軒ほど、島のほうまで含めると7,500軒ほどの空き家がありました。

でも、もしこの100人が空き家に移住してくれたらとりあえず100軒くらいの空き家問題はどうにかできる!と思ったんです。

──なんというポジティブ!

豊田──

あはは(笑)。でも、そのときから空き家問題は絶対に日本の社会問題となっていくだろうと思っていました。

自分の故郷だからというのもありますが、尾道が築いてきた歴史や文化的な景観、人のつながり、コミュニティがそんなことで簡単になくなってしまっていいのかなって何度も考えていたんです。

私は会社員時代に海外旅行の添乗員をしていて、尾道と同じような地形を持つヨーロッパによく足を運びましたし、そこで地域の成功事例をたくさん見てきました。

その経験から「どうにかできる」と確信できたので、スムーズに活動を始めることができましたね。

──同じような地域での成功事例を見てきたというのは大きいですね。

豊田──

空き家が地元の人にとって「負の遺産」のように捉えられるのはわかっています。でも逆に、そんな既成概念のない人からの目線で見ると突破口が開けるんじゃないかってブログをやっていて思いました。

尾道の人にしてみたらもうどうしようもないと思ってるものが、都会や県外のかたからしたら宝の山みたいに見える。だから移住者が来てくれるのは単純にありがたいですね。

──豊田さんのブログがきっかけで移住されたかたがたは、そもそも空き家再生やまち作りがしたくて来てくれるということですね。

みはらし亭の敷地内。モザイクタイルに遊び心が光ります。

豊田──

純粋にその建物の良さやユニークなポイントを活かしてくれるような移住者は、やはり空き家をおもしろく使ってくれますね。

住宅として直すには予算オーバーでも、アトリエやギャラリーとしてなら安く済むからと、アーティストが空き家に移ってきたりもしました。

「古い」や「不便」は別に恥ずかしくないですし、逆にそれが誇りに思えたり、町に帰ってくる理由、移住する理由にだってなりうると思っています。

日本人ってもっと物を大事にする人たちだと思うんです。でも今や修復する文化はなくなりつつありますよね。

──確かに、洋服なんかも安く手に入れてワンシーズンで買いかえるような流行があるのも事実です。

豊田──

でしょ。ヨーロッパに目を向けるとすごいですよ。教会が崩れてしまったとき、そこに残っているオリジナルの石を再利用して時間をかけて復元するんです。その技術がちゃんとある。

古いものを何百年と大事にしながら、町が維持されている国がある。日本もそうであってほしいと思います。

──そんな活動を経て、2008年に「尾道空き家再生プロジェクト」をNPO法人化。本格始動した空きPについて、改めて教えてください。

豊田──

移住希望者からの相談を受けるうちに、この空き家問題はちゃんと法人格を持った団体として行政や他団体と協力体制で挑むべき課題だと感じました。

先ほど話したように、ブログの相談などを通してそこにしっかりとニーズがあるとわかっていたから法人化できたという背景があります。

今でこそある程度は市民権を得られましたが、最初の頃は「古いものを集めている変わり者」と思われていましたね。

──スターティングのときはそんなイメージを持たれていたんですね……。そして2009年には尾道市と協同で「尾道空き家バンク」を始められました。

豊田──

尾道には以前から空き家バンクがあったんですが、このとき改めて事業受託というかたちで空きPが運営することになりました。

そんなこんなで、ブログや空きPの活動を通して160軒ほどの空き家は解消されたんじゃないかな。

空き家再生、移住者支援、仕事作りがひとつになった活動内容

──尾道空き家再生プロジェクトの再生物件のなかでも、商店街にあるゲストハウス「あなごのねどこ」は目を引きますよね。スタッフのなかには移住者のかたも多いと聞きました。

豊田──

そうですね。「あなごのねどこ」は私達の代表的な再生物件です。

「あなごのねどこ」を再生する頃って移住者がどんどん増えていた時期なんですが、なかには尾道に住みたい、でも仕事がないと悩んでいる人も多くいました。

デザインがやりたい、アートがやりたい、英語を使いたい。それなのに仕事がない――。それってめちゃくちゃもったいないじゃないですか。

そう考えたときに、多少なりともそのスキルを生かす場がないといけないなと思いました。

ゲストハウスなら外国のかたが来るから英語も使えるし、カフェを併設してるので料理やお菓子作りのスキルが活かせる。特に料理が得意な人にはメニュー考案の段階から入ってもらったり。

それぞれが持つ特技を活かせる場作りが必要だったので、新しい仕事もみんなで作ってきたというかたちです。

──空き家再生、移住者支援、仕事作り。そう考えるとものすごく循環的ですね。

坂道での暮らしには苦労がつきものだということを楽しく解説した「尾道暮らしへの手引書」

豊田──

そうなんです。やっぱりせっかく興味を持って移住しても、仕事がないとずっと住み続けることは難しいので。それは大事だと思います。

──豊田さんは今回の「ライターズ・イン・レジデンス尾道」をはじめ、再生物件でさまざまなイベントや企画を打ち出されていますよね。

豊田──

人をけしかけるのが得意なんです(笑)

それに移住してこられる人って自分でおもしろい企画を持っていたりするので、相乗効果が生まれるのも楽しんでいます。

──豊田さんにとって尾道ってどんな町ですか?

豊田──

1回行けばいいか、という町ではないのがおもしろいですよね。

時代の流れとともに、中身はもちろん変わっていくかもしれません。でも古い町並みや当時の建物を保ちながら、人情のある町であり続けてほしいです。

──最後に、「ライターズ・イン・レジデンス尾道」を通じて伝えたい想いはありますか?

豊田──

かの志賀直哉(しが なおや)さんも、尾道に滞在してのんびり過ごしたり景色を楽しんだりしたことが『暗夜行路』を書くきっかけになったといわれています。

いつもと違う環境に身を置くことって大事です。いったん尾道で深呼吸して、次の作品に活かしたり書くためのエネルギーに充てたりしてほしいと思っています

また、尾道って人と人との距離が近い暮らしが今も残っていますし、もともと港町でいつも外の人でごった返していた町だから旅行者や移住者とも気軽に話してくれる人が多いんです。

ぜひ地元の人との交流も楽しんでいってほしいですね。

おわりに

物書きのための滞在イベント「ライターズ・イン・レジデンス尾道」を通して、尾道空き家再生プロジェクトの活動についても取材しました。

筆者が滞在したのは雪がちらつくようなとても寒い時期でしたが、いくら寒くても300段の石段を登れば汗ばんでくること、こたつのありがたみ、銭湯でじわっと温まるときの気持ち良さや、朝の澄んだ空気……、これらは1週間をみはらし亭で過ごしたからこそ感じられたと思います。

コロナ禍での開催だったため、何をするにしても例年より小規模にならざるを得ないのはやはり残念でしたが、このひと冬の経験は物書きたちに刺激とぬくもりを与えてくれるのではないでしょうか。

“文学の町”ともいわれる尾道で、物書きしてみませんか?

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