多面体 福山雅治の音楽バックボーンといつまでも消えないロックンロールの灯!  2月6日は福山雅治の誕生日 長きに渡り継続する音楽活動、その根底にあるものとは?

ミュージシャン、俳優だけではない福山雅治のフィールド

福山雅治の存在は極めて多面体だ。ミュージシャンとして、ソングライティングもさることながら、ギター、ベース、ドラム、キーボード… と、あらゆる楽器の演奏に長け、90年代には「HALLO」を始め多くの楽曲をミリオンヒットに送り込む。

また、俳優としての揺るぎない地位を築きながらラジオDJとしても絶妙なテンポと女性支持者が多い福山にはアンタッチャブルとも思われるテーマも厭わず人気を博す。さらに写真家としてもコンスタントな活動を行い、シドニー、アテネ、北京夏季オリンピックのオフィシャルカメラマンに抜擢され、2006年には自身の撮影による写真集も発売している。

涼し気な優男の風貌からも、器用な人なんだなという印象を持つ。汗の匂いを感じない人だなとも思う。だけど、だけど…。彼のキャリアのスタートでもあり、活動の主軸である音楽に対するバックボーンを紐解くと、この印象とは真逆だ。

フェイバリットはTHE MODS、ARB、SION etc.

彼がフェイバリットとして挙げるミュージシャンは、THE MODS、ARB、そして自身も「Sorry Baby」をカバーするSIONなどだ。どちらかと言えば、無骨で、マイノリティな人たちに響くアンセムを紡ぎ出すミュージシャンばかりだ。これに対して福山の音楽性といえば、より幅広い層に響く美しい旋律が特徴だ。正直、その根底に垣間見られるであろうルーツミュージックの輪郭を捉えることができないのだ。

そんな福山であるが、生まれ育った長崎から上京にいたるモチベーションは音楽であった。上京時、夜行列車の中で有り金20万円を靴下の中に突っ込んだというエピソードは、SIONのデビューアルバムの中に収録されている「風向きが変わっちまいそうだ」で描かれる

 この街じゃ誰もかれもが
 なにか企んでるように見える
 下りたばかりの駅の構内で
 有り金全部ブーツにつっこんだ

… を地で行っている。

中学時代THE MODSに触発され、初めてのライブは1983年、THE MODSが最も鋭角的なアプローチで頭角を現した時代の『GANG TOUR』だったという。そんな福山のデビューアルバムのプロデュースは博多時代、結成時のTHE MODSのギタリストで後にARBに加入する白浜久が担う。おそらく、福山自身が最も望むデビューへの軌跡だった。

白浜久プロデュース、ファーストアルバム「伝言」

ファーストアルバム『伝言』は、極めて白浜色が強い作風だった。白浜への依頼は福山の強い要望だった。ロックの歴史を正しく踏襲しながら、時代に即したアプローチを打ち出した正統派ロックアルバムだった。収録された楽曲のソングライティングには白浜と共に自身の名を連ねた。極めて個人的な印象として、T-REXの「GET IT ON」をリメイクしたパワーステーションに近いニュアンスも感じた。後のヒット曲「桜坂」や「家族になろうよ」などとはずいぶん違った印象を感じた。

デビューアルバムリリース以降、ドラマ出演が連なる。それまで、ミュージシャンにプライオリティを置く活動を望んでいたため、役者としての出演依頼を断っていたというが、ここにきて事態は急転した。それは、おそらく、ファーストアルバムのクオリティに手ごたえを感じ、表現者として、多くの人に望まれるべき道に進むことが間違いではないと考えたのかもしれない。1993年に出演した『ひとつ屋根の下』は最高視聴率37.8%を記録。1995年には『いつかまた逢える』でドラマ初主演。同時期には「HELLO」がオリコン累計売上枚数187万枚を記録した。

つまり、福山は、大衆から何を求められているかという部分を熟知し、音楽性をシフトしていったのではないだろうか。そこに自らの存在価値を見出したかのように。それは極めてプロフェッショナルな方向性だ。

現在に至るまで、自らが制作のイニシアチブを握りシングル32枚、アルバム12枚リリースというコンスタントな音楽活動は評価に値するものであり、的確なベクトルを示した音楽性はミュージシャンとしてあるべきひとつの姿だと思う。

福山雅治の中にある “ロックンロールの衝動”

では、福山が上京時、胸に秘めていた、ロックンロールへの衝動は消えていったのだろうか。僕は、そんなに容易く消えるものではないと思う。それは、かつて、甲本ヒロトがクラッシュのジョー・ストラマ―に向けたコメントに相通じる部分があると思う。

 ジョーに憧れました。
 ジョーのようになりたいと思いました。
 ジョーのようになる。
 それは彼の音楽やファッションを真似ることじゃなく、
 誰の真似もしないことでした。

福山もまた、長崎から夜行列車で上京した時に胸に秘めたロックンロールの灯は消えていないと思う。自らの立ち位置を明確に理解し、自身を求める多くのファンのために何をすれば効果的かということにプライオリティを置き、音楽活動を長きに渡り継続するそのスタンスは福山の中の紛れもない “ロック” なのだと思う。

カタリベ: 本田隆

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