沢田知可子「LIVE 1990&1991」“会いたい” のブレイク前後に行われた2つのライブ  2022年1月19日 沢田知可子のライブ映像が初DVD化!

ドキュメンタリーとしても楽しめる、沢田知可子「LIVE 1990 & 1991」

2022年1月19日に、沢田知可子の2つの映像作品『LIVE 1990 & 1991』が発売された。タイトルだけ見れば、単に過去2年間のライブ記録だと思われるかもしれないが、大げさに言えば「会いたい」というメガヒットのおかげで人生が大きく変わってしまった一人の女性のドキュメンタリーフィルムのようにも思えてくる。ちょっと違った視点で観ると面白い映像作品としてご覧いただけるかもしれない。

沢田知可子は1987年シングル「恋人と呼ばせて-Let me call your sweet heart」でデビュー。「会いたい」は1990年の6月に発売された4枚目のオリジナルアルバム『I miss you』からのシングルカット曲で、当時の所属レコード会社もほぼ期待していない1曲だった。何故なら「会いたい」の発売から1か月後には、大型タイアップ付きの別のシングルの発売が決定していたからだ。

しかし皮肉なことに「会いたい」のほうが有線放送からじわじわと火が付き、翌年の『日本有線大賞』のグランプリを受賞することになるわけだから、ヒット曲というのは何がきっかけになるかわからないものである。

累計50万枚以上を売り上げたベストアルバム「To You!」

「会いたい」の発売から約4か月後の1990年9月5日に初のベストアルバム『To You!』が発売されている。過去4枚のアルバムの中からセレクトされており、累計で50万枚以上を売り上げる大ヒットアルバムになったわけだが、「会いたい」のヒットだけではここまで売れなかったはずだ。

ヒットの要因は、「会いたい」以外の楽曲の素晴らしさだったと思う。4枚のアルバムは、どれも恋と仕事の間で揺れ動く女性の心境が丁寧に描かれており、時代を上手く反映した作品が収録されていたのだ。

ジュリア・フォーダムの名曲の日本語カヴァー「ハッピー・エヴァー・アフター」や沢田知可子自身の作詞、作曲によるバラード「彼女の瞳」など、名曲を数えだしたらキリがない。つまり『To You!』はベストアルバムというより、1枚のオリジナルアルバムのように聴かれていたのだと思う。

シアターアプルとNHKホールのライブが初のDVD化

今回初DVD化になったライブの1枚目は1990年12月3日に新宿のシアターアプルで行われた映像だが、この時点で「会いたい」はまだブレイクに至ってはいなかった。映像をご覧いたければお判りになると思うが、あくまでのコンサートのプログラムの中の1曲として歌われている。

そして2枚目のライブには、約1年後1991年の11月3日NHKホールに立つ沢田知可子が映し出されている。一番驚いているのはNHKホールという大舞台に立っている本人だったと思うが、この時点ですでに沢田知可子は時の人となっていたのだ。

新宿のシアターアプルは新宿コマ劇場の地下にあった会場で、すでにどちらも現在は無くなってしまったが、多くの芝居やコンサートが行われた伝説の小屋である。キャパは700人なので、まだブレイク前の沢田知可子が立つには丁度のサイズだったかもしれない。4枚目のアルバム『I miss you』に収録された「トィンクルスター」からスタートした『LIVE 1990』はまだ大きなヒットが出せず精神的にもギリギリな状況の中、沢田知可子が立ったステージだった。しかし有線から「会いたい」の火が付き始め、ようやく光のようなものが見えてきた時期でもあった。バラードシンガーとしてデビューをした彼女だが、当時の楽曲がいかに丁寧に制作されていたかがよくわかる。

先ほども触れたが「彼女の瞳」を始め、洋楽の日本語カヴァー「ハッピー・エヴァー・アフター」「COME INTO MY LIFE」そして、デビュー曲の「恋人と呼ばせて-Let me call Your Sweetheart」等の素晴らしいバラードが、高い歌唱力で歌われていたことがこの映像からもお分かりいただけると思う。ちなみこの作品は当時ライブアルバムとしても発売されている。

「会いたい」がきっかけ、沢田知可子を取り巻く環境の変化を映像で実感

そして、そこから約1年後の11月に行われたNHKホールのコンサートの映像『LIVE 1991』。シアターアプルのオープニングはクラシック調の弦の音色はおそらくカラオケだったと思われるが、NHKホールのオープニングの弦は見事に生で演奏されている。「会いたい」というヒット曲のおかげで、彼女を取り巻く環境が変化したことがよくわかるシーンだ。

そして3,500人という大勢の観客の前で輝いて見える彼女が美しくなったのは、メイクや衣装がきらびやかになっただけではなく、どこか自信のようなものを身に着けたからだろう。そして「会いたい」のイントロが流れ出した途端沸き起こる大きな声援が映像にも収録されている。それもそのはずだ、この時点で「会いたい」という楽曲は社会現象なっており、年末には有線大賞のグランプリを受賞、NHK紅白歌合戦への出場も果たすという快挙を成し遂げたのだから…。

沢田知可子は20歳の時に「天職に転職する」を人生のスローガンに掲げ、見事にデビューへの切符を手にするわけだが、彼女の持つ “声” は神様が与えた唯一無二のものだ。とはいえ90年代はずっと「会いたい」という楽曲に苦しめられることになるというから、なおさら人生はわからないものだ。

その後、彼女がこの「会いたい」という曲とどのように折り合いをつけて来たか、今回のインタビューでたっぷり語っていただいたので、是非そちらのほうもご覧いただきたい。

カタリベ: 長井英治

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