クマの「冬眠」をモデルにした火星旅行戦略 ESAが画期的な「実現可能技術」として推奨

【▲参考画像:ISSのイタリア製モジュール「ノード2」の寝袋の中にいるESAの宇宙飛行士パオロ・ネスポリ(Paolo Nespoli)(Credit: ESA)】

アーサー・C・クラーク原作、スタンリー・キューブリック監督のSF映画「2001年宇宙の旅」(1968年)に、宇宙飛行士が人工冬眠するシーンが出てくることはよく知られています。

宇宙飛行士を「冬眠」させることは、ミッションのコストを削減し、宇宙船を3分の1に小型化し、火星など深宇宙旅行に向かうクルーの健康を維持するための最良の方法かもしれません。ESA(欧州宇宙機関)が主導した調査によると、人間の冬眠はSFの域を超え、宇宙旅行における画期的な技術になる可能性があるとのことです。

火星まで往復するためには約2年分の食料と水を用意しておく必要があります。「宇宙飛行士1人あたり1日に約30kgの物資が必要で、さらに放射線や精神的・生理的な課題も考慮する必要があります」とESAの「Human and Robotic Exploration」(人間とロボットによる探査)の研究・ペイロードコーディネーターで、生物学と工学を結びつけた論文の著者の一人であるJennifer Ngo-Anh 氏は説明しています。

冬眠中の「休眠」とは、生物の代謝率を低下させる誘発状態のことです。この「仮死状態」は、エネルギーを節約したい動物によく見られるメカニズムです。

火星に向かうクルーの代謝率を通常の25%まで下げれば、物資の量や居住区域の大きさが劇的に減り、長期間の探査が可能になります。

「生命があるところには、必ずストレスがあります」とJennifer Ngo-Anh 氏は言っています。「この戦略は、宇宙船に閉じ込められることによる退屈、孤独、攻撃性のレベルを最小限に抑えることができます」と、彼女は付け加えています。

動物は寒さや食料・水不足の時期を乗り切るために冬眠し、心拍数や呼吸などの生命機能を通常の何分の一かに減らし、体温は周囲の温度近くまで下がります。クマムシやカエル、爬虫類はそれがとても上手です。

クマは、人間が宇宙で冬眠するための最良のお手本と言えそうです。クマは私たちと同じような体格で、体温を数度しか下げませんが、これは人間にとって安全だと考えられている限界値です。宇宙飛行士もクマと同じように、体脂肪を増やして冬眠する必要があります。

冬眠中のヒグマやツキノワグマは巣穴に閉じこもり、6ヶ月間絶食して動かなくなります。人間が6ヶ月間寝たきりになると、筋肉や骨の強度が大きく低下し、心不全のリスクも高まります

「しかし、調査によると、春になるとクマは健康的に巣穴から出ることができ、筋肉量はわずかな減少にとどまることが分かっています。20日ほどで元通りになるのです。冬眠は筋肉や骨の廃用性萎縮を防ぎ、組織の損傷を防ぐことを教えてくれます」と、ドイツ・ミュンヘンのルートヴィヒ・マキシミリアン大学(Ludwig Maximilians University)医学部のAlexander Choukér教授は説明しています。

哺乳類では低いテストステロン(男性ホルモン)レベルが長い冬眠を助けているように思われ、ヒトではエストロゲン(女性ホルモン)がエネルギー代謝を強く制御しているようです。

「女性と男性では、ホルモンのバランスが非常に特異的であり、代謝を調節する役割があることから、女性が好ましい(「冬眠」する宇宙飛行士の)候補者になる可能性があります」と、Alexander Choukér教授は付け加えています。

【▲宇宙旅行のための「冬眠」説明図:人間の冬眠は、宇宙旅行のための重要な「実現可能技術」として推奨されています。かつてはSFの世界であった冬眠や「仮死状態」は、いつの日か深宇宙旅行の重要な手段となるかもしれません。冬眠は、クルーが起きている間に客室を兼ねた小さな個々のポッドの中で行われます。冬眠状態を意味する「休眠」を誘発する薬物を投与することが前提となっています。冬眠する動物と同じように、宇宙飛行士も休眠の前に余分な体脂肪を獲得することが望まれています。180日間の地球-火星探査の間、ソフトシェル・ポッドは暗くして、温度が大幅に下げられ、クルーを冷やします。高エネルギー粒子による放射線被曝は、深宇宙旅行の主要な危険要素ですが、冬眠中のクルーは冬眠ポッドの中で多くの時間を過ごすことになるため、水容器などの遮蔽物を周囲に置いてクルーを守ります。(Credit:ESA)】

科学者たちは、技術者たちが心地よい冬眠のために、照明を抑えた静かな環境、10℃以下の低温、高湿度という細かな設定をしたソフトシェル・ポッド(soft-shell pods)を作ることを提案しています。

宇宙飛行士はほとんど動きませんが、拘束されることはなく、オーバーヒートを防ぐ衣服を身につけることになります。さらにウェアラブルセンサーで姿勢、体温、心拍数を計測します。

すべてのカプセルは、放射線に対する遮蔽物として機能する水容器で囲まれている必要があります。「冬眠は、深宇宙を旅行中の放射線の有害な影響から人々を保護するのに役立ちます。地球の磁場から離れると、高エネルギー粒子によって引き起こされる損傷は、細胞死、放射線障害、癌を引き起こす可能性があります」とAlexander Choukér教授は言っています。

クルーは長時間休んでいるため、異常時や緊急時には人工知能(AI)が活躍し、また消費電力の監視や自律的な運用により、クルーが目覚めるまで宇宙船の最適なパフォーマンスを維持することになります。

人間を冬眠状態にする「治療用休眠」の再現は、1980年代から病院で行われてきました。医師は長時間の複雑な手術の際に、低体温を誘導して代謝を抑えることができるからです。しかし、これは積極的なエネルギーの削減ではなく、冬眠の利点のほとんどを見逃しています。他の惑星を訪問するための冬眠の研究は、地球上の患者のケアに新たな応用の可能性を提供することができるでしょう。

Source

  • Image Credit: ESA
  • ESA \- Hibernate for a trip to Mars, the bear way
  • ScienceDirect \- European space agency's hibernation (torpor) strategy for deep space missions: Linking biology to engineering

文/吉田哲郎

© 株式会社sorae