「ディナー」とトレードされたウィンフィールド その真相とは?

メジャーリーグの歴史において最も奇妙なトレードの1つに挙げられるのが1994年に「ディナー」と交換されたデーブ・ウィンフィールドだ。メジャー通算3110安打、465本塁打を記録し、有資格初年度の2001年にアメリカ野球殿堂入りを果たしたウィンフィールドは、どのようにして「ディナー」とトレードされたのか。メジャーリーグ公式サイトのマット・モナガン記者は、このトレードに関わった2人のGM(当時)に話を聞き、トレードの真相を探っている。

ウィンフィールドのトランザクションの記録を見ると、1994年8月31日に金銭トレードでツインズからインディアンスへ移籍したことになっている。ポイントは当時のメジャーリーグがストライキの真っ只中であったことだ。各球団のGMたちはシーズンが再開されるかどうかわからないまま、再開された場合に備えて動く必要があった。8月31日というのは、ポストシーズンのロースターに登録するための選手を獲得する最終期限だった。

ツインズのアンディ・マクフェイルGMは、自軍が首位から14ゲーム差の地区4位に低迷していたため、経験豊富なベテラン選手であるウェインフィールドを、彼を必要としている球団へ譲りたいと考えた。この年、ウィンフィールドは42歳になっていたが、ツインズで77試合に出場して打率.252、10本塁打、43打点、OPS.746を記録。マクフェイルはこの将来の殿堂入り選手がまだ十分に他球団を助けられると考えたのである。「ペドロ・ムニョスという25歳の若手に、デーブに与えていた出場機会を譲りたいと思った」とマクフェイルは当時のことを振り返っている。

一方、首位から1ゲーム差の地区2位につけていたインディアンスのジョン・ハートGMは、マニー・ラミレスやケニー・ロフトンといった若手スター選手を支えるベテラン選手を必要としていた。「デーブ・ウィンフィールドはメジャーで長年プレーし、経験豊富だった。人間性も優れていたし、素晴らしい男だった」と当時を振り返るハートは、マクフェイルに連絡してウィンフィールドを獲得するトレードを成立させた。トレードの見返りは後日決めることになっていた。

マクフェイルは「当時はGMが現在よりも仲間を思いやる時代だった」と語る。このトレードはインディアンスから見返りを得るためというよりは、インディアンスを助けるため、そしてウィンフィールドに優勝争いをするチームでのプレー機会を与えるためのトレードだったという。「もしシーズンが再開されないのであれば、見返りなんて必要ない。GM会議のときにディナーでもごちそうするよ」といった会話が2人のGMのあいだで交わされた。

マスコミは「ステーキ1枚」や「100ドルの食事」、あるいは「ピザ1枚」など、ウィンフィールドに様々な値段をつけたが、ハートによると「ディナー」というのは軽い冗談のようなものだったという。マクフェイルは「彼は殿堂入り選手であり、ディナーなんかとトレードされるべきではない。(マスコミに)あんなふうに報じられるべきでもなかった。(ディナーというのは)軽率な発言だったね」と反省を口にしている。

結局、1994年シーズンが再開されることはなかったため、ウィンフィールドはこの年、インディアンスでプレーすることはなく、ハートがマクフェイルにトレードの見返りとしてディナーをごちそうすることもなかった。なお、シーズン終了後にFAとなったウィンフィールドは、翌年4月にインディアンスと契約し、46試合で打率.191、2本塁打、4打点、OPS.572という成績を残してユニフォームを脱いだ。

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