大量廃棄されていたガラスの「ごみ」が美しい作品に生まれ変わるまで 千葉の老舗メーカー、「環境配慮型」ものづくりへの挑戦

再利用するガラスの破片が詰まった箱を開ける「菅原工芸硝子」の菅原裕輔社長=2021年12月、千葉県九十九里町

 ガラス製品を作る過程で大量に生み出される破片。千葉県九十九里町の老舗ガラスメーカー「菅原工芸硝子」は、「ごみ」として廃棄していたガラスの破片を再利用して新たな製品に生まれ変わらせて販売し、人気を呼んでいる。熟練の職人が一つ一つ魂を込めて手掛ける繊細で優美な食器やグラスが世界的に高く評価されてきた同社。「美しい作品を生み出す裏で廃棄物を出す現状を見直していきたい」。環境を重視するトップの決断と職人たちの創意工夫が重なった作品が生まれた物語を取材した。(共同通信=永井なずな)

 ▽再び輝いて

 高温に保たれた溶解炉から伝わる熱気、職人たちの真剣な眼差し―。工房に足を踏み入れると、外気の冷たさを思わず忘れそうになった。その一角に置かれた横幅1・2メートルほどの古い木箱を開けると、色も形もばらばらなガラスの破片がぎっしり詰まっていた。照明に照らされて優しい輝きをみせる。これらは以前であれば、ただの「ごみ」だった。

溶解炉から取り出したガラスの形を整える職人=2021年12月、千葉県九十九里町

 内部の温度が1400度に上る溶解炉にこれらの破片を流し込み、よく溶かした後に取り出す。職人がハサミや大きなピンを使って手際よく形を整えると、あっという間に透き通ったグラスや皿が出来上がった。

 ▽環境重視へ

 工房で以前に廃棄されていたガラスは年100~200トン。製品化の過程で不純物が付いたり、複数の色が混ざったりしたほか、吹き竿などの道具に付着したガラスも捨てていた。こうした現状に違和感を抱いていた同社の菅原裕輔社長(51)は、環境配慮型のものづくりに取り組もうと決意した。2014年、最初に始めたのは、溶かす際に筋や気泡が残ってしまい正規品として扱えない物の活用だった。職人が丁寧な模様を施すことで雰囲気を変え、正規品に劣らない作品として打ち出した。

 「もっとできることがないか」。18年、廃棄されるガラスを使って試作を始めた。念頭に浮かんだのは、戦後の沖縄で米軍のビールやコーラの空き瓶を再利用する過程で発展した琉球ガラスだ。汚れやほこりの影響で混ざる気泡が、個性として愛されているが、菅原社長は「二番煎じではなく新たな挑戦を」と透明度の高い作品を追い求めた。一度に溶かすガラス片の量や炉で煮る時間の調整を繰り返し、つるりとした質感を実現させた。

「菅原工芸硝子」の工房=2021年12月、千葉県九十九里町

 ▽一期一会

 試作段階で直面した最大の課題は、色が安定しないことだった。さまざまな色の廃棄ガラスを混ぜるため当然ではあるが、「色がばらばらだと売れにくいかもしれない」という懸念は拭えなかった。

 解決につながったのは、欠点を持ち味として捉える発想の転換だ。発色の違いに伴う作品ごとの微妙な表情の変化は個性であり、「一期一会」として楽しんでもらおうと、解説動画やパンフレットを作成した。

ガラスを再利用した「菅原工芸硝子」の作品

 20年の発売当初は苦戦したが、作品は徐々に浸透している。廃棄物から作った贈り物は相手への失礼に当たらないかとためらうお客もいたが、「だからこそ選びたい」という声を耳にする機会も増えた。リサイクル品だと意識せず購入していく人もいる。

 菅原社長は「社会の意識が良い方向に変わってきている気がする。ガラスは不思議な素材で、数千年前から使われて歴史は古いが、まだ表現の可能性を秘めている」と次を見据える。

 新型コロナウイルスの感染拡大による人々の生活様式の変化は、作品づくりにも影響を与えている。「テークアウト飲料用に使った空き瓶を再利用できないか」「飛沫感染防止のパーティションをガラスで作ってみたらどうか」―。お客が持ち混む相談や職人のアイデアから創作を重ねる日々。工房の挑戦は続いていく。

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