メディアは戦争を美化せよ! “政軍報”一体化の真実を戦時日本の極秘資料で読み解く 山中恒氏(2001年) [ 調査報道アーカイブス No.92 ]

◆「インキはガソリン、ペンは銃剣」

ロシアがウクライナに戦争を仕掛けた。ロシアは核兵器の使用も厭わないと匂わせるなど、情勢は一気に緊迫してきた。戦時は大勢の人がメディアの情報にかぶりつく。では、メディアと戦争の関係はどう読み解けばいいのか。

戦前の日本では、報道の主流は新聞だった。第2次大戦に突入していく際、日本の新聞はどんなふうに戦争に協力していったのか。政府・軍部はどうやって新聞社の人事や記事に介入していったのか。当時の膨大な資料を収集し、読み込み、一冊にまとめ上げた大作が『新聞は戦争を美化せよ! 戦時国家情報機構史』だ。作家・山中恒氏の労作で、全956ページ。辞書ほどの分厚い大著だ。東京・高円寺の古書店で戦前・戦中の極秘資料を入手するところから始まる資料分析は、立派な調査報道と呼んでいい。

本文中で山中氏は冒頭で大意、こう綴っている。

……中国東北部に送り込まれた旧日本軍の目的は当初、日中の経済摩擦を減らし、「中国における排日排日貨の指導勢力を打ち懲らしめる」だった。ところが、いつの間にか、「日・満(旧満州)・支(中国)連携による新秩序形成」が目的だと言い始め、やがては「大東亜共栄圏確立」と「八紘一宇の願現」こそが、神の国日本に課せられた使命であると言うようになった。その中心にいたのが内閣情報部、情報局であり、それに乗っかったのが当時の新聞メディアある。

膨大な資料によれば、政府と旧日本軍は執拗に新聞の論調や人事に介入し、検閲を加えていくが、ある時期からは新聞が軍部の意向に率先して迎合するようになる。新聞だけでなく、作家も評論家も宗教家も、なだれを打って「迎合」していく(権力に迎合していくメディアの性根は戦時に限ったことではないが)。

対米英との開戦を控えた1941年11月になると、大阪朝日新聞の取締役業務局長は「新聞報国の秋(とき)」と題する一文でこう書いた。

こういう未曾有の大事変下においては国内の相克こそ最も恐るべきものであります。全国民の一致団結の力が強ければ、何物も恐れることはありません……この一億一心に民心を団結強化するためには真に国策を支持し、国民の向かうべき道を明示する良き新聞を普及することが、適切有効であることは今更論じるまでもありません。

戦時中の新聞。国民の戦意を煽り続けた

これとは別に、東京朝日の記者はこう書いた。発表されたものをそのまま報じることが重要だと指摘している。

決戦下の新聞の行き方は、国家の意思、政策、要請など、平たく言えば国の考えていること、行わんとしていること、欲していること等を紙面に反映させ、打てば響くように国民の戦争生活の指針とすることが第一……例えば議会における各大臣の演説、偉い武官、文官の談話、法律や規則の報道、解説記事がその一端です。

毎日新聞の元記者だった人物も1943年、こう記している。

挙国体制の下、すでに平和産業の諸工場は人も機械もすべて軍需生産に没頭している。新聞社は真っ先に昔日の夢から醒め、思想戦の弾となって活躍すべきである。新聞社は一般の工場と違って、新聞人の頭さえ変えたなら、即時ご奉公できる。

今日では(新聞は)平和産業の一部門だと解する愚か者はなく……インキはガソリン、ペンは銃剣である。新聞人の戦野は紙面である。全紙面を戦場に。ジャズに浮かれていた数年前の新聞は今日見たくもない。

◆当局とメディアの定期的な“懇談” 現代も続く

戦時中、マスコミ統制を主導したのは内閣情報部、内閣情報局であり、朝日新聞の筆政(主筆)だった緒方竹虎氏が総裁の任に就いていたことで知られる。本書に出てくる内閣情報局の資料によると、新聞の論調を「内容指導」するために、情報局が主催する編集局長会議、政治部長会議、経済部長会議、社会部長会議が毎週開かれていた。出席するのは主要8社だ。当時の文書にはこうある。

…情報局総裁がこれを招集して各般の情勢を説明するとともに当該問題に関して懇談を重ね、自主的に新聞社側の態度を決定せしめ、これを道義的法的取締基準とする。

これを政府・軍部は「懇談」による「内面指導」と呼んだ。新聞社の自主的判断を促す形を取りながら、新聞社自身に“基準”を作らせ、それを取締のスタンダードにしていくやり方である。その積み重ねによって新聞は当局と肩を並べ、腕を組み、国を破たんに導いた。当時の新聞もスクープを競っていたが、それはいかに早く、検閲のOKをもらうかの競争であり、“基準”に逸脱した報道を当局にチクるといったレベルでの競争だった。

実は、内閣情報局の内部文書に登場する「懇談」は、現在も霞が関で行われている。各省庁の幹部が記者クラブ加盟社の記者に対して、時々の情勢を説明し、“理解”を得るための場である。政権幹部との“懇談”もしばしば開催。現場の担当記者が日々参集している。編集局長や部長レベルを集めた会合も定期的に開かれている。その閉じられた空間で、何が話し合われているか、表には出てこない。新聞とラジオしかなかった戦前も、インターネットが発達した現代も、その構造に大きな変化はないのかもしれない。

(フロントラインプレス・高田昌幸)

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