【最終回】ユーラシア大陸自動車横断紀行 Vol.28 〜自らの体験とすることで刻み込まれた厚みと、それが生み出したもの。〜

2003年の夏、東京からポルトガルのロカ岬まで1万5000kmあまりを中古のトヨタ・カルディナで走り抜いた自動車評論家とカメラマンがいた。この「ユーラシア大陸自動車横断紀行」という連載企画は、その2人が実際にステアリングを握って走り、目で見てカメラで撮影し、そして直接経験したことから感じて、さらに考えたもの「そのもの」である。「森」を見ることを通じて、「木」や「葉」を知る意味を確認できた。
最終回となる今回は、エピローグ後編をお届けします。
文:金子浩久/写真:田丸瑞穂
※本連載は2003〜2004年までMotor Magazine誌に掲載された連載の再録です。当時の雰囲気をお楽しみください。

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ユーラシア大陸自動車横断紀行 Vol.27 〜実行のための準備と成し遂げた経験の意味〜

木と林と森の違いとは、離れて見てこそわかる

先日、新型マツダ・ロードスターに乗った。

リッターに排気量アップしたエンジン、専用設計された6速マニュアルトランスミッション、全面的に改められた幌の開閉方式など、スタイリングこそ初代、2代目のイメージを引き継ぐものだが、内容としては文句ないフルモデルチェンジだ。

エンジン排気量が大きくなったことと合わせて、少し立派になったボディが、ロードスターの美点である軽快感を維持できている。大きく立派になったことによって、走りっぷりがモッサリしてしまうクルマも少なくないのだ。

その点、ロードスターは心配要らない。動力性能も向上し、足回りがスムーズに動き、シャシもしっかりしている。それでいながら、キビキビ、ヒラリヒラリとコーナーをクリアしていく軽快感は健在だ。

ただ、ちょっと気になるところもある。山道でペースよく走っている時の、ロールスピードが早過ぎるきらいがあるのだ。コーナーへ進入する時に、ハンドルをゆっくり切っても、ボディがグラッと唐突に傾く。ハンドルの切り方に合わせて、もっとジワーッとボディが傾いてくれると、より一体感を伴ったコーナリングを楽しめるのに。

キビキビ、ヒラリヒラリと軽快に走ることと、唐突なロールを混同してしまいそうになる。この辺りの微妙な足まわりの設定について、開発エンジニアに質してみたい。

おそらく、ダンパーとスプリングの特性、ステアリングギアボックスのギア比などの設定を変えていくことで、「唐突過ぎるロール」と「軽快な操縦性」とはバランスが取れていくのだと思う。もともと、素質豊かなスポーツカーであるロードスターのハンドリングの微細なところを、ああでもないこうでもないと思案するのはクルマ好きでなくとも楽しい。

しかし、木を見て森を見ずという喩えもある。

ロードスターのハンドリングを云々することが木目を数えるようなものだとすると、一歩下がって樹を見上げ、さらに下がって森を眺める楽しみもあるのではないだろうか。

ユーラシア大陸をクルマを運転して横断してみようかと思い付いたのは、森を眺めてみたくなったからかもしれない。

次々と発表される新型車に試乗して、あれこれ吟味する意義は大きい。また、名車と呼ばれるクルマを前にして、往時に思いを馳せるのも甘美な想いを伴うものだ。

それらは、樹の表皮を撫でまわし、葉の葉脈を透かして見るようなことかもしれない。森を見るためには、木々から離れなければならない。ヨーロッパ行きの飛行機の窓からシベリアの荒野を眺め下ろした時、一本道をクルマが虫のように走っていた。その光景に触発されて、僕らの旅は始まった。

机上で準備できることと実際の体験で得たもの

狭い日本を出て、クルマで行けるところまで行ってみよう。走り続けた先には、何が待っているのか。いつもは飛行機でひとっ飛びのヨーロッパまで、クルマで行ってみよう。

それを具現化してみたのが、ユーラシア大陸を横断することだった。何か捜し物があって、ポルトガルのロカ岬に向かったわけではないのだ。ああやって、虫のように、ロシアを走り抜ければヨーロッパに到達できるはずだ。ヨーロッパに入れさえすれば、後は慣れたものだ。どのルートからだって、ロカ岬まではつながっている。

ヨーロッパに入りさえすればこっちのものだったが、最大の問題は、いかにロシアにクルマで入国し、走り抜けるかだった。手本もなければ、情報も少なかった。

ロシア問題を出発前にどれだけシミュレートできるかが、旅の成否を左右すると予想された。でも、それは半分正しく、半分間違っていた。ロシアを走ることは、警戒していたほど厄介なものではなかったのだ。

富山の伏木港から乗ったフェリーで着いたウラジオストク港でのカルディナの 通関作業も簡単に済んだし、僕らの入国検査も呆気なかった。

郊外の道路事情の悪さは予想通りだったが、ガソリンスタンドは心配していたよりも数多く存在していた。もっとも、“スタンド”と呼べるような立派な建物を備えた業者は都市部のごくごく一部にしかなかった。その代わりに、タンクローリーのホースから直接給油するような荒っぽい販売方法の店が、街道沿いにたくさんあった。

出発前に得られた少ない情報にも含まれず、ロシアのガイドブックにも記されていなかったのが、国道の要所々々に設営されている検問所だ。中国やモンゴルなどの隣国と長い国境で接しており、国境を警備する目的で軍人と武装警官が常駐していた。検問所を通るクルマは、アトランダムに停められて、尋問と荷物検査を受けなければならない。

または、検問所は移動の自由が制限されていた社会主義時代の名残りなのかもしれない。

十字架に磔られて血を流すキリスト像は、ジェロニモス修道院にあった。

だが、テレビのニュース映像などでも、バグダッドやカブールで同様の検問所を見たから、国民の移動の自由というのは政治体制を問わず、まだまだ限られた地域だけのものなのかもしれない。

検問所の存在には、強烈な印象を抱かされた。日本と欧米とアジア・オセアニアの一部しか走ったことのない経験からは、想定できないものだった。タンクローリースタンドや検問所は、喩えてみれば“木”のようなものだった。場所が変われば木の植生が変わるように、国や地域が代われば人間とクルマのあり方も変わってくる。ロシアでは、見たこともないカタチや色、生え方の木をたくさん見ることが出来た。

ロシアの草原でひと休みする金子氏たち。

クルマが備えている本質、その価値を実感できた

いま、この文章を東京モーターショーのプレスデイ第一日目から戻ってきてから書いている。

今回のモーターショーは、見応えがあった。小はダイハツの三人乗り超低燃費コンセプトカーUFE-Ⅲから、大は1001馬力時&時速401キロのブガッティ・ヴェイロンまで、さまざまな出展車があった。

見応えがあったのは、出展車がほとんどみな、“前”を向いていたからだ。前回や前々回などに流行っていた、過去に範を採ったレトロフューチャーイメージが、スズキLCを残して姿を消した。

ハイブリッドや燃料電池、水素などの動力源、自動運転などの近未来技術を包み込むエクステリアは、未来志向じゃなきゃ!

過去を振り返るということは心地良いことだが、そこから新しいもの、前進するものは何も生まれない。東京モーターショーが象徴するように、現代の日本は成熟した消費社会、高度情報化社会であることは間違いないだろう。

そうしたクルマのあり方は、大都市以外のロシアでは、考えられない。まず第一に、大都市を含んだロシアでも、クルマは移動と運搬の道具であり、手段だ。近未来を模索することよりも、今日のことで精一杯だ。新車はまれな存在だし、10年落ちの中古車ならば新しい方で、30年落ちだって珍しくも何ともない。

それらの中古車、大古車を、ロシアの人々は直し直し乗っている。中古パーツや、中国製や韓国製の非純正品を使うのは当たり前だ。

クルマを持っていない農民も珍しくない。そうした人たちは、ロバや牛に荷車を引かせている。牧草のようなものを一杯積んだ荷車を、のんびりとロバに引かせている農夫の姿は、衝撃的だった。

今まで、東南アジアやアフリカなど、現代文明から距離がある地域を巡ったことがあるが、クルマがないところはなかった。質素な暮らしぶりでも、質素なクルマたちが活躍していたのである。その背景や理由を探る紙幅がないが、ロシアの真ん中に、まるでアーミッシュのような19世紀的な暮らしが残っているとは想像もしていなかった。

ロバが引く荷車は、“林”のようなものだ。自動車という、現代を代表する文明と無縁に暮らしている人々と期せずして接することができた。

東京から富山、そしてウラジオストクからロカ岬、さらにドーバー海峡をくぐってロンドンまでというルートを走り終えたカルディナ。その後、ロンドン郊外のヤードで静かに休んでいた。ウインドウ越しには英国ナンバーが見える。

そんなロシアを出て、ドイツからヨーロッパに入った。連載中にも書いたけど、文明の最先端の姿があった。クルマの利便性を誰もが最大限享受できる社会がヨーロッパだ。知ってはいるつもりだったけど、有り難みがよくわかった。

ヨーロッパに入って二泊三日後にロカ岬に辿り着いた時に去来したのは、“森を見ることができたな”というものだった。人々とクルマがさまざまなかたちで関わり合い、暮らしている様子が木々や林だったとすると、それらが渾然一体となって、森を形作っている。7万キロ走った2世代前のカルディナではなく、もっといいクルマで走ったらトラブルは少なかっただろうけれども、それで違うものが見えたとは考えない。

僕らのカルディナはポンコツに近かったけど、ロカ岬まで行くことができた。クルマには、いろいろな可能性や楽しみ方があるが、どこまでも遠くに行くことを身を以て明らかにすることができた。クルマで移動する場合の、絶対的なモノサシを持つことができた。
(終り)

金子 浩久 | Hirohisa Kaneko
自動車ライター。1961年東京生まれ。このユーラシア横断紀行のような、海外自動車旅行を世界各地で行ってきている。初期の紀行文は『地球自動車旅行』(東京書籍)に収められており、以降は主なものを自身の ホームページ に採録。もうひとつのライフワークは『10年10万kmストーリー』で、単行本4冊(二玄社)にまとめられ、現在はnoteでの有料配信とMotor Magazine誌にて連載している。その他の著作に、『セナと日本人』『レクサスのジレンマ』『ニッポン・ミニ・ストーリー』『力説自動車』などがある。

田丸 瑞穂|Mizuho Tamaru
フォトグラファー。1965年広島県庄原市生まれ。スタジオでのスチルフォトをメインとして活動。ジュエリーなどの小物から航空機まで撮影対象は幅広い。また、クライミングで培った経験を生かし厳しい環境下でのアウトドア撮影も得意とする。この実体験から生まれたアウトドアで役立つカメラ携帯グッズの 製作販売 も実施。ライターの金子氏とはTopGear誌(香港版、台湾版)の 連載ページ を担当撮影をし6シーズン目に入る。

これまでの軌跡はこちらからご覧ください。

[Trans-Eurasia 15000km - dino.network]

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