【80年代洋楽黄金時代】ジャーニーはビルボードでシングル1位を取れなかった?  映画「海猿」の主題歌にも起用された、ジャーニーの高い共有感

__共有感満載の80年代洋楽ヒット!ビルボード最高位2位の妙味 vol.19
Open Arms / Journey__

産業ロックの中心的存在? ジャーニーの意外な事実とは

ビルボードのシングルヒットチャートの長い歴史を見てみると、意外なビッグアーティストが全米1位を獲得できていなかったりする。70~80年代でいえば、ブルース・スプリングスティーンを筆頭にELO(エレクトリック・ライト・オーケストラ)やキッス、ジェイムス・ブラウン、はたまたレッド・ツェッペリンやディープ・パープルらUKハードロック勢等が挙げられよう。

70年代にプログレッシヴなスタンスからスタートし、80年代にはいわゆる産業ロックの中心的存在となったジャーニーも、意外にも実はシングル全米ナンバーワン未経験アーティストだ。80年代洋楽を通過した40代後半以上の方々ならば、ジャーニーのヒットソングの1曲や2曲は瞬時に思い浮かべられるだろうが(特に1981~83年ころの最盛期における日本でのヒット感はかなり高かった)、それらがナンバーワンヒットでなかったことに驚きを隠せないのではないだろうか。

アルバム「エスケイプ」と「フロンティアーズ」が絶頂期

稀代のパワフル・ハイトーンシンガー、スティーヴ・ペリーと元ベイビーズの哀愁&メロウなメロディメイカー、ジョナサン・ケインが同時に在籍していたころのジャーニーが、最もコマーシャルな成功を収めていた時期であり、特にアルバム『エスケイプ(Escape)』(1981年)と『フロンティアーズ(Frontiers)』(1983年)をリリースした1981~83年が絶頂期といえよう。

日本歌謡にも通じるような哀愁のミディアムロック「クライング・ナウ(Who’s Crying Now)」(1981年4位)、ミュージカルGlee(2009年~)のキャストによる怒涛のリバイバルヒットのキックオフ曲で21世紀に再びスポットライトを浴びた「ドント・ストップ・ビリーヴィン」(1981年9位)、日本のディスコでなぜか大受け、今だスポーツ番組でよく使用される「セパレイト・ウェイズ」(1983年8位)がその時期のトップ10クラスのヒットソングだが、最も共有感の高いジャーニー・レパートリーといえば、「翼を広げて(Open Arms)」(1982年2~4月6週2位)で決まりだ。

映画「海猿」の主題歌にも起用された「翼を広げて」

万人の心の琴線に訴求しうるメロディラインと歌詞、情感あふれるスティーヴ・ペリーの時に大仰ともいえるような歌声もさることながら、コマーシャルなロッカバラッドこうあるべし! という、後の80年代を通してひとつのムーヴメントとなった “産業ロックあるいはハードロック畑のバラードヒット” の潮流を示す道しるべとなったのが「翼を広げて」なのだ。

一歩間違えれば、クサい、ダサいと揶揄されそうなところからギリギリ踏みとどまり、結局大衆音楽が最も好む最大公約数的なバラードを衒いなくやり切ったのが勝因であり、見事としか言いようがない(ジャーニーにとっては冒険だっただろう)。

90年代マライア・キャリーを筆頭に、セリーヌ・ディオン、バリー・マニロウ、ボーイズⅡメン等、錚々たるスターたちがアルバムやライブでカバーしたり、日本では映画『海猿』(2004年)の主題歌に抜擢されたり、世界的レベルでのこの曲の人気の高さがうかがえる。日本での共有感も高い「翼を広げて」は、ジャーニー史上最大かつ80年代洋楽を代表するヒットソングのひとつであったと同時に、並み居るナンバーワンソングにも負けず劣らずの “80年代17番目に生まれたナンバー2ソング” なのだ。

※2017年3月17日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: KARL南澤

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