渡辺真知子「ブルー」:スージー鈴木の OSAKA TEENAGE BLUE 1980 vol.9  やっぱり最高! 初めてのアルバイト代で買ったレコードは、渡辺真知子「ブルー」

OSAKA TEENAGE BLUE 1980~vol.9

■ 渡辺真知子『ブルー』
作詞:渡辺真知子
作曲:渡辺真知子
編曲:船山基紀
発売:1978年8月21日

“レコードのおばちゃん”がやってきた

僕の家には「レコードのおばちゃん」が、よく訪ねてきた。

物心ついた頃から、たまにうちに来ては、僕のおばあちゃんと和菓子を食べながら、小一時間ほど世間話をして帰っていく。どんな人なのか、どんな経緯でおばあちゃんと仲良くなったのか、全然知らされていない。

兄貴と僕が、彼女のことを「レコードのおばちゃん」と呼ぶのは、彼女が時折、僕らにシングル盤を買ってきてくれるからだ。

僕が小学校低学年だったときには、アニメの主題歌が多かった。『超人バロム・1』『ウルトラマンタロウ』『仮面ライダーV3』などのレコードは、すべて彼女がプレゼントしてくれた。

当時、家には、ナショナル製の赤くて小さいポータブルプレイヤーがあったのだが、レコードのおばちゃんが来た日は、彼女からもらったレコードを、そのプレイヤーにそそくさと乗せて、兄貴と一緒に聴くのが楽しみだった。

ただ、僕が高学年となってからは、アニメもあまり見なくなったし、歌謡曲やニューミュージックを熱心に聴き始めたので、正直、彼女が買ってくるアニメのレコードをありがたく思わなくなった。

さらに僕は、少しばかり失礼かと思いつつ、プレゼントされる側なのにもかかわらず、欲しいレコードを彼女に指定し始めた。

「ほな、今度は、どんなレコードがほしいねん? おばちゃん、覚えられへんからメモするわ」

と言って、彼女は、小さなメモ用紙を取り出し、曲名と歌手名をひらがなで書く。そうして、数カ月後、またうちに来るときに、そのシングル盤を持ってきてくれるのだ。

僕のおばあちゃんや母親は、そんな彼女の態度を、あまり歓迎していなかった。家族でもない者が、息子たちにタダで何かを買い与えるのを快く思わない。親としての真っ当な感覚だろう。

リクエストしたのは、渡辺真知子「ブルー」

それでも僕は、調子に乗って、歌謡曲やニューミュージックのシングル盤を、彼女にお願いし続けた。キャンディーズや岩崎宏美、アリス……。そして、小6になって、またお願いできるチャンスが巡ってきた。

「ほな、今度はな、渡辺真知子『ブルー』って曲がええわ」
「わたなべまちこ、の、ぶるう、かいな。分かったで」

1978年夏に発売されたシングル、渡辺真知子『ブルー』。彼女が持ってきたのは、少しインターバルがあいた、秋も深まる頃だった。

渡辺真知子の美しいジャケットに見とれつつ、いつもと同じように、ポータブルプレイヤーに盤を乗せて、さっそく聴いてみる。イントロが絶品だ。そのキラキラした音からは、ステンドグラスにきれいに張り巡らせた色とりどりのガラスが、パリパリっと割れて落ちてくるようなイメージが浮かんだ。

―― ♪あなたと私いつも 背中合せのブルー

色とりどりのガラスが割れた先に見えるのは、ブルー=陰鬱に重く曇った空―― そんなイメージが脳内に広がった。

小学校6年生の秋、レコードのおばちゃんにもらったのは、頭の中に広がるステンドグラスと曇った空のイメージだった。

もらったレコードは、ひょっとして…

「また、あれへんわ」

おばあちゃんが、自分の財布を覗き込みながら言った。財布から、紙幣が数枚無くなっているのだという。

「大変やー、泥棒ちゃうか?」

騒ぎ立てる僕に対して、おばあちゃんは冷静だ。

「いや、あの人ちゃうかと思てんねん」

おばあちゃんによれば、レコードのおばちゃんが犯人ではないかというのだ。何でも、前にもしばしば同様の騒ぎがあって、それらがすべて、彼女が家に来た後で起こったのだという。

レコードのおばちゃんは泥棒だったのか――。

「あのババアは泥棒や、二度とうちに上げるなよ!」

激怒した兄貴が、息巻いて僕にまくしたてる。僕もうなずいた。うなずいたのだけれど、あれだけレコードを買ってくれて、たまにはバス通りに面したうどん屋にも連れてってくれた、あのレコードのおばちゃんが、泥棒なんて、簡単には信じにくい。

僕は、彼女にもらった渡辺真知子『ブルー』のジャケットを見つめた。ジャケットの写真を見るだけで、ステンドグラスと曇った空のイメージが広がった。

騒ぎを察知したのか、単なる偶然か…

―― ♪あなたと私いつも 背中合せのブルー

僕は今、生まれて初めて盗品を手にしているのか――。
彼女は僕が、生まれて初めて知り合った犯罪者なのか――。

「お母さん、あのレコードのおばちゃんな……」

とても不気味な感じがしたので、中学校の教師をしている母親に聞いてみた。

「証拠もないのに、泥棒とか犯罪者とか言うたら、絶対にあかん!」

まずは、ピシャリとそう言ってから、でも少し声を潜めて、こう言った。

「でもな、うちの中学でも、万引きの常習犯とかおるんや。そいつら、物欲しさで盗む奴もおるけど、万引き自体が気持ちよくって繰り返すっていう奴もおるんや。あと、やっかいやねんけど、無意識のままに盗んでしまう奴もおるで」
「何それ、よう分かれへんわ」
「“盗癖” っていうねん」
「トーヘキ……?」

レコードのおばちゃんは人格者だし、人当たりもいいし、とても悪いことをする人には見えない。それでも、もし、おばあちゃんの財布から、いくらかをくすねているのだとすれば、それは、その盗癖とやらではないか、金欲しさというよりは、もうそういうのが癖になってしまっているのではないかと、母親は言うのだ。

あっ―― そのとき僕が思い出したのは、彼女からもらった何枚ものレコードのことだ。普通に買ったら封入されるレコード屋の袋に入った形でもらったことは一度もなかったではないか。

もしかしたら、あれも盗品だったのか? レコードを渡すと、僕ら兄弟が喜ぶ。さらには盗癖か何かで、万引きすること自体が気持ちいい――。

「とにかく、しばらく、おばちゃんとは距離置いた方がええな」

母親は言った。そんな騒ぎを察知したのか、単なる偶然か、レコードのおばちゃんは、それからうちに来ることは二度となかった。そして僕も、渡辺真知子『ブルー』のシングル盤を聴くことがなくなった。

―― ♪あなたと私いつも 背中合せのブルー

これが人生! これが自由! 自分の金でレコードと本を買うということ

地元のソフトボールチームの練習の帰り、練習を指導してくれる3人の兄ちゃんが住んでいる家にコーラを飲みに行った。僕らが内々に「セキグンハ(赤軍派)」と呼んでいた、おおよそ20代後半から30代、長髪、ヒゲのヒッピー風3人組は、僕の家の近くの一軒家で同居していた。

どんな生活をしているのか、定職に就いているのかどうかも分からない。それでも、僕らのチームの練習になると、どこからともなく現れて、球拾いとかバッティングピッチャーとして手伝ってくれて、たまには練習後にコーラを飲ませてくれた。

セキグンハの家の中には、レコードと本がきれいに並べられていた。いつものように3人は、イーグルスのLPをかけて、タバコをふかし始める。

今日のLPは、いつもの『ホテル・カリフォルニア』ではなく、帯に『呪われた夜』と書いてあるものだった。

「兄ちゃんら、俺らのチームの練習、何で手伝ってくれるん?」
「そらな、子供らがニコニコしながら、球を追っかけてるん、見るの楽しいからや」

3人の中でも、いちばん熱心なリーダー格の兄ちゃんが、そう答える。

「ふーん、そんなもんなんや」

そのとき僕は思った。レコードのおばちゃんの盗癖も、もしかしたら、僕ら兄弟がニコニコしながら喜ぶのを見たいがためだったとしたら――。

ふと、レコード棚の横にある本棚を見た。3人が読み終わったものだろう。色んな種類の本が、きれいに並べられている。

『橋のない川』という名前の本が、本棚の真ん中にずらっと揃っている。

「川に橋なかったら、大変やなぁ」
「せやなぁ、奈良にも行かれへんわ」

馬鹿話に継いで、僕はこう尋ねた。

「このぎょうさんのレコードとか本とか、全部、兄ちゃんらが自分で買(こ)うたんか?」

対して、リーダー格の兄ちゃんが答えた。その答え方は、僕がその後の人生で、ずっと忘れることができない鮮烈なものだった。

「アルバイトとかしたらな、その金でレコードとか本とか買うねん―― 坊主、自分の金でレコードとか本とか買うのん、最高やわ!」

自分が働いた金でレコードとか本とか買うことって、そんなに最高なことなのか!

「でな、自分で買うたレコードとか本が並んだ、このレコードラックとか本棚見てるとな、これが人生や、これが自由や、って思うんやで、坊主!」

自分が働いた金でレコードとか本とか買うことって、それが人生なのか!自由なのか!

「アホっ、言いすぎやろ!」

セキグンハの1人が、ひとり盛り上がるリーダー格の頭を、パーンと叩いて突っ込んだ。ひっくり返るリーダー。その瞬間、『呪われた夜』とかいうLPに乗っていたレコード針がプツっと飛んだ。

自分で稼いだ金で買ったレコードは最高! 4年ぶりに聴く渡辺真知子「ブルー」

あれから4年の月日が経った1982年夏、レコードのおばちゃんのこともセキグンハのことも忘れて、僕は高1になっていた。

生まれて初めて、アルバイトというものをしてみた。実際は「アルバイト」というほどのいかめしいものではなく、友人の家が経営するお好み焼き屋の配達を、半日ほど手伝ったという程度のものなのだが。

バイト代は2,500円だった。貯金をするか、いっそのこと遣ってしまうか、微妙な額だな… と思った。

記念すべき、人生初のバイト代として、一気に使うことにした。2,500円と言えば、LP1枚分だ。「ちょうどいい。ビートルズのLP、1枚買うことにするか」そう思って、レコード屋に入った。レコード屋に入って、ふと思った――

「このレコード屋、レコードのおばちゃんの家に近いなぁ」

忘れていた思い出がよみがえった。あのレコードは、この店での盗品だったのか?

それでも、別の思い出、別の記憶が迫ってきて、レコードのおばちゃんの記憶をかき消した。それはセキグンハのあの言葉だ――

「自分の金でレコード買うの、最高やわ!」
「最高やわ」……「やわ」……「わ」。

そうだ。今向かうべき売場は、あいうえお順で「わ」の棚だ!

―― ♪あなたと私いつも 背中合せのブルー

700円を出して、今やちょっと古ぼけた、あのシングル盤を買った。すでに持っているにもかかわらず買った。自分で稼いだ金で買うレコードって、本当に最高なのか、聴き分けてやろうと思ったのだ。

家に帰って、システムコンポのターンテーブルに乗せて、4年ぶりに聴いてみた。あのイントロが流れてきた。

でも、あの頃とは違うイメージが頭の中に広がった。ステンドグラスにきれいに張り巡らせた色とりどりのガラスが、パリパリっと割れて落ちてくるようなイメージは同じなのだが、ガラスが割れた先に見えてくる景色が違う。

ブルー=陰鬱に重く曇った空ではなく、ブルー=晴れやかに広がる初夏の青空。さらに、その青空が「自由」という2文字をあぶり出す――。

「やっぱり最高やわ!」と思った。

結局バイト代は残ってしまった。まぁいいか。また別のレコードか本のために遣うことにしよう。次の最高、次の自由のために。

カタリベ: スージー鈴木

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