板倉区国川地滑り災害10年 静かな集落襲った災害 町内会と住民連携、対応 景観復興活動も

 融雪による地滑りで住宅5棟が全壊した、板倉区国川の災害から7日で10年を迎えた。当時を知る住民や対策工事に当たった機関などを訪れ、10年の歩みを聞いた。

◇地滑り察知素早く行動

 平野部の静かな集落を突然襲った地滑り災害。住民が日頃、仰いでいた山が幅150メートル、長さ500メートル、深さ20メートルというすさまじい規模で崩れた。避難者勧告(当時)の対象者は一時、21世帯83人に上った。

幅150メートル、長さ500メートル、深さ20メートルという大規模地滑りとなった(2012年3月10日、新潟県撮影)

 国川町内会は地滑りを察知すると同時に慌ただしく動いた。町内会長らが中心となり、被災の危険がある住宅の住民に声を掛け避難を促したり、災害発生後は避難住民の所在や安否を確認し続けたりした。地滑りを止める工事が始まると、地権者一人一人に連絡を取り、工事に関する合意を取り付けて回った。

対策本部を組織し、住民の所在確認や今後の対応を話し合う住民ら(2012年3月)

 同所の見波正美さん(65)は当時、板倉区総合事務所の職員だった。自身も地滑りで水田や畑を失ったが、自宅に戻るとまもなく、避難者の住宅の手当てや市役所との調整などに追われた。現在は町内会長を務める。「町内で住民の安否や所在を確認し続けたことは大きかった。その後、大規模な災害が起きていないが、今後、何かあったときの教訓になる」と話す。

◇復興意欲と脳裏の記憶

 県は約30億円を掛けて地滑り対策工事を行い、住民は景観などの復興も目指そうと、新たに整備された畑にはカボチャの一種を植えたり、ソバを栽培したりしてきた。また、斜面には桜などを植樹した。その桜の木はすでに大人の背丈を超え、雪にも耐えられるという。

対策工事で新たにできた畑ではバターナッツカボチャを栽培。現在はソバを中心に栽培している(2013年8月)

 発生から10年。見波さんは「みんな、あえて(地滑りの)話をすることもないが、気持ちの中では、忘れられないのではないか。畑からは今も硬い土の塊が出てくるし、(発生時の)山の木の根がパキン、パキンと切れる音と、辺りに漂った土臭いにおいは、今も忘れられない」と話す。

◇災害契機に専門組織発足

 初動から対策工事まで担った県上越地域振興局妙高砂防事務所(妙高砂防)。現在は、国川の地滑り現場隣に同じ地形・地質の場所があるため、対策を講じている他、地滑り巡視員が監視を続けている。

 国川地滑りでは、災害発生直後から土木研究所(茨城県つくば市)や大学の研究機関などが現地入りし、現場の状況確認や対策工法のアドバイスなどを行った。妙高砂防によると、災害発生から6カ月後の2012年10月には産官学の連携、対策技術の発展を目的に、学識経験者や有識者、行政でつくる「新潟県地すべり対策研究会」が発足。昨年3月の来海沢地滑り(糸魚川市)では現場の調査を行うなど、専門的見地からの現場分析などの役割を果たしている。

◇事前検知と避難の課題

 しかし、地滑りを科学的に事前に検知し、付近住民の避難につなげる技術は確立されていない。土木研究所雪崩・地すべり研究センター(妙高市)の判田乾一所長は「何らの測定機器もない所で、地滑りを検知する技術は、現在ないと言っても過言でない」と話す。身を守るためには「県が発表している土砂災害警戒区域、特別警戒区域を確認し、注意してほしい」と呼び掛けている。

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