横浜海岸教会 創立150年 歴史刻む鐘の音、港町から祈りを

創立150年を迎える横浜海岸教会=横浜市中区日本大通

 日本人による最初のプロテスタント教会として知られる横浜海岸教会(横浜市中区日本大通)が10日、創立150年を迎える。キリスト教の信仰が認められていない当時の横浜で、米国出身の宣教師と11人の日本人が中心となって設立され、長い年月を歩んできた。市認定歴史的建造物ともなっている歴史ある教会では、多くの人が祈りをささげ続けている。

 日曜日の午前、白い壁に緑の屋根が映える横浜海岸教会に多くの人が集まってくる。参加するのは100人ほど。大きな鐘の音とともに、礼拝が始まった。

 2階の玄関を抜け、高い天井の礼拝堂に入ってきた人たちの前に上山修平牧師(67)が立つ。全員で聖書に書かれた教えを聴き、賛美歌を歌い、祈る。礼拝の最後に上山牧師は語り出した。

 「間もなく、この教会は創立から150年になる。次の時代に向けて新たなる歩みを進めていきたい」

 横浜海岸教会の前身「日本基督公会」は横浜開港後、日本にやってきた米国の宣教師J・H・バラと日本人によって設立された。

 上山牧師によると、当時、明治政府は江戸幕府同様、外国人には信仰の自由を認めていたが、日本人に対する布教や日本人の信仰は禁止していた。そのため、バラは私塾で聖書を使って日本人に英語を教えた。その結果、生徒が聖書の教えを理解することにつながった。この私塾兼礼拝所として、現在の教会所在地に小会堂が建てられ、30人ほどの日本人が通っていたという。

 ある日、日本人の若者の一人が「自分たちも礼拝したい」とバラに申し出て、キリスト教の祈とう会が初めて行われた。信仰は禁じられていたが、全員熱心に祈り、それぞれが深い信仰心を示した。バラは回想録で当時のことを振り返り、日本で初めて信仰に導かれる者が現れたことに深い感動を覚えたとつづっている。

 この祈とう会の後、1872(明治5)年3月10日にバラは日本人9人を洗礼。すでに洗礼を受けていた2人を合わせた11人が参加し、日本基督公会が設立された。翌73年、明治政府はキリスト教の信仰を禁止する高札を廃止し、布教が本格化していった。

 こうして始まった教会の歴史を振り返ると、苦しい時代もあったという。

 第2次世界大戦中には、1875年に米国の教会から寄贈された教会のベルを供出するよう迫られた。当時の牧師は「アメリカからの愛の贈り物を鉄砲の弾にして送り返すことはできない」と抵抗。投獄されても守り通したといい、今も響く鐘の音は横浜・海岸通り周辺の風物詩となっている。

 関東大震災で記録は失われてしまったが、これまでに6千人ほどが洗礼を受けたと推計され、日曜日の礼拝は一度も欠かすことなく続けられてきた。上山牧師は「初めての方にも礼拝に足を運んでほしい。これからも横浜の人々とともに歴史を刻んでいきたい」と話している。

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