神奈川県民歌を巡るさまざまな謎を追ってきた「追う! マイ・カナガワ」取材班に、元県職員の男性(78)=厚木市=から新情報が寄せられた。「県民歌『光あらたに』の4番の歌詞が公害を思わせると歌わなくなった後、新たな県民歌が作られ、学校などに普及されたが消えてしまったように記憶している」。県民歌には、歴史に埋もれた“幻の3曲目”もあったのか。男性の気になる投稿を追ってみると─。
◆みどりの愛唱歌
「レコードのカバーは、大きな木の若葉が輝いている写真だった。新しい県民歌を朝礼の前などにかけた記憶がある」。男性は当時の楽譜を保存しており、「みどりの賛歌─みどりの仲間たち─」と題が付いた譜面を送ってくれた。
『みどりの賛歌』は県民歌だったのか?
県に尋ねると「緑化推進のために県民から歌詞を募集し、1977年に制定した曲ですが、それ以上のことは分からない」という。
ならばと、当時の本紙をめくると「緑の愛唱歌詞を募集」と見出しのついた同年5月11日付の記事を発見した。「やさしく、親しみやすいみどりの愛唱歌の歌詞を募集します。最優秀作品は専門家に依頼して作曲します」とあった。
3千枚のレコードを製作して学校や施設に配布したという記事もある。男性の言うような“幻の3曲目”ではなかったが、公害問題に取り組む県が大々的に広めていこうとしていたことがうかがえる。
県立図書館に「みどりの賛歌」のレコードが残っていた。
♪さわやかにさわやかに/風が流れる丘は/ホラいちめんのみどりだよ
軽やかな歌声は、70年代にミリオンセラーを記録した「四季の歌」で知られる歌手の芹洋子さん(71)だった。
今もNHKやBS放送の音楽番組などに出演している芹さんに、当時の様子を聞いてみることにした。
◆人間らしさ証明
歌手の芹洋子さん(71)は川崎で月1回コンサートを開催し、京浜工業地帯で働く人に歌の指導をしていたことが縁で、1977年に県から「みどりの賛歌」のレコーディングを依頼されたという。
芹さんは賛歌ができた時代を「工場の煙で空が汚れ、緑がすごく大切だとみんなが切実に思っていた」と振り返る。「(工場生産の自動化などが進み)人間が機械みたいになることにも矛盾を感じる人が多かった。賛歌がうたうみどりは人間らしさの証明でもあって、こうした歌を歌えたのはうれしかった」
芹さんが指摘する通り、賛歌ができた70年代は世論の環境意識が高まり、公害対策が進んだ時代だった。
高度経済成長期の60年代に人々の暮らしは豊かになったが、大気汚染によるぜんそくなどが全国的に社会問題となる。戦後の工業の復興を「槌(つち)の響よ黒けむり」などと歌った県民歌「光あらたに」の4番は、こうした世相を受けて、東京五輪が開催された64年ごろに“廃止”されていた。