放送開始60年を迎えた「みんなのうた」と 財津和夫の新曲「想い出に話しかけてみた」  普遍的な魅力にあふれる、みんなのうた60プロジェクトを締めくくる「想い出に話しかけてみた」

洋楽の入口だった「ひらけ!ポンキッキ」

昭和40年代に生まれた僕らがテレビから流れるヒット曲に夢中になる前、音楽がどこから聴こえてきたのか考えてみると、それは、『ひらけ!ポンキッキ』と今年放送開始60周年を迎えた『みんなのうた』が双璧だった。

前者『ひらけ!ポンキッキ』では、幼稚園や小学校に出掛ける前に慌ただしい時間にTVから流れるキャッチーなメロディが何の違和感もなく生活の中に溶け込んでいった。ザ・ビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」や「ア・ハード・デイズ・ナイト」、アメリカン・オールディーズからコーデッツの「ロリポップ」なんかを思い出す。

また、フランキー・ライモンとティーンエイジャーズがオリジナルでフォートップスがカバーしたバージョンの「恋は曲者」なんていうのもあった。さらに、意外なところでは、サンタナの「哀愁のヨーロッパ」のように妖艶で淫靡な子供に聴かせるメロディではないものも平然と流されていた。

そんなポンキッキが洋楽の入口だったかと言えば、それは少し違う。それよりも、キャッチーなメロディを幼心に植え付ける役割として、ポンキッキは最高だった。わずかなフレーズのメロディが心の中で鳴り響く素晴らしさをポンキッキは教えてくれた。心にメロディを忍ばせることで “毎日がこんなに楽しくなるんだ!” ということを教えてくれたのがポンキッキだった。

普遍的なメロディの美しさが際立つ楽曲多数「みんなのうた」

かたや、『みんなのうた』はどうだろう? 僕は祖父母と同居していたので、普通の家庭よりもNHKがテレビから流れている機会が多かったと思う。とはいえ子供の目や耳はNHKのプログラムに寛容ではない。“なんか真面目だなぁ” とか、“大人の見るものだ…” みたいな先入観があったのも確かなこと。しかしそんな家庭の事情から番組の合間に僅か5分間ほどのプログラムであった『みんなのうた』を目にする耳にする機会は多かった。

『みんなのうた』について、同番組の統括プロデューサー関山幹人氏の「子供たちが口にするのは、美しく健康的な歌詞とメロディであって欲しいという思いから誕生しました」というコメントからも分かるように、流行には左右されない普遍的なメロディの美しさが際立つ楽曲が多かったように思う。

童謡なども頻繁に流れ、極めて日本的な哀愁感が漂う楽曲が多かったように思うから、決してポップでキャッチーな感じはしなかったが、ここから巣立っていったボニージャックスの「小さい秋みつけた」やゴダイゴの「ビューティフルネーム」や幼少期に何気に耳に入ってきたメロディが大人になった今も心の中で熟成されていくような曲が多い。

みんなのうたからロングヒットとなった財津和夫「切手のないおくりもの」

ここから巣立った財津和夫の「切手のないおくりもの」も二度のリメイクを経て、カバー曲を含めると累計100万枚以上のロングヒットとなり、まさに日本人の心の歌として多くの人に愛され続けている。

素朴で繊細、日本人の琴線に触れる財津メロディを僕が知ったのは、本人ソロ第2弾として1979年にリリースされた「Wake up」だった。この曲はセイコー腕時計のCMに使用され、テレビから頻繁に流れていた。確か春のキャンペーンのCMソングだったと思う。春の新生活に相応しい透明感のある歌声と財津が生み出すメロディは、“羽ばたく” だとか、”飛び立つ” だとか、そんな颯爽としたイメージを心の中に広げてくれた。

同じく1981年の大ヒット曲、財津が提供した松田聖子の「チェリーブラッサム」にも同じ印象を抱いた。つまり財津メロディというのは、先記した関山プロデューサーの言葉のように美しく健康的なメロディとして他に類を見ないものだと思う。大人になり穢れを知りながら生き長らえていくと、より新鮮な感動を与えてくれる。

みんなのうた60プロジェクトを締めくくる「想い出に話しかけてみた」

そんな財津の新曲「想い出に話しかけてみた」が「みんなのうた60」プロジェクトを締めくくる楽曲として選出された。この曲もまた、一見素朴に感じるが実に味わいの深い、日本人のための旋律だった。優しく語りかけるような歌い方もまた、彼の50年以上に渡るキャリアの中で、淡々と真っ直ぐに音楽と向き合う実直さが溢れ出るようで、岩から湧き出る清水のように、心に染みわたっていく。

財津がチューリップの活動と並行して、「二人だけの夜」でソロデビューを果たしたのは1978年。かぐや姫やガロのような叙情派フォークの流れを大きく受け、様々な音楽エッセンスを取り入れた “ニューミュージック” というジャンルが確立した時期と重なる。

ただ、ニューミュージックと言われた楽曲のほとんどが、フォークの名残りというか、淋しさやノスタルジーに重きが置かれていたように当時は感じた。しかし、財津の楽曲には懐かしさを語りながらも、噛みしめると希望が溢れ出るような不思議な魅力があった。

素朴なメロディはいつも真っ直ぐ希望に向かっていた。それはチューリップ時代の名曲「心の旅」や「虹とスニーカーの頃」というチューリップ時代の名曲にも同じ匂いを感じる。一見、日本風でありながら、そこにスパイスとして振りかけられた “魔法の粉” とでも言おうか、根底にあるビートルズをはじめとするイギリス的な音楽的感性がそう感じさせてくれるのかもしれない。

そんな魔法の粉を想い出に振りかけた「想い出に話しかけてみた」にも、これから歌い継がれるであろう普遍的な魅力に満ち溢れている。

カタリベ: 本田隆

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