「もう人間は信じられない」 人生の暗転 大切な決断、子どもが考える余地与えられず 第2部 更生とは何か・2

大人に勝手に転所を決められ、マイクロバスに乗せられた(写真はイメージ)

 10歳の時(1985年)に人生の転機が訪れた。西川哲弥(47)=仮名=の心には、今でも一番つらい思い出として残っている。
 物心ついた時から大分県の養護施設(現・児童養護施設)で育った。親に育児放棄され、出生地も両親の顔も知らない。近くの養護学校(現・特別支援学校)に通い、年に1度、鈍行列車を乗り継ぎ、1日がかりで母方の祖父母の家に帰り正月を過ごした。
 施設の職員はいつも「あなたは特別よ」とかわいがってくれた。野球が盛んで、小さい頃から毎日楽しく白球を追った。施設対抗の試合では、九州大会で優勝するようなチームだった。休みの日は、お兄ちゃんお姉ちゃんと手をつないで駄菓子屋に向かい、お菓子を買ってもらったりした。「大人になったらこんな施設で働くのもいいな」。小学校低学年ながらそう思うほど、アットホームで居心地のいい空間だった。
 小学4年のある朝。いつものように学校に行く準備をしていた時。職員に「今日学校行かんでいいから、ちょっと待ってなさい」と声をかけられた。他の子どもたちはもう登校していた。
 「特別に先生と遊び行けるんかな」。期待をしながら玄関まで付いていくと、休みのはずの職員たちが集まっていた。
 「元気でね」。担当の職員がぼろぼろと涙を流しながら、菓子の詰め合わせが入ったビニール袋を差し出してきた。「は…?」。状況が飲み込めないまま、荷物が積まれたマイクロバスに乗せられ、見送られた。
 行き先は車で1時間ぐらい離れた別の養護施設。突然の転所と転校だった。一番の親友の「まるちゃん」や友達に別れを告げられず、彼らも急に友達がいなくなって苦しむだろうと想像し、とても胸が苦しかった。大好きな野球もみんなでできなくなるし、優しい先生とも離れ離れになった。
 なぜ急に転所させられたのか、今でもよく分からない。祖父母の家に近いところに移すためだろうか。理由はどうであれ、大切な決断なのに、子どもが考える余地を全く与えられず、大人が勝手に決めたことに腹が立った。「子どもはなんの罪もないのに大人の都合で」
 明るく外向的な西川が、人間を信じられなくなる原点になった。この出来事をきっかけに、西川の人生は暗転する。
(敬称略、連載3へ続く)

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