直江津空襲から77年 悲惨な歴史語り継ぐ 「考える会」が慰霊集会

 太平洋戦争中に県内初めての空襲で犠牲者が出た直江津空襲から77年目の5日、上越市の黒井公園で慰霊集会が開かれた。当時の様子を知る人や地元住民ら約10人が記念標柱前に集い、犠牲者をいたんで恒久平和を願った。

杉みき子さんの碑文が記された標柱や、空襲当時の様子を描いた絵画を前に黙とうをささげる参加者

 空襲は昭和20(1945)年5月5日の午前11時15分ごろ、米軍機が直江津上空に飛来し、7個の爆弾を投下した。黒井周辺で3人が死亡、4人が重軽傷を負った。集会は、直江津空襲と平和を考える会(関川幹雄会長)が痛ましい歴史の真実を語り継ごうと、記念標柱を設置した平成3(1991)年から実施している。

 参加者は公園内の標柱を前に、犠牲者に黙とうをささげた。続いて、現在進行中のロシアによるウクライナ侵攻、平和が脅かされている現状、平和憲法への思いなどを語った。

◇米山さん当時を語る

 参加者の中で唯一、空襲の様子を知る上越市五智1の米山謙三さん(95)は、現場付近の工場で働いていた。「空襲警報のサイレンがいきなり鳴り、回りの人がおろおろして防空壕に逃げていた」などと、当時の様子を生々しく語った。米山さんは「空襲や捕虜収容所が直江津にあったことなど、史実を正しく伝えていく必要がある」と話した。

 関川会長(79)は「県内で初めての被害となったのが直江津空襲。この地にそういう歴史があったということを伝える活動を、今後も続けていきたい」と力強く語った。

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